Sub menu


Shepherd Moons 09


ようやく取り戻しても
心は未だ闇の中…







弊害はあると言われていた。
それは覚悟していた。
あの状態から生還できただけでも奇蹟なのだからと。
ただ、目覚めてくれればそれでいい。
どのような弊害も後遺症も、それでもこの手から永遠に失われてしまうよりはいい。
そう思っていたはずなのに…。

『お兄ちゃんたち……だれ』

幼い姿に似つかわしい無邪気な表情のまま、ことんと小首を傾げたままそう呟いた彼の姿を前に、自分の覚悟は相当甘かったのだと思い知らされた。
今までどんな喧嘩をした時でさえ、あのような眼差しを向けられたことはなかった。
初めて出会った日でさえ、不思議そうな顔はしていたけれど、でもそれ以上に興味と好奇心を瞳に浮かべていた。
不思議そうな、怪訝そうな眼差し。
自分が何故ここにいるかという疑念を抱くよりも前に、目の前にいた人物に対して不審感を抱いたのも無理はないけれど、それでもアスランだけは別格だと思っていた。

アスランも、他の同僚も。





     ◇◆◇   ◇◆◇





返事のないアスランに困惑したような眼差しを向けるキラに、いち早く反応したのは気配りに長けているニコルだった。
穏やかな笑顔でキラの緊張をほぐすと、そのまま医師へ連絡した。
16歳とは到底思えないたどたどしい口調のキラと、凍りついた室内の空気に何かを感じ取った医師たちが、精密検査と称してキラを部屋から連れ出したのが今から1時間ほど前。
その間に硬直したアスランを待合室へと連れ出した。
碌に返事もできないアスランをさすがに不憫に思ったのか、珍しくイザークとディアッカも言葉が少ない。
もっともあのキラの様子に彼らも漠然とした不安を抱いているのだろうということは十分すぎるほど伝わってくるのだが。
特にイザークは一見冷静に見せているものの、キラを現場から連れ出した張本人であり、アスランとはまた違う形でキラの安否を気にかけてもいたから、あのどこか危ういキラの様子を前に内心穏やかではいないだろう。

不思議そうに見つめる眼差し。
小首を傾げる仕草。
幼さを残した口調。

それらは16歳の少年が持つものではない。
更にキラは自分が何故この病院にいるのかまるでわかっていないようだった。
キラが目覚める前に医師が告げた記憶障害という言葉が脳裏を掠める。
あれが13歳の少年だというのならば納得できるのだが。
コーディネイターは13歳で成人と言うが、キラが育った月ではコーディネイターもナチュラルと同様に育てられているはずだから、一人前の成人扱いされていなくても不思議はない。
特にアスランから話を聞いた限りでは、両親からも友人からも愛されて育ったらしいから、おそらくアスランよりもずっと手のかかる子供だったのだろう。
そんな――アスランの話で聞いたキラ・ヤマトとまるで変わらない態度に、ニコルの眉が微かに顰められる。

『調べた結果、キラ・ヤマトが拉致されたのは3年前でした』

3年前、月からオーブ行きのシャトルが1台ブルーコスモスによって襲撃されたことがあった。
乗客は350人。全員民間人だった。
ナチュラルもコーディネイターもいたが、生存者はゼロ。
その中にキラも乗っていた。両親とともに。
自爆テロだと言われていた。
コーディネイターを受け入れるオーブに対する牽制だと。
だが目的は違ったのだと、今になってわかる。
彼らの目的はキラ・ヤマトだったのだろう。
だからこそ、彼だけシャトルから下ろされた。
他の乗客は――キラの両親ですら――躊躇いなくシャトル諸共爆破したというのに。
憎むべきコーディネイターであるキラを、彼らが何故そのような手間をかけてまで拉致したかはわからない。
だが、そこまでしてキラを拉致する必要が彼らにはあり、キラにはそれだけの何かがあったのだろう。

