お願いだから
その目を開けて――
子供の頃のキラといえば、とにかく元気が有り余っている少年だった。
亜麻色の髪に菫色の瞳。
オリエンタルな容姿と蜂蜜色の肌がとても印象的な、どこから見ても『美少女』だった。
幼年学校のどの女の子よりも数段愛らしく、初対面で女の子に間違われなかったことはない。
だが性格は見事に外見を裏切っていて、無駄に元気だった。
よく言えば活発、悪く言えば無鉄砲。
ふらっといなくなったと思えば木の上から落ちてきたり。
かと思えばぼんやりと道を歩いていて車に轢かれそうになったりと、周囲の人間が一瞬たりとも目を離せないほど行動的な少年だった。
そんなキラを1人にすることができるはずもなく、いつもキラの周囲には誰かしらの姿があった。
その筆頭がアスラン・ザラである。
同じクラスの上に家が隣同士となれば、必然的にアスランがキラのお守りをするのが学校中の暗黙の了解になっていて、お陰でアスランは齢7歳にして『お母さん』というアスランにとって不名誉な称号を冠することになってしまったのだが、原因であるキラはそんなこと気づきはしない。
甲斐甲斐しく世話を焼くアスランにべったりと甘えるような仕草は、見ているだけなら微笑ましいが、実際のキラを知る人間にしてみれば、アスランの負担がわかるだけに心中で両手を合わせるばかりである。
最も幸いなことに、当のアスラン本人が嫌がるどころか率先してキラの面倒を見ていたということだろうか。
常に一緒に行動する2人はその外見と話題性も相まって、幼年学校に入学して1年ですでに学校内で知らない人はいないほど有名になっていたのであるが、噂話に疎いアスランとキラがそれを知るはずもなく、日々は穏やかに過ぎていった。
家族やアスランに甘やかされて育ったキラは、おっとりと世間知らずで、どちらかと言えば我侭に育った傾向がある。
得意な科目は学年でも突出しているのに興味のない科目は赤点で、追試を行おうにも見事に逃げ出してしまうような生徒だった。
だが不思議と教師や友達からの印象は悪くなく、特に教師陣にしてみれば『手がかかるほど可愛い』というやつなのだろう。
そんなキラの周囲には常に友人達の姿があり、決して他人から恨まれるような人間ではなかった。
常に人から愛される少年。
それが、アスランの知るキラ・ヤマトである。
――決してこのような仕打ちを受けるような人物ではなかったのだ。
◇◆◇ ◇◆◇
「――ラン、アスラン!!」
不意に肩を揺すられて目を開ければ、目の前には気遣わしげなニコルの姿。
一体どうしたのだろう、と僅かに目を瞬かせると、目の前の幼い顔立ちが不安げに揺れる。
「大丈夫ですか? 少しくらい横になっていたほうがいいですよ」
「――あぁ、いや、大丈夫だ」
どうやら転寝をしてしまったらしい。
懐かしい夢を見ていたような気がするが、内容をよく覚えていない。
「ですが、もう1週間も碌に眠っていないでしょう。傍を離れることが不安なら、隣にベッドを用意させますから、せめて仮眠だけでも取ってください。このままじゃアスランも倒れてしまいます」
1週間、いやキラが病院に搬送されてからだから、すでに1ヶ月以上が経過している。
その間アスランはほとんどキラの傍を離れることなく、食事も睡眠も碌に摂っていない。
いくらコーディネイターが丈夫だからといって、このままでいいはずがなかった。
何度となく説得にあたってみるものの、アスランが首を縦に振ることはなかった。
今度もまた、アスランは静かに首を振る。
「俺は大丈夫だ。そんなにヤワじゃない」
見上げる眼差しには強い拒絶が込められており、ニコルは何度目になるかわからない説得が失敗に終わったことを悟る。
尤も初めから期待していたわけではないのだけれど。
アスラン自身、ニコルの好意がわからないわけではない。
自分が愚かなことをしているという自覚もある。
だが、どうしてもキラの傍を離れることができないのだ。
視線を落とせば、そこには依然として眠り続ける幼馴染の姿。
診察の結果長年にわたって実験と虐待が行われていたことが判明した。
搬送時のキラの脳波は異常値を示していたし、このまま意識が回復するかはわからないというのが医師の診断だった。
二度と目覚めないかもしれないし、目覚めても正気でいるかわからない。
その言葉はわずかに安堵しかけたらアスランを絶望に突き落とすには十分すぎた。
結果、アスランは片時もキラの傍を離れようとしない。
まるで神域を守る番人のように常に傍らを離れないアスランの姿に、ニコルのみならず多くの人が心を痛めている。
あのイザークですら憔悴しきったアスランにかける言葉がないと、苛立たしげに呟いていた。
事情を知らないまでも2人が強い結びつきがあることは確かなようで、傷だらけの少年の傍に寄り添う姿はひどく哀れだった。
友人と言うよりは家族。
誰よりも深い絆があったのだと、あのパトリックですら悲痛そうにもらしていた。
医者は最善を尽くした。
プラントの最高技術を注いだ結果は最悪の事態を免れただけにすぎないが、それでもキラの容態は少しずつ回復に向かっている。
栄養剤のお陰か、やつれた頬は少しずつ赤味を取り戻し始めていたし、醜い傷痕も体力の回復と共に1つまた1つと消えていった。
腫れ上がっていた顔も徐々に本来の輪郭を取り戻し、今では包帯の必要もない程度には回復している。
そうやって包帯が1つずつ取れていくたびに露わになる容姿が、さらにキラに与えられていた仕打ちの残虐さを色濃くさせていた。
少女のような愛らしい姿。
それは3年前のキラ・ヤマトの姿と何一つ変わらない。
10代という著しい成長期だというのに、何の成長も見られないのだ。
身長は数センチしか伸びておらず、体重にいたっては以前よりも遥かに少ない。
手も足も細く、一見して正常な栄養状態になかったことが窺える。
3年前は大差なかったアスランとの身長差も、今では20センチ近くも開いている。
アスランは眠るキラの髪をそっと撫でる。
蒼白になった髪は、一体どれだけの恐怖をその身に受けてきたのだろうか。
連絡が取れないのは戦争のせいだと思い諦めていた。
オーブで元気に暮らしていると、そう疑っていなかった自分が情けない。
キラが両親を殺され人体実験の被験者として苦痛を味わっていた頃、アスランはプラントで平和に生活をしていたのだ。
大切な幼馴染がどのような境遇にいるのか考えもせず――。
「すまない、キラ…」
キラを守るのは自分の役目だったはずなのに。
3年という長い時間、彼は一体どれだけ自分の名を呼んだだろう。
そう思うと、この身を引き裂きたくなる。
「すまない…」
そっと閉じた瞼の間から、透明な雫が頬を伝って落ちた。
- 07.04.01