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Shepherd Moons 13


この手を引き離すことは
誰であれ許さない――







退院してからひと月
アスランの危惧を余所に、本来の体力を取り戻しつつあるキラは元気だ。
成長の兆しはまだ見られないけれど、よく食べよく遊びよく寝ている。
始めのうちこそ嬉々として外出していたキラではあったが、その愛らしい外見と言動から周囲の視線を集めてしまうことが多く、ここ最近キラは外出を避けるようになっていた。
お陰でここ数日は自宅の庭に出るくらいで、定期検査に行くことすら渋るようになっており、それがアスランの悩みの種になっているのだが。
何とか宥めすかして病院までは連れて行くものの、あれほど好んでいた外出を忌避するようになってしまったことは、キラにとってもアスランにとってもあまり好ましいことではなかった。
他人に触れること、他人の視線を集めること。
それはキラの精神を不安定にさせる要因でもあったため、アスランもそう強く外出を薦めることはできないでいた。
それでも外出はキラの社会復帰を兼ねたリハビリ効果を狙ったものであり、極力外の空気を吸ったほうがいいという医師の言葉は十分すぎるほどにわかっているが、当の本人が渋るのだからあまり無理もできない。
それ以外は昔とほぼ変わらない日常を送れるようになったキラが室内で過ごすために欲したのは昔から得意とするパソコンで、医師の許可を得た上でパトリックから最新式のパソコンをプレゼントされて以来、暇さえあれば何やら弄って遊んでいる。
目覚めた当初はアスランが視界から消えてしまうのを異常なほど怖がる様子だったキラだが、パソコンという格好の玩具を手に入れてからはその傾向も少し治まってきたようだ。
軍属のアスランにはどうしても外せない用事があり、その際には以前ならば恐慌状態に陥るほど泣いてアスランを困らせたものだが、ここ最近はほんの数時間の類であれば何とか納得してくれるようになった。
尤もそれを歓迎していないことは明らかだったのだが。

落ち着いてきてみえる精神状態。
1人で眠ることは相変わらず難しいようで、時折睡眠導入剤を使用しているけれど。
夜中に悪夢を見て錯乱することもなく、退院した当時に時折見られた自傷行為も今は見られない。
完治はしないけれど、回復傾向に向かっているようだと医師が判断したのはつい先日。

それが早計だったことを知らせたのは、思いも寄らない事件だった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





事の起こりは今から数時間前。
束の間の平和を味わっていたアスランの元に響いたヴィジフォンによって、この長い休暇が明けたことをキラに告げたことが始まりだった。

「出航?」

アスランの言葉を反芻して、キラは首を傾げる。
はらりと頬にかかる白髪にアスランがほんの少しだけ切なそうに瞳を細める。
言葉の意味を理解していないのだろうと感じたのは正しかったらしく、キラはうーんと小さく唸ると今度は逆方向へと首を傾げる。

「それって、どこかに出かけるの?」
「ああ。つい先ほど辞令が下りたんだ。ヴェサリウスは宇宙へと出航することになった」
「それって、いつ?」
「一週間後だ」
「じゃあ、用意しないとね」

僕宇宙って久しぶりだ、とどこか嬉しそうに話す様子はやはり何も理解していなくて。
こんな状態のキラを残して出航することに躊躇いがないわけではないけれど、軍人である以上命令には従わなければならない。
まして自分達の働きが少なからず今後の戦争を左右することになるのだから、アスラン個人の感情のまま行動していい問題ではなかった。

「キラ」

抱えていたクッションを放り投げてソファから立ち上がったキラの名前を呼ぶ。
無邪気に振り返る幼さの残る姿。
この笑顔が曇る姿は見たくないのだけれど。

「キラは留守番だよ」
「何で? 嫌だよ、僕はアスランと一緒にいるんだから」

理解できないというキラの表情。――否、理解したくないのだ。

「キラは軍人じゃないんだから、軍艦に乗ることはできないんだ。この家で大人しくしていてくれ」
「――っ、嫌だ!!」

小刻みに震える肩。
ああ、また発作が起こる。

固く握り締めた手。
それはキラの精神状態を表すように震えていて。
大きな目で連れて行けと訴えるキラに首を振って拒絶すれば、菫色の瞳から溢れてくる涙。

泣かせたくないのに。
ずっと笑っていてほしいのに。
それでも、どうしてもキラを戦場に連れて行くことは不可能なのだ。

他人の目を怖がり、成人した男性に触れられるのを怯え。
1人にしておくと発作的に自傷行為を行う。
そんな状態のキラが軍務に耐えられるとは到底思えない。
ましてアスランが赴くのは最前線だ。
いつ出撃しても可笑しくなく、また、いつ命を落としても不思議はない。
アスランに依存しきっていると言っても過言ではないキラだ。
アスランがキラのすべてであり、世界のすべてなのだ。
その場面を目撃して、キラが平静でいられる確率などゼロに等しい。
プラントにいれば、少なくともキラの容態を知り尽くした医師達がいる。
そして、最近ようやく慣れてきた新しい友人、ラクス・クラインもいる。
それでも不安は残るが、キラの治療を行える医療スタッフがヴェサリウスには搭乗できないのだから、残された方法はひとつしかない。
だが、それがキラに通用するはずもなく。

暴れ、泣き、喚き、そしてどうあってもアスランの意見が翻らないことを悟ると、自室に籠もってしまったのは今から2時間前のこと。
幸いキラの私室には自身を傷つけられる類のものは一切排除されているから、最悪自傷行為に及ぶことはないだろう。
だからといってこのままにしておくこともできず、アスランはキラの部屋の前で何度か出てくるように呼びかけているのだが、返答は一切ない。
泣き疲れて眠ってしまったのだろうかと思い、スペアキーで入室しようと思ったその時。

アスランは緊急の通信で、プラントに起こっている非常事態を把握したのだ。


  • 07.09.12