思い出してほしい。だけど…。
思い出してほしくない。
混乱すると思っていた。
月からオーブへ移住する際に乗ったシャトルの事故で両親は死亡、キラだけ奇跡的に助かったものの、事故の後遺症のせいで3年間寝たきりになっていた。
生存者はキラしかいない悲劇的な状況だったためにキラの記憶が混乱していてもおかしくない、というパトリックと医師の説明を、キラは素直に納得したかに見えた。
だが実際はそうではなくて。
認識するだけの精神状態ではなかったのだということは、後になってわかったことだった。
だからその時は誰もがキラの一見安定してみえる状況に安堵していて。
それが誤解だったと知ったのは、それからすぐのことだった。
「退院?」
意識が戻ってから1週間。
元々身体の傷はほぼ完治に近かったから、キラの体力が回復すればすぐにでも退院が可能だったのだけれど、それが1週間伸びたのは偏にキラの体力が予想以上に回復が遅かったということと、時折混乱するキラの精神の安定を慮ってのことだった。
目覚めた時よりも遥かによくなった顔色のキラは、イザークが差し入れに持ってきたモンブランを味わいながらきょとんとした顔でアスランを見上げた。
キラを助け出した縁なのだろうか、イザークはアスランほどではないけれどキラのことが心配らしい。
アスランのようにキラ専属の護衛に任命されているわけではないのだが、暇を見つけてはキラの様子を見に訪ねてきている。
最もそれはイザークだけでなく、ニコルやディアッカも同様なのだが。
キラにしてみれば知人のほとんどいないプラントで出来た初めての友人達だ。
退屈な入院生活に顔を見せてくれることを歓迎しないはずがない。
甲斐甲斐しくキラの世話を焼くイザークというのも初めは見慣れなくて困惑したが、慣れてくるとそうでもない。
今もフォークを口に銜えたままのキラに行儀が悪いとたしなめながら紅茶を差し出している姿は、似たような髪の色をしているせいか兄弟のように見えなくもない。
「キラの体力もかなり回復したから、これからは通院で大丈夫だろうって、さっき医師が言ってただろう。今週中には退院できるってさ」
「えと、でもそうなると僕はどこに住むの? どこかに1人暮らしとか?」
当然のことながらプラントにはキラの家はない。
1人で暮らすことになるのか、それともどこかの施設に入れられるのかと不安そうな顔をするキラに、アスランは苦笑する。
「キラの保護者は父上だからね。父上の家で一緒に暮らすことになると思うよ」
「じゃあ、アスランとも一緒なの?」
「そうだね。俺と一緒だと嫌?」
キラは大きくかぶりを振った。
新しく出来た友人達も大好きだが、やはり幼馴染のアスランは別格だ。
最初こそ自分よりも年上になってしまった外見に戸惑いを隠せなかったけれど、話してみれば昔のアスランと何も変わっていない。
キラが大好きなアスランのままだ。
そのアスランと一緒に暮らせることにキラが不満を抱くはずもない。
「全然! アスランと一緒だと僕も嬉しい」
にっこりと笑う邪気のない姿を見て、アスランも笑みを深める。
無邪気であどけなくて、昔と何も変わらない純粋なキラ。
誰が思うだろう。
このキラが壊れているなどと――。
◇◆◇ ◇◆◇
初めに医師が伝えた『弊害』という言葉が現実味を帯びたのは、キラが目覚めて少ししてからだった。
一見するだけでは何も変わらない。
大人達に囲まれ怯えた子供という印象だったが、彼の言動に不自然を感じたのはすぐのことだった。
伝えられた話の認識は予想外に素直だった。
まだ戸惑っているのだろうと思えるような些細なことだったが、アスランの目は誤魔化せなかった。
両親が事故で亡くなったと言われた時に見せた表情。
あれだけ両親に溺愛されて育ったキラが、その2人の死に対して何一つ反応を示さなかった。
たとえ見知らぬ誰かであっても『死』という言葉に過剰に反応していたキラらしくないその行動。
疑念は他にもあった。
会話がずれていると言えばいいのか、キラの返事は常に曖昧で突然脈絡のないことを話し始めることが多くなった。
感情の起伏も大きいようで、先ほどまではにこにこ笑っていたと思えば一瞬後には虚ろな眼差しで一点を見つめていたり、かと思えば突然泣き出したりと油断できない。
何よりも大きな違いは、他人に触れられるのを極端に嫌うようになったことだろう。
小さなころは常に誰かに抱きついていたような子供だったから、そのギャップはアスランには大きかった。
気付いたのは本当に些細なこと。
パトリックが元気付けるようにキラの頭を撫でようと手を伸ばした途端、びくりと大きく震えてその手を避けようと身を捩ったのだ。
甘やかされるのが大好きで、誰かに触れているのが大好きなキラ。
頭を撫でれば大きな菫色の瞳でふわりと笑っていた。
甘やかしすぎるのもいけないと思うものの、そんな笑顔を見せられれば誰もが彼を可愛がるのは道理で、結果キラの子供らしさは増長されることになったのだけれど。
そんなキラが、初対面の相手ではないパトリックの手を避けた。
避けた本人ですらどうして逃げたのかわかっていないようで、自分の行動に首を傾げている姿は本当にあどけなかった。
医師達は気付いていたのだろう。
室内で表情を変えなかったのは彼らだけだった。
キラ自身は何も覚えていなくても、事件の後遺症はこういう形でキラに残ってしまったのだ。
「ねえ、アスラン」
声に促されて顔を上げれば、目の前に大きな菫色の瞳。
他人に触れられるのを極端に厭うキラだが、自身が誰かに触れるのは例外らしく、キラは以前のようにアスランに抱きついてくる。
どうやらアスランが触れることに関してはそれほど拒否反応がないということは、やはりキラにとってアスランという存在は少なからず人格形成に影響を与えているのだろう。
医師達と話している時ですら変調をきたすキラの意識も、アスランを前にした時にはそれほど大きく揺るがない。
キラの拒否反応が見られるのは成人した男性――それも壮年の大人達ばかりで、無意識下で自分の身に起きた出来事を覚えているのではないかという危惧を抱かせるが、こうして目の前で見せる笑顔は何も知らない子供と大差なく、それがいっそう哀れだった。
「何、キラ?」
そんな心中を悟らせないように笑顔を浮かべれば、キラはにっこりと無邪気に笑いかけた。
「退院したらいっぱい遊びに行こうね。僕プラントって初めてだからあちこち行ってみたいんだ」
「そうだな。キラが好きそうな場所は沢山あるから、いつだって連れて行ってあげるよ」
「わあい。イザークやニコルやディアッカも一緒にね」
「勿論」
楽しそうに笑う姿に、アスランは不安を抱えながらも安堵する。
たとえどのような状況であれ、キラが笑っていてくれるならそれでいいのかもしれないと、案外自分も身勝手なのだと思った。
- 07.08.27