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緑夢 18


マンションの駐車場に見知らぬ車があることにアスランは気付いていた。
否、見知らぬと言う訳ではない。
既に何度も見ているし、勿論運転手が誰かも知っていた。

「懲りないことだ」

怪しまれているのだろう。
おそらく自分の素性すら調べたであろう彼。
それでもアスランの身上書から怪しいところは何一つ出てこなかったはずだ。
外国で育った帰国子女。それ以外の情報はどのルートを辿ろうと一切流出しないから、彼が掴んだもので真実はアスランの情報と年齢。
それからせいぜい出身地といったところか。
あとはすべて組織が作り上げた虚像だ。
アスランが所属している組織は、ともすれば一国家よりも大きい権力を有している。
どの国家元首であろうと、彼のいる組織に対して異を唱えることなどできず、その中で五指に入る実力者であるアスランは完璧に組織から守られているから、たとえ彼がどうあがいたところでアスランから何かを得られることなんてないのだ。
アスランがその気にならなければ。

(ご苦労様なことで)

時間の無駄だとは一度だけ伝えておいた。
それでもやめないのは彼の自由だ。
アスランが気にかける必要などない。
そう思いながら車から下り、いつものように車中の人物に一瞥もくれることなくエントランスに入る――はずだった。

「……」

いつもなら珍しくない猫の姿。
だが、常ならば2〜3匹がいいところだ。
広い敷地内。それは軽く見ても十数匹。
明らかに異質だった。

(――来た)

低い唸り声とともに姿を見せたのは、漆黒の身体のドーベルマン。
野良犬であるはずはない。
どうやって脱走してきたのかと考え、そしてすぐに一蹴した。
奴らが呼べばどこからでもやってくる。そういう関係なのだから。
自分に敵意を向けている動物はこの際関係ない。
彼らは操られているだけ。
問題はすぐ近くにいるであろう首謀者。

(どこにいる?)

殺気に満ちた空気に、奴が側にいることがわかる。
それに煽られるように獰猛さを増していく動物達がその証拠だ。

「危ない!」
「来るな!!」

ガチャリ、と音がして車から下りた人影を制したその瞬間。
その一瞬の隙をついて襲い掛かってきたドーベルマンを、懐に隠しておいた銃で頭を撃ち抜いた。
更に飛びかかろうと身構えた猫に照準を合わせれば、マンション横の木陰で何かが動く気配。
この状況で通行人という考えはアスランにはない。
振り向きざま銃を乱射すれば、高い塀をいとも簡単に飛び越えていく長身。
風になびく黒髪に、なるほどと合点がいった。
犬猫を使った襲撃。
反撃の可能性を考慮に入れていないそれは、明らかにお粗末なものだった。
アスランの正体を知らなかったのだろう。
知っていての襲撃なのだとしたら随分と舐められたものだ。
遠ざかっていく不穏な気配を肌で感じ、ようやく詰めていた息を吐いた。
動物達は常の大人しさを取り戻している。
やはり首謀者は彼だったのだ。
手ごたえがあった。だが奴らにとってそれは決して重傷にはならない。
それでも完治には時間がかかるだろう。

「手負い、か」

逃がしてしまったのは厄介だ。
奴が向かう先に見当はついているとは言え、手負いの獣は性質が悪い。
準備が必要だ。

(あれは…何だ?)

肝の太さでは自信のあったディアッカですら、今見たものが信じられないというように呆然と呟いた。
動物が大挙して人間を襲うことは話に聞いたことがある。
だがそれは野生の動物だ。
人間と共存するように育った犬や猫が特定の人物だけを狙って襲うなど聞いたことがない。
脳裏に浮かんだのは、ここ最近頻発に起きている殺人事件。
殺害方法はどれも同じ。
獰猛な動物に噛み殺されたとしか思えない引きちぎられた四肢。
容疑者が1人も浮かばない凶悪事件。

もし、人間が犯人でなかったら――。

「あれは、何だ?」

おそらくアスランは知っている。
そう確信して問いかければ、冷ややかな翡翠がディアッカを射抜いた。

「Wild beast」

それはラスティが遺した一冊の本に記されていた言葉。

「人間は第四の封印を解いたのさ」

告げるアスランの声はひどく冷たい。
それは黙示録。

では、人間に残されたのは――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





血が止まらない。
負傷した身体から大量の血液が流れていく。
腹部を集中して狙われたのが悪かったのか、それとも彼の腕がよかったのか。
内臓もいくつか損傷しているだろう。

「く…っ」

喉を逆流してくる血臭に吐き気を誘発されながら安全な場所を求めて彷徨うけれど、どこへ逃げ込めば安全なのかわからなかった。
森はここから遠い。
安全な場所はまだ見つからない。
だが、果たしてそれまでこの身体が持つだろうか。
最悪死ぬことはないとは言え、動けなくなるのは間違いない。
否、彼に居場所を突き止められれば殺害されてしまうだろう。
それだけの力が彼にはあった。

最初の目的は単なる威嚇だけのつもりだった。
勿論殺意が皆無かと言われれば否と答えるが、それでも彼は学友の1人で殺すつもりはなかったのだ。
それなのに彼は、当然のように身を潜めていた自分を探り当て、不死身の自分にこれだけの痛手を負わせた。

油断していたのだ。
まさか、彼が自分達の天敵たる存在だとは考えていなかったから。
冷えてくる手足に精神が追いつめられていく。



「キラ…」



浮かぶのは、ただ優しい少年の面差しだけ。


  • 08.04.23