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禁断の果実 03


「な…何だこれはあぁぁぁ!?」

鏡に映る己の姿に呆然となったのは一瞬のこと。
鏡面に何の細工もないことを確認した上で、これが夢であることを切実に願ったが、実際はそんなに都合のいいことなどあるはずもなく。
いっそ気絶できたら楽だったのだが、生憎そこまで神経は細くないためそれも叶わない。
むしろこの悪夢のような事態が紛れもない現実なのだと認識した途端、自身の優秀な頭脳は現実逃避よりも原因究明を最優先し――結果として一つの出来事に思い至った。
正確には2つだったのだが、1つは意図的に思考から排除した。
さすがにそれだけは考えたくなかったので。

そして、気持ちを落ち着けるべく深呼吸を一つして、イザークは目の前の鏡を思い切り殴りつけた。
軍艦仕様で弾丸が当たってもびくともしない強靭なそれが砕けることはなかったが、イザークの右拳には自身の怒りを代弁するかのような痛みが響いた。
いつもよりも小さく細くなった手を忌々しそうに見遣り、そして嫌が応にも視界に入ってしまう己の裸身をどうするべきか逡巡する。
報復はきっちりするつもりだが、どうにかしてこれを誤魔化すことはできないだろうかと、完璧な女性体となってしまった身体を見下ろす。
とりあえず手近にあったタオルで胸部を締め付けてみれば、多少なりともふくらみは隠せそうだ。
だが、タオルでは長さが足りない。
晒しがあればいいのだが、医務室ならともかく自分の部屋にそんなものあるはずもない。 やはりここはシーツを代用するしかないだろうか。
そうするとベッドの上で未だ惰眠を貪り続けている黒い物体をどうにかしなければならないが、今この状況で起こしてしまうのは非常にまずい。
からかわれるのならばまだいい。
だがあの男がそれだけですむとは思えない。
むしろ嬉々として身体検査をされてしまうだろうことは想像に難くない。
イザークは己の恋人の性格を知りすぎていた。

となるとディアッカを起こしてしまう可能性があることは極力避けるべきだ。
少なくともキラへの報復が無事に終了するまでは。

「絶対あいつのせいだ」

確認したわけではないが、おそらく原因はキラからもらったチョコレートにあると見て間違いない。
何故ならそれ以外に不審な食べ物を口にした記憶がないからだ。
軍の食事にイザークにだけ何かが盛られていることは考えられない。
いくら遺伝子を操作して生まれてきたコーディネイターだからといって、ある日目が覚めてたら性別が変わっていましたなどという症例は聞いたことがない。
更に、彼の人物が過去に何度もザフトを混乱に陥れたという前科を考えても、イザークが疑う相手は1人しかいない。
キラが悪意で自分を女性化させたとは考えていないが、あの能天気で楽観的で無鉄砲なキラのことだ。
面白そうだからという理由で何かしでかしても不思議はない。
一刻も早くヴェサリウスへ殴りこみに行こうと、どうにかしてこの膨らんだ胸を隠そうとしているのだが、本人の意志に反して意外に大きなそれは簡単に誤魔化されてくれないらしい。
タオルを巻きつけた程度では多少隠れる程度で、これでは軍服を着たところで違和感は拭えないだろう。
それに何よりも女性の身体など見慣れないものだから、たとえ今は自分の身体だとしてもどう扱っていいか正直わからない。
以前の身体は軍人としてトレーニングを重ねていたから、筋肉質とまでは言い難いまでもそれなりに引き締まった身体をしていた。
それなのにこの身体はどこを触ってもふにふにぐにゃぐにゃと柔らかく、あまり手荒く扱っては壊れてしまうのではないかと思ってしまう。
とは言っても所詮自分の身体なのだからそこまで遠慮はしていないのだが。
何度か試行錯誤して、結局イザークが辿り着いた結論はシーツを晒しの代用とすることだった。
タオルは短いし、バスタオルは幅がありすぎる。
アンダーと軍服を着るには、そのどちらも不適切だ。
こうなったらディアッカが起きていないことを願いつつ、とりあえずの応急処置としてバスタオルを身体に巻きつけた状態のまま部屋へ戻ろうと振り返った途端、小さな電子音とともに扉が開いたところだった。

「あれ? イザーク? 何やってんのそんなところで」
「………」

最悪の事態だ。
未だ覚醒しきっていない寝ぼけた様子でバスルームに姿を見せたのは、イザークの同室者。
意図的なのか偶然なのか、入口の前に立ちはだかっているために、イザークがその脇をすり抜けて部屋に戻ることは不可能に近い。
返事の返ってこない状況に怪訝そうな顔をしたディアッカの視線から逃げるように、無意識のまま一歩後ずさると、紫紺色の瞳がかすかに細められた。
上から嘗め回すような視線にいたたまれなくなるが、逃げられない状況はまさに背水の陣。
再び一歩後ろに下がれば、その口元に浮かんだ意地の悪い笑み。