キラが拉致されたのは、アスランと別れてからわずか10日後の出来事だった。

親しい友人と別れ、そのすぐ後に拉致され、両親をも殺された。
キラが両親の死を認識しているかは想像するしかないが、それでも繰り返される実験と虐待に、当時わずか13歳の少年が耐えられるとも思えない。
況してキラがアスランの言う通りの人物なのだとしたら、そのような苦境に耐えられるほど強固な精神をしているとも、また思えない。
あどけなく自分を見上げた菫色の瞳は、哀しくなるほど純粋で無垢で。
自分がどのような目に遭っていたかということを認識しているようには見えなかった。
それが医師の言う意識障害なのか。
それとも、壊れてしまったからなのか――。

ニコルはソファーに座ったままのアスランへ視線を移す。
半ば引きずるような形で部屋を連れ出した時と同様に、一点を見つめたきり微動だにしない。
ショックが大きかったせいだろうと思い声をかけずにいたが、さすがに1時間ずっと同じ体勢ということに不安を感じる。
アスランの精神状態も、極限状態にあったのだ。
眠らず食事も取らず、常にキラの傍に控え、その手を握り締めて必死に眠るキラに呼びかけていた。
戻ってきてくれと。
眠り続けるキラに呼びかける姿は、見ている方が痛々しかった。

キラの容態が安定しなかったときは、生きていてくれればいいと言ってはいたものの、だからといって最悪の展開を望んでいる人間なんどこにもいないていない。
容態が安定すれば目覚めを望んだ。
人間の欲は際限がない。
だからこそ、目覚めてくれれば、名前を呼んでもらいたいと思うのは至極当然のことだ。
幼いころから兄弟のように育ったというアスランとキラ。
それだけの強い繋がりがあったのだから、そう簡単に諦められるはずもない。
向けられた眼差しに潤んだ翡翠色の瞳。
嗚咽を堪えるように震える口元。きつく握り締められた拳。
キラ、と呼んだ声にはアスランの気持ちのすべてが籠められていて。
だからこそ一瞬にして凍りついたアスランの表情は、おそらく忘れることなどできない。
信じていた世界の崩壊というのはこういうことを言うのだろう。

かける言葉が見つからないまま、ニコルは視線を逸らした。
時間の流れがひどくゆっくりに感じられる。
だがそれに安堵している自分もいた。
一刻も早くキラの容態を知りたいと思う反面、最悪の結果が怖くて聞きたくない。
ニコルでさえそうなのだから、アスランやイザークは尚更だろう。

小さな機械音とともに扉が開かれ、ニコルは顔を上げた。
医師かと思い一瞬身構えたが、そこにいたのはパトリックを初めとした最高評議会の議員達の姿だった。
その中に父であるユーリ・アマルフィの姿を認めて、ニコルは僅かに目を見開いた。
息子が軍に入隊したことを内心快く思っていないことは知っていた。
コーディネイターの未来のためだと言っても、愛する息子を戦地に赴かせたくはないのだということも、よくわかっていた。
それでも我を押し通したことに後悔はしていない。
だが、こうして心配そうな父の顔を見てしまえば、後悔はしていなくても親不孝に申し訳なくなってくる。

「何て顔をしている」
「父さん…」

議員の顔ではなく父の顔を見せたユーリに、ニコルの緊張の糸が綻んだ。
いくら成人とみなされ一人前の功績を残す軍人であろうとも、家に帰ればまだ15歳の息子で。
緊迫した事態に張り詰めていた糸も、父親の穏やかな眼差しの前にはあっけなく崩れ落ちてしまう。
はらはらと涙を零す息子に、ユーリは優しく頭を撫でた。
その掌は大きくて――とても優しくて。
あぁ、とニコルは胸中で嘆息する。
心配をかけているのだと思う。
最近はお互い忙しくて会話もあまりできていないけれど。
それでもこうして顔を見れば、自分のことを案じてくれているのがよくわかって。
家族というのは、大切な支えなのだと改めて痛感する。
そして、別室にいる少年のことを思う。
彼は――このような素晴らしいものも失ってしまったのだ。

何故、彼だけがこのような目に遭わなければならないのか。
ニコルは改めて戦争というものの不条理さを恨んだ。


  • 07.08.17