アスランが優しくなったと思う。
ミリアリアにそう言えば彼は最初から優しかったとあっさりと告げられた。
「大体ね、アスランが怖いって言ってたのはキラだけなんだから。ようやく誤解が解けたってことでしょ」
「そうじゃなくて、雰囲気。オーラが全然違うんだってば」
「だから、キラの誤解だっただけ」
違うのにと口を尖らせるキラは女性の目から見ても可愛らしいと思う。
人当たりがよく誰とでも仲のいいキラ。
その彼が唯一苦手意識を出したのが件のアスランで。ミリアリアに言わせれば、キラがどうしてアスランを怖がっているのか不思議だった。
紳士的なアスランは同年代の男子のようにふざけることもなく、年齢よりも大人びて見える。どちらかと言えばカナードに似ているかもしれない。
そのカナードとキラは随分と仲がいい。
だからてっきりアスランとも仲良くなるのではないかと思っていたのだ。
だが実際はアスランを避けていて。
事情を知らない人から見れば、それほど親しくない級友という関係にしか見えないが、同じサークルに所属しているとは思えないほど、キラのアスランへの態度はよそよそしかった。
皆で集まって談笑している時も、キラは誰かの背に隠れるようにして決してアスランの視界に入らないようにしていたし、自分からアスランに会話を振ることは皆無だった。
視線が怖いと言っていたキラ。
アスランの瞳は宝石のように綺麗な翡翠色で、滅多に見ないほど澄んだその眼差しがキラには怖く思えたのだろうか。
動物のように敏感なキラのことだから、もしかしたら彼にしかわからない何かがアスランにはあったのかもしれない。
「まあキラの苦手意識が消えたと思えばよいことなんだろうから、別にいいんだけど」
そうひとりごちてミリアリアは視線を移す。
今は体育の時間だ。
クラスメイト達は屋外で元気にバレーボールをしているが、心臓病を患っているアスランはいつもの如く見学で、そんなアスランを気遣うようにトール達が楽しそうに話しかけている。
どこか一線を引いたような感じのあるアスランだが、こうして見ると級友とは上手くやっているようである。
最もアスランに嬉々として話しかけているのは、ほとんどがアスラン目当ての女子生徒だったりするのだが。
「あ」
「え?」
ミリアリアの声に反応して顔を上げたキラの視界にものすごい勢いで入ってきた白いボール。
サーブをミスしたのだろうか、コートの方から注意を呼びかける声が響いた。
声に反応するようにアスランが視線を上げ、その翡翠色の眼差しが剣呑に瞬いた。
咄嗟に顔を庇うように動いた右手。
だがほんの僅かの差で、ボールはアスランの側頭部を直撃した。
周囲に響く悲鳴と抗議の声。
アスランはその中心で痛そうに頭を押さえながら避けられなかったことに対して少し恥ずかしそうだった。
「うわぁ、痛そう」
「あ――」
「え? ――キラッ?!」
驚くミリアリアの前でキラはアスランへと歩み寄る。
頭を押さえていた手を掴み、驚くアスランへ剣呑な眼差しを向ける。
「保健室、行こうか」
気遣う言葉。でも本当に言いたいのはそんな言葉ではなかった。
多分気付いたのはキラだけだろう。
気のせいではない。
彼は、わざとぶつかったのだ。
◇◆◇ ◇◆◇
避けられていた自覚はある。
最も自分自身が彼と不覚関わらないようにしていたのだからお互い様なのだが。
そんな関係だったから声をかけられた時は多少驚いた。
向けられた瞳に宿るのは警戒心というよりも不信感。
ばれたのだな、と一目でわかった。
連れてこられたのは人気のない校舎裏。
敢えてその場で言及されなかっただけよかったのだろう。
キラの表情から、何を言われるかは想像ついたから。
「わざとぶつかったよね」
キラの問いは、まさにアスランの予想通りで。
だからこそ答えるのは簡単だった。
「どういう意味かな?」
