カナードが見舞いに訪れたのは、怪我をしてから3日後のことだった。
活発に動き回るタイプではない息子が怪我をしたという報告に驚いたカリダからしばらく学校を休むようにと心配顔で言われてしまえばキラが断れるはずもなく。
言われるまま大人しくしていたものの、怪我をしているだけで元気なものだからベッドに大人しくしているのも1日で飽きた。
かと言って家には専業主婦のカリダしかおらず、また今時の子供にしては珍しいほどキラはゲームをしない。
家で退屈を紛らわす術がほとんどなかったものだから、カナードの訪問は大歓迎だった。
トールがバイトのため代理で授業のノートを持ってきたと、本当にノートを渡すだけで帰ろうとするカナードを無理やり部屋に招き入れたのは、家が反対方向だというのにわざわざ訪れてくれた感謝の気持ちもあるが、それ以上に話し相手が欲しかったという気持ちの方が強い。
そうして半ば強引に引っ張り込んだキラの私室に、カナードは苦笑とも感嘆ともつかない声を上げた。
「すごいな」
そんな様子を見てキラは軽く笑う。
キラの部屋には、ありとあらゆる観葉植物が置いてある。
およそ一般的とは言えない数に初めて来た人は大抵驚くのだから、キラとしてもカナードの反応は珍しくない。
室内に足を踏み入れたカナードに気付いたのか、ベッドで眠っていたトリィがむくりと頭を上げた。
人嫌いというよりも男嫌いなトリィだから恐らく出て行ってしまうだろうと思ったのだが、トリィは警戒を見せることなくゆっくりと近づいてきて、カナードの足の上で丸くなって眠ってしまったのだ。
驚きに声も出ないキラの前で、カナードはトリィの毛並みを優しく撫でている。
「かわいいな」
頻繁に家に遊びにくるイザークはおろか、長年一緒に住んでいるディアッカにすら懐かないほど極度の男嫌いなのに。
ゴロゴロと喉を鳴らす姿は、キラ以外に滅多に見せないもので。
「トリィが懐いた…」
キラがそう呟くのも無理はない。
動物には好かれるんだというカナードの言葉に、キラはそれだけではない何かを感じた。
何故ならカナードは他の人達とは違うから。
以前から感じていた。
多分キラにしか分からない程度の、ほんの些細な差異。
カナードは植物からとても好かれている。
キャンプなどで森に行けばその違いは更に明らかで。
彼の存在を木々たちが歓迎しているとしか取れない喜びの声が森中を包み込んでいるように思ったのは一度や二度ではない。
今も――ほら。
一度も男性に懐いたことのないトリィが見せる無防備な顔。
室内の観葉植物たちの歓迎の声。
羨ましい、と正直思う。
キラも動植物に好かれているほうだが、それでもカナードとは比べ物にならない。
確かにこの部屋の植物達はキラに対して好意的だが、それはキラが愛情を持って世話しているからだ。
大地に根を下ろしている植物に無条件で好意を向けられるなんて、まるで自然界すべてに好かれているようではないか。
誰からも好かれたいとか虫のいいことを言うつもりはないが、それでも大自然に好かれているということはとても羨ましい。
だからなのだろうか、カナードが死の危機に瀕したにも関わらず山へと赴くのは。
自分と同じようで、まるで違うカナード。
彼は一体、何者なのだろう。
「キラ」
「何?」
「怪我が治ったら、山に登らないか」
キラの思考がわかったわけではないだろうが、あまりにもタイムリーな言葉にキラは思わず動きを止める。
だけど、それは魅力的な誘いで。
キラ自身、自然に触れるのは大好きなのだから。
「たまには下界を離れるのもいいぞ」
「うん。じゃあクラブのみんなと一緒に…」
だからカナードの言葉にキラは明るく頷いた。
「…できれば、2人がいい」
「どうして? 皆と一緒のほうが楽しいよ」
