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緑夢 21


触れる手が冷たかった。
注がれる視線。それは混沌とした緑。
あの透けるような翡翠色の瞳とはまったく違うそれに、どうして彼の眼差しを恐れていたのかと疑問に思うほどに、目の前のそれは異様だった。

「カ、ナード…」

自分に向けられる紫紺の瞳が好きだった。
切れ長の瞳は一見すると冷たく見られるが、時には言葉よりも雄弁に感情を表していて、そこから伺える彼の思いやりがとても嬉しかった。
クールで冷静で、だけど時々ひどく悪戯好きで。
不器用だけど優しい男。
それがキラが知るカナード・パルスだった。

では、この男は――?

目の前に立つ男は一体誰なのだろう。
造作は変わらない。
だが、中身はまるで別人だ。
生気のなくなった瞳。ゆらりと立ち上る気は禍々しいまでに恐ろしく。

「…や…っ…」

頬に触れる手を払ってしまったのは、知らない人のような彼の変貌に驚いたからだ。
決して友人を否定したわけではない。
だが、彼はそう受け取らなかったのだろう。
不快そうに顰められた眉、わずかに聞こえた舌打ち。
きつく手首を掴まれて、全身が震えた。
足払いを受け床に沈んだ身体に感じる重み。
本能的な恐怖を瞳に宿したまま見上げれば、至近距離から見下ろされる冷たい瞳があった。

「キラ」
「あ…」
「仲間になるんだ」

掴まれた腕の力は強く、震える身体は逃げられない。
近づく顔。触れる吐息。
見開かれた瞳から、雫が溢れて落ちた。

(助けて――!)

脳裏に浮かんだのは、あの日の柔らかい眼差し。

「キラ!!」

ドアを蹴破る音とともに聞こえた声。
その声が自分の名前を呼ぶことは今までに数えるほど。
だが幻聴ではないそれに顔を向ければ、扉の前に立っていたのは想像した通りの人物で、思わず安堵のため息をつこうとしたキラは彼の持つものに気付いて息を呑んだ。
雷光に照らされたのは、銃。
それも警察が所持しているような短銃ではなく、猟銃のようなもの。
それが主に戦争で使用されているものだとはキラは知らない。

認識すると同時に轟音が鼓膜を貫き、同時に自分の上からカナードが弾き飛ばされた。

(……え)

一拍置いて降り注ぐ液体。
ぬるりと頬を濡らす何か。
何か、と認識する前に耳を劈く轟音に意識を奪われる。

音と同時に友人の身体が大きくのけぞる。
撃たれているのだと思った途端、自分の身体を濡らすものの正体に気付いた。
カナードの血だ。
そう認識した途端、声にならない悲鳴が喉から溢れた。

「キラ!!」

震える身体を抱きしめたのは、よく馴染んだ温もり。
鼻腔をくすぐるフレグランスは従兄が好んで使用しているもので、聞きなれた優しい声に恐慌が治まっていくのを感じた。

「大丈夫だ。もう大丈夫だから」
「ディアッカ…?」

ぼんやりと視点を合わせれば頼りになる従兄の姿があった。
意外にも早く正気に返ってくれたキラに安堵したディアッカだが、目の前の光景はやはりキラには見せたくないもので、視界を遮るように小さな頭を抱き寄せた。
実際目にしてみれば、キラが発狂してしまわないのが不思議なほど凄惨な光景だった。
大きく亀裂の入った壁。広がる赤い染み。
そこに倒れ伏す、1人の青年。
長い髪が散らばり、彼の端整だった面差しを隠している。
上半身は不自然な方向へと曲がり、流れ出た血は致死量を遥かに越えていた。
誰が見ても絶命しているのは一目瞭然だ。

「もう止めろ! 十分だ。もう死んでる!」

そう言ってアスランの腕から銃を取り上げているのは、イザークだ。
切羽詰った様子から詳しい理由を聞かずに学校へと直行してきてくれたイザークは、当然のことながら何が起こったのか理解できていない。
だからイザークが認識できたのはキラが襲われていたこと、そしてその犯人をアスランが射殺したということだけだった。
警察ではないアスランが殺傷能力の高い銃を所持していることも疑問だったが、それよりも死者に鞭打つような非道を許せなかった。
非難の声とともに少年の身体には不釣合いな銃を取り上げれば、アスランの眼差しが向けられる。
子供の持つものとは思えない鋭いそれに一瞬息を呑めば、見ろと言わんばかりに視線を促された。
誘われるまま視線を向け――そして絶句した。

「なに…」

目の前には銃弾を残さずその身に受け絶命したはずの少年。
夥しい血溜まりの中に倒れていたその身体がピクリと動いた。
瞬きをするような一瞬。
反応する間もなく、傷ついたカナードの身体は窓の外へと消えていった。

アスランは小さく舌打ちをすると窓枠から身を乗り出した。
逃げたわけではないだろう。
正体が露呈した。
敵であるアスランがいる。
何よりも、ここにはカナードが執着しているキラがいるのだ。
間違いなくもう一度戻ってくる。――今度は万全の態勢で。
そうなる前にけりをつけなければならなかった。
彼らの正体はヒトならざるもの。
防戦に回ればアスランの勝機は限りなく低い。

「あれは…なに?」

静寂を取り戻した室内に小さな呟きが響く。
窓枠に足をかけたまま振り返れば、ディアッカの腕の中で菫色の瞳を見開いているキラの姿があった。
呆然と、だが状況を理解しようとしている眼差しがアスランへと注がれる。
震える身体、泣きそうな顔。
恐慌から立ち直ったとは言え恐怖がないわけではないだろう。
従兄の腕にしがみついたまま、キラはアスランを見つめた。

「あれは、カナード…」
「違う」

純粋なキラ。
平和な世界で生きてきた、自分とは違う少年。
知らせるのは酷だろう。
だが、これは現実だ。
信じたくなくても、これは紛れもない事実なのだ。



「あいつは獣――<BEAST>だ」


  • 08.05.22