「あれ、何で逃げるのかなあ」
「……っ…」

決して広くないバスルーム。
あっという間に壁際まで追いやられて、イザークは歯噛みする。
逃がさないとでも言うように両脇に手をつかれてしまえば、イザークに出来るのは忌々しそうに目の前の相手を睨むことだけで。
殴ってやりたいが、イザークの両手は悪戯のように伸びてくるディアッカの手からバスタオルを死守することで手一杯だ。
状況を分かっているのかいないのか、随分と余裕のありそうなディアッカの様子に手慣れていると感じてしまうのはイザークの気のせいではないだろう。
まるで女性を焦らすかのような態度。
確かに自分と違ってディアッカは相当遊び慣れているのは知っているが、だからといってこんな時にそれを見せ付けなくてもいいではないか。
悔しくて睨みつければ、くすりと笑われる。
そんな態度も妙に癪に障る。

「どけっ!」

乱暴に身体を押しのければ、すんなりとどいてくれた逞しい身体。
その横をすり抜けて部屋に戻ろうとした途端、強い力で引き戻された。
抵抗する間もなく腕の中に捕われ、バスタオルを奪われる。

「!!」
「ああ、やっぱり」

一目見てわかっていたのだろう。
イザークの身体の変化を見て、ディアッカは納得したように呟いた。

「特殊メイクとかじゃないよな、勿論。昨日までは普通だったし」
「や…っ、離…せ…って…」
「触り心地も抜群、感度も上々。で、この身体は俺のためって思ってくれてもいいのかな」
「ふ…ざける、な……っ」

確認事項のようにあちこちまさぐられて、イザークは怒りと羞恥で言葉もない。
その触れ方も妙に手慣れていて、確実に快感を引きずり出そうとしている触れ方に腹が立つ。
イザークにしてみればこの状況は笑い事ではないのだ。
それなのに、ディアッカにとってこれは不測の事態でも悲劇でもないらしい。
むしろ確実に喜んでいるのがわかってしまえば、振り回されている自分が情けないやら悔しいやら。
思わず涙が零れてしまうのも無理はない。
今まで男だった自分が女の身体になってしまったことすら矜持が許さないというのに、それをいくら恋人とは言っても同じ男に好きなように弄ばれているという状況に、真面目なイザークの感情がついていかなくても当然だ。
そんなイザークの心境がわかったのか、ディアッカは小さく笑って眦に口付を落とした。

「別にふざけてないって。目の前に裸のイザークがいて、俺が手を出さないわけないだろう。いつもと同じだって。恥ずかしがるイザークって壮絶に色っぽいんだぜ。知らないだろう?」

そんなこと知るかと毒づきつつ、男でも女でも関係ないのだ、と言われてイザークは正直呆れてしまう。
からかわれていたわけではないとわかって怒りは鎮まったものの、それでもこの身体をディアッカの前に晒していることに羞恥を拭えないのか、抱きしめられた体勢のままイザークは肩口に顔を押し付けたまま顔を上げようとしない。

「…発情期の動物かお前は」
「あれ、イザークの前だと万年発情期の自覚あるけど? 証明してほしい?」
「…遠慮する」

宥めるように顔中にキスを落とされれば、結局いつものパターンで怒りを持続させることは難しい。
結局何があっても、自分はこの男のことが好きで、何をされても最終的には許してしまうのだから。
ましてや身体の変化は自分で思っていたよりも精神的に不安定になっていたようで、こうして優しいぬくもりに包まれていると気持ちが落ち着いてくるのがわかる。
最も目の前の男は油断がならないから、このままでいられる保証はどこにもないのだけれど。

「で、その身体の原因って何?」
「わからん。ただ俺の予想では原因の8割はキラにあると思う」
「あー…」

ザフトのトラブルメーカー。
からかって遊ぶには最適だが、その予測不可能な行動は幾度と無くヴェサリウス・ガモフ両艦を混乱に陥れていて。
ニコルと並んで『無邪気な悪魔』と称されるあの亜麻色の髪の同僚を思い浮かべれば、それもあるだろうと納得してしまう程には彼は様々な事態を引き起こしてくれた。
今回も原因がキラだとしたら、イザークにとっては不運としか言いようがない。
何しろ解決策がある方が少ないのだから。

「んじゃ、着替えてヴェサリウスに乗り込みますか」





「その必要はない」





不意に響いた声に抱き合ったまま2人は振り向く。
いつのまに来たのだろうか、そこにいたのはよく見知った――だがこの場にいるはずもない大人の姿。



「親父…と、ザラ議長?!」
「母上?!」
「久しぶりだな。ディアッカにイザーク」
「元気そうで何よりだ」
「突然来て悪かったわね」

本来ならばプラントにいるはずの最高評議会議員の姿に、さすがの2人も思考が止まる。
その後ろに所在無げに控えているのは、藍色の髪の幼馴染と、その恋人兼恐らく今回の事件の元凶であるキラ・ヤマト。
イザークと目が合うとへらへらと笑いながら手を振ってくるキラの姿に殺意を抱いたイザークには、すでに自分が今どんな姿をしているかという認識はない。

久しぶりの親子の対面は息子2人(うち1人は女体)が裸で抱き合っているという、不健全極まりないものだった。