きょとんとカナードを見上げるキラに、カナードの真意は当然見えておらず。
そんな姿もキラらしくてカナードは苦笑する。
純粋で素直なキラ。
同じクラブの、気の合う仲間くらいにしか思われていないのは十分わかっていた。
良くて頼れる兄貴分といったところか。
同性だからという理由だけでなく、キラは恋愛にはひどく疎い。
そんなキラに告白するのは時期尚早だろうとは思うのだけれど。
それでも、溢れてくる気持ちは止めることができなくて。
「キラ」
「何?」
「付き合ってほしい」
見開かれる菫の瞳が、とても綺麗だった。
◇◆◇ ◇◆◇
『人間です』
そう告げられた声が頭から離れない。
疑わしい要素は沢山あった。
あの夜の出会い。
学校での事件。
彼が可愛がっていた兎を殺した少年達が死体となっていた。
『化け物』という目撃者の言葉。
植物が好きな少年。
そして、植物から好かれている少年。
ビーストがいるのは間違いなかった。
そして、最有力容疑者は「彼」だった。
虫も殺せないように見えたが、今までにもそういう例は何度かあった。
だから試した。
予想通りの結果に疑惑が確定に変わりつつあったというのに、検査の結果はシロだった。
彼はビーストではなかったのだ。
では、今まで自分が彼にしてきたことは――。
「気にするな」
かたん、と小さな音とともに目の前にコーヒーが置かれた。
去っていく手をたどっていけば、強い意思を秘めた瞳とぶつかる。
「ビーストを処理した現場に現れて、どうして人間だと思える。わたしだってお前と同じ行動を取る。むしろ殺すべきだったんだ。あの場で」
「…人間を殺すのは嫌だ」
「相変わらず甘いな。あいつがビーストだったら、死んでいたのはお前だったかもしれないんだぞ」
強い強い瞳。
己の行動が正しいと信じて疑わない彼女は、おそらく自分よりもずっと強いのだろう。
自分の使命が何たるかをよく知っている。
そしてそれに対して迷いがない。
自ら望んで今の立場に立ったというのに、こうして揺らいでしまう自分とは全然違う。
「とにかく、お遊びはここまでだ。すぐに帰国しろ」
強い視線に射抜かれそうで思わず視線を伏せたアスランに、カガリがきつく言い放つ。
「嫌だ」
「これ以上は駄目だ。危険すぎる。あいつがビーストでない以上、ビーストは他にいるんだ。もしかしたらお前のすぐ身近に」
「奴らが人間じゃないなら、必ず違いがあるはずだ。俺はそれを知りたい」
言いなりになるのが面白くないとでも言わんばかりに子供のような駄々を言うアスランに、カガリの眼差しが更にきつくなる。
初めて会った時から、どうしてか放っておけなかった。
深い傷を負った翡翠を見てしまったからかもしれない。
信じていた世界が崩壊してしまった、かわいそうな子供。
カガリが知るアスランは、いつまでたってもその頃の印象のままだ。
背は高くなったし、同僚としても抜きん出た才能を持つ相手ではあるが、それでも時折見せる表情には深い絶望と孤独に彩られていて。
冷酷であろうとすればするほど脆さが目立つアスランがこのままここにいればどうなるか、カガリには容易く想像がついた。
ただの人間に傷を負わせたことを、こんなにも後悔するほど、アスランは脆い。
そこを敵に突かれない保障などどこにもない。
「知る前に殺されるぞ!」
「かもな」
穏やかな微笑みは、およそ今の会話にふさわしくなく。
それほどまでに今回の事件に執着する理由がカガリにはわからない。
ビーストは敵で、殺さなければ世界が滅ぶ。
幼いころからそう教えられて生きてきたカガリには、ビーストを知ろうという感情などない。
その違いだろうか。
だが…。
「お前、正気じゃないぞ…」
そうだな、と呟いたアスランが何を求めているか、カガリにはわからなかった。
- 08.01.07