人を疑うことなど知らない純粋なキラ。
彼の友人が凶悪な化け物だということを知るはずがなく。
狙われれば、身を守る術すら持っていない。
マンションからキラの家までは、どう急いでも車で30分以上かかる。
それはキラを容疑者と睨んでいたアスランの自衛手段なのだが、当然それを知らないディアッカにとって緊急事態にこの距離は恨めしいことこの上ない。
しかもこういうときに限って電話が繋がらないのだ。
カリダは普段夜に家を空けるようなことをしないから、もしかしたらと悪い予感が頭をよぎる。
キラが危険だということは、自宅にキラがいた場合カリダにも危険が迫るということで。
連絡を取る手段がなく、苛立ちは募るばかり。
携帯に電話をしようにも、キラは今時の子供らしくなく携帯電話を持っていない。
仕方なくキラの家から5分の距離に住んでいるイザークに連絡を入れて家まで行ってもらったが、しばらくして返ってきた返事は最悪の事態だった。
「学校?!」
『何でも友人が怪我をしたとかで、慌てて出ていったらしい』
「何時頃だ?」
『15分程前だ。一体どうしたんだお前?』
小さく舌打ちする。
あの襲撃の犯人がキラの周囲にいる人物だということが判明した今、キラを呼び出した友人とやらは十中八九犯人に間違いない。
ムウ・ラ・フラガという男の言うことが真実なら、彼の標的はキラに移っている。
手負いの獣は厄介だと言ったアスラン。
この目で見ても信じられない人外の力。
それにキラが対抗できるはずなどなく、事態は一刻を争う。
「イザーク、そのまま学校へ向かってくれ。キラが危ない!」
『…それはどういうことだ?』
「説明してる暇はない。頼む!!」
そう告げるなり電話を放り出しアクセルを踏み込み、学校へと進路を変更する。
幸いキラの家に向かうよりは時間がかからない。
急激な加速にタイヤが悲鳴を上げる。
既に法廷速度など守っていないが、非常事態なのだから大目に見て欲しい。
イザークは間に合うだろうか。そして自分は…。
「キラ…」
どうか間に合うように、そう祈った。
◇◆◇ ◇◆◇
飛び出していったディアッカを一瞥して、アスランは血に濡れたシャツを脱ぎ捨てた。
大量に付着した血痕はもはや洗って落とせる類ではない。
無造作にそれをダストボックスに放り込み、真新しいシャツに袖を通す。
<BEAST>を狩るのは自分の役目。
だが、今はそれよりも目の前の男から情報を聞き出すのが先だった。
この男が自分の前に姿を見せることなど滅多にないのだから。
「第1の惨殺事件の被害者は、君が処分した<BEAST>の2次感染調査員だった」
「…初耳だな」
「極秘事項だからな」
「”猟友会”にもか?」
「そういうことになるな」
「…それは問題だな」
今回の件に関してアスランが関与していない調査などないはずだった。
だがフラガが告げたそれはアスランに知らされていないことで、それはアスランが所属する組織の方針ではなかった。
猟友会。
それがアスランの所属する組織の別称だ。
組織の許可なく調査は許されないし、また<BEAST>の処分も認められていない。
表立った条約などないが国際的に認められたそれに反しているのだと告げられれば、アスランとて面白いはずがない。
下手をすればこの国が孤立する事態になりかねないというのに。
内閣調査室室長という肩書きを持つこの男が相当の曲者であることは初めて会った時から知っていた。
だがいくら彼でも独断で組織の規定に逆らうはずがない。
背後に誰がいるか、なんて聞かなくても分かる。
す、と翡翠が細められた。
「この国のトップは何を望んでいる?」
「我々は<BEAST>を生きたまま捕獲したいだけだ」
「……」
「猟友会のハンターとして我々に協力してほしい」
「断る」
吐き捨てるように告げられた言葉に、フラガ眉が不快げに顰められる。
断られると思っていなかったのか、それとも自分よりも遥かに年下の男の横柄な態度が気に入らないのか。
どちらでもアスランには構わなかった。
あまりにも現実を知らなすぎる男の言葉は滑稽を通り越して不愉快にさせる。
生きたまま捕獲など、どうしたらできるというのか。
所詮現場に出ていない人間には実態などわかるはずがない。
「<BEAST>を生きたまま捕獲など不可能だ。やりたければ自分達だけでやればいい」
「…どうやら、おまえさんを買いかぶりすぎていたようだ」
「何とでも」
勝手な憶測と自己評価で自分を仲間にできると思うのは自由だが、それに従う義理などない。
これ以上の会話は無駄だと立ち上がろうとしたフラガにアスランは無言で制する。
向けられたのは小さな銃口。
<BEAST>なら手傷を負わせる程度の威力だが、生身の人間なら十分すぎるほどの殺傷力を持つそれを眉間に向け、アスランは低く言う。
「教えてもらおう。奴の居場所を」
◇◆◇ ◇◆◇
夜の校舎は静かだ。
しんと静まり返った校舎は普段の活気に満ちた学校とはまた別の世界を見せている。
静寂に包まれた廊下に響くのは自分の足音のみ。
普段のキラならば躊躇してしまうはずだが、今は状況が違っていた。
耳に残る友人の声。
苦しそうな浅い呼吸音が耳から離れない。
助けて、と告げられた言葉。
普段の彼からは決して聞けない切羽詰った声に、キラは足早に廊下を進んだ。
「カナード!!」
開いた扉の先にいたのは親しい友人の姿。
電話の声から最悪の事態を想像してしまったが、窓辺に佇む彼は怪我を負っているようには見えなくて安心した。
「よかった、無事だったんだ、…」
近寄ろうとして、ほんのわずか感じた違和感に足を止めた。
どうしたのだろう。
彼の纏う空気が違う。
肌蹴た胸元。シャツが何かで濡れている。
かすかに鼻腔に届く鉄臭。血?
窓の外では遠雷。徐々に近くなってきている。
呆然と見つめるカナードの瞳は、キラの知るそれではない。
何を考えているのか――。
「カ、ナード…」
「奴はハンターだ」
低く呟く声は遠雷にかき消されキラには届かない。
「何故、俺達が殺されなきゃいけない」
振り下ろされた拳は目の前の壁を砕き、キラは声を失う。
「地球の、生物のルールを破っているのは人間なのに」
「カ…」
「消えるべきは人間のほうだ」
呪詛のように紡がれていく言葉。
その奥に響く強い憎悪。
これは、誰?
身体を染める夥しい赤い色。
ゆっくりと振り向く表情はどこか虚ろで、普段の怜悧さの欠片も見つけられない。
背筋を這い上がってくるのは、恐怖。
無表情の友人が、怖かった。
知らず一歩後ずされば目の前の友人が一歩近づいてきて。
知っているはずの姿。だけどそれはすでにキラの知らない存在で。
近づく分だけ距離をあけようと後退を続ける。
声が、出なかった。
全身に纏わりつく空気。
よく知る部室がまるで知らない空間のようで、キラの心臓が大きく跳ねる。
「キラ、君は俺達に近い」
低く呼ばれた声。
同じ声なのに、どうしてこうも違うのだろう。
「仲間になるべきだ」
雷光に照らされた横顔。
その瞳は鈍く光る緑――。
- 08.05.15