不思議そうにかすかに首をひねる。
本当に何のことだかわからないという態度。
だけどそれを信じるほど、キラは単純ではない。
「十分避けられたくせに」
「買いかぶりすぎだよ」
「でも、少なくとも左手でガードに入るつもりではあったよね」
「まさか」
「とぼけないでいいよ。僕以外誰もいないんだし」
普段のキラらしくないきつい口調。
怒っているのはわかるのだが何に怒っているのか見当がつかず、だからこそどう返答してよいものか逡巡する。
彼がシロだと判明した今、偽りを認めることは簡単だ。
だが容易にそれを認めるにはリスクが大きすぎて。
キラを疑っているわけではないが、知られる情報はできるだけ少ないほうがいいのだ。
「心臓病っていうのも嘘だよね。君のオーラは健康体そのものだもの」
ビシ、と指を突きつけられて上目遣いで睨まれる。
その様子が小動物のようで思わず笑いが漏れた。
「意外に鋭いんだな」
「やっぱり…っ!」
「心臓病の病弱男は、ボールにぶつかるほうが自然だろう」
「自然って…」
「あやしまれたくないんだ」
「誰に?」
「それがわかればね」
軽い言葉。だけど表情はいつになく真剣で。
理解できなくて首を傾げると、小さな笑い声。
あ、笑った。
いつも笑顔でいるけれど作られたようなそれはどうしても慣れなかったから、目の前で微かではあるけれど笑みを浮かべてくれたのが何故か嬉しかった。
異変に気付いたのはすぐ後。
「――?!」
ざわりと揺れた空気にアスランの背筋を何かがざわりと這い上がってきた。
懐に忍ばせていた銃に手を伸ばし、すぐにでも対応できるように気配を研ぎ澄ます。
慣れ親しんだこの気配。
刺すように鋭い空気。――いや、全身を包み込む敵意。
(――来た)
ビーストがすぐ近くにいるのだと、そうわかった。
この近辺に潜伏しているは分かっていた。
だからこそ学生としてこの学校へ潜り込んだのだ。
その予想は外れていなかったと証明できたのだが、さすがに状況が悪い。
アスランが今携帯しているのは護身用の銃だけ。
勿論普通の人間にならば相当の殺傷能力を持つものではあるが、相手がビーストとなれば威嚇程度にしかならない。
彼らと対峙するには万全の準備と体勢で挑まなければ勝利は厳しい。
つまり、今この場で襲われてはアスランでも勝機はないのだ。
何よりもここにいるのはアスランだけではない。
何の関係もないキラを巻き込むことだけは避けたかった。
風もないのに揺れる木々はビーストの警告だ。
近寄るな、離れろ、出て行け
ここまで明確な敵意を向けられたのは初めてで、迂闊に行動できない。
冷たい汗が背筋を伝って落ちる。
ざわ、と空気が音を立てた。
「な…に…?」
瞬時に変化した空気に、キラが困惑した声を上げる。
この気配は知っていた。あの森の中、アスランとの出会いの場で感じた木々の悲鳴。
それとよく似ていた。
違うのは、空気が敵意を含んでいるということ。
一体何故――?
キラの声に気付いたのだろうか。
気配はすぐに霧散した。後に残るのは、ただただ静かで穏やかな空気。
助かったことには変わりないが、信じられない思いでアスランは大きく息をついた。
あそこまで剥き出しの敵意。それをすんなりと収めることがどうしてできたのか。
アスランは隣に立つキラを見る。
無関係な人間を巻き込みたくなかったのか。それとも――。
「…何故いつも、君が関係してるんだ?」
「え?」
一度目は偶然。二度目は必然。
では、三度目ならば――。
狙いはよかったのだろうか。
ひっそりと呟いてアスランは校舎へと視線を向ける。
騒いでいる様子は見られない。
どうやら他の生徒は異変に気付かなかったらしい。
だが。
このままですむはずはないだろう。
校舎の奥、アスランの死角となる場所から見つめる瞳に、アスランが気付くことはなかった。
- 08.04.04