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緑夢 10


「――では、間違いなく確かなんですね!?」

受話器を握る手が震えている。
動揺していたせいか手が机上にあった書類にぶつかり、雪崩となって床へと落ちていった。
だが、そんなことを気にしていられる状況ではない。
突然の来訪者。告げられた肩書き。
噂には聞いていたけれど、実際に目にするのは初めてだった。
世界でも100人いるかいないかという特殊な彼ら。
組織の末端に位置する男には、まさに雲上の相手だった。
だからこそ、先ほど現れた人物が信じられず、こうして調べられる限り上層部の人間に確認の電話をしているのだが。
告げられた内容は一言――YES。
間違いないのだ。
受話器の向こうから聞こえてくる声に、見えていないにも関わらず男はぺこぺこと頭を下げる。

「いえ、そういうわけでは…。ただ…その…とてもそんな風には見えないもので…」
『――』
「はい。勿論全面的に協力させていただきます」

その言葉を言い終えると同時に切れた通話にしばし呆然としながらも、男はすぐに受話器を戻した。
振り返ると同時に扉が開いて部下が姿を見せる。
何かを言おうとする部下の横を素早くすり抜ける男に、部下が目を丸くする。
この国立生物学研究所の所長という肩書きを持つ上司は、優秀ではあるが常にマイペースで今のように急いでいるという姿を見たことがなかった。
ましてやあのように血相を変えた姿など問題外である。
何があったのだろう。
部下は室内に散らばった書類を広いながら首を傾げた。

用意された部屋に彼はいた。
4人掛けの大きなソファーに座ろうともせず窓の外を眺めているのは、少年とも青年ともつかないまだ若い男性。
壁際に身を置いているのは警戒を怠らないからだろうか。
ゆっくりと向けられる視線は、少年が持つものにしては似つかわしくないほどに鋭い。
だが、彼の経歴を知ればそれも当然だと思う。

「身元確認はすみましたか」

問いかけというよりは確認の声に、所長は呑まれたように頷いた。
まだ十代の若者。
それなのに圧倒されるほどの雰囲気を持っているのは、彼がそれなりの場数を経験した人間だからであろうか。
驚くほど端整な顔立ちは無表情だと更にそれを際立たせて、まるで精巧な機械のように思える。
翡翠色の瞳に射竦められたように、所長は汗を拭う。
外はうだるような暑さが続いているが、研究所は冷暖房完備で常に快適な温度に設定されているため外気は伝わってこない。
彼の額に浮かぶのは暑さとは違うものだ。

「申し訳ありません。なにぶん本物のハンターが直接こちらに来るということは前例がないものでして…」
「非公式なもので――これを」

言いながら懐から取り出したのは小さな瓶。
片手で握れるほどの小さなそれには、赤い液体が入っていた。
それが何か所長にはよく分かっていた。
ここは国立生物学研究所。
エイズの専門機関であり、国内での血液検査のデータがすべて集められてくる場所でもある。
そして、その実態も――。

「至急これを調べてもらいたい」
「ビースト、の血ですか?」

彼が直接持参するということは、これがそれだけ貴重だということなのだろうか。
それとも緊急を要する、とか。
だが、青年は首を振った。

「疑いがある」

ハンターである彼が特定できない人物の血液なのだろう、おそらく。
どういう経由でそれを摂取してきたか気になったが、彼にそれを訊ねる権限は与えられていない。
ハンターとたかが一機関の所長とでは、立場が天と地ほども違う。

「遺伝子レベルでビースト検査をお願いしたい」

告げられた言葉に対して拒否権はない。
彼に許されることは頷くことだけだ。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「ラスティが?」

長い勤務時間を終えてようやくディアッカが戻ってきたのは、ラスティが帰ってから6時間後だった。
それほど遅くならないはずだから待っていたらとカリダは勧めたのだが、用事があるからと帰っていったラスティに、待っていなくてよかったと心底思った。
あまりの顔色の悪さに心配がないと言ったら嘘になるが、彼の仕事を邪魔するつもりはないし、何よりもディアッカがいつ帰ってくるか本当にわからなかったのだから、無理矢理引き止めるのも申し訳ない。
結局早く帰ると言っていたディアッカが帰ってきたのは深夜に近い時間だったのだから、結果として待たなくて正解だったのだが。

「あのさ…」
「何だ」
「ラスティって、どこか身体悪くしてたりとかする?」
「んなわけあるか。あいつには病原菌すら近寄らん」

キラがラスティと会うのは久しぶりだったが、もしかしたらディアッカは自分よりも頻繁に会っていたかもしれないと思った問いかけだったが、返ってきたのは無情とも言える言葉で。
その言葉に安堵すると同時に、ではどうしてあんなに弱々しいオーラを放っていたのか不安になる。

「ラスティ、すっごくやつれてたよ」
「あー。あいつエイズの検査するとか言って外国に飛んでったくらいだからな。多分碌に飯も食わずに働いてたんだろうよ」
「エイズ…」
「んーあー、エイズだか何だか感染病とか言ってたな確か。仕事に夢中になってオーバーワークしちまったんじゃねえの」
「ならいいんだけど…」

仕事大好き人間のラスティらしい言葉を聞けば、少しは安心する。
だが、あのどこか張り詰めた空気と思い悩んだ様子は、それだけで忘れることはできないものだったが。

「そういえばラスティがね…」
「悪いキラ、ちょっと後にしてもらってもいいか。さすがにキツイわ…」

スーツを脱ぎ捨てるなりベッドに横になったディアッカの顔には疲労の色が濃く出ている。
ここ連日働きづめなのだから無理もない。
折角もぎ取った休暇すら、事件の一言で取り消されてしまうのだから、さすがの体力自慢のディアッカも体力の限界なのだろう。

「あぁ、うん。じゃあまた後でいいや」

ラスティからの預かり物を渡そうと思ったのだが、この様子ではすぐに見てもらえるとは思えない。

「悪いな」

ひらひらと手を振ってはいるものの瞼は今にも閉じてしまいそうで、キラはお休みなさいと声をかけてから部屋を後にした。



 子羊が第四の封印を解いたとき、
 第四の生き物が「きたれ」という声を
 わたしは聞いた。

 そこで見ていると、見よ、
 青白い馬が出てきた。

 そして、それに乗っている者の名を「死」といい、
 それに黄泉が従っていた。

 彼らには、地の四分の一を支配する権威、
 および、つるぎと、ききんと、死と、

 地の獣らとによって、人を殺す権威とが
 与えられた。


  • 07.12.05