郊外の森。
都心からそう遠くないが緑が溢れるこの場所は、休日ともなれば家族連れが集まるキャンプ場から少し離れているせいか人の姿は少ない。
実は穴場なのだと話していたのは、生物部のトールだ。
生物部恒例の自然観測。
言葉の通り一泊して自然を観察するという活動で、単なるキャンプのことだ。
2日後に行われるそれは、今回はこの場所が選ばれていて。
キャンプのピークも過ぎたし意外に利用者が少ないことから、多分動物にも会えるかもしれないと楽しそうに笑っていたのはミリアリア。
彼らは本当に自然が好きだ。
地味な活動だと思っていたがとても楽しそうで、入部してきたアスランに対しても親切に説明してくれる。
お人よしで善良な一般生徒。
その中に加わるのは、存外心地よかった。
だが何時までもそうしているわけにいかないのは重々承知で。
そろそろ確認しなければならない。
そう思いやってきたこの場所。
キャンプをするには絶好の場所だが、利用客が少ないのはテントを張れる場所が少ないためか。
木々に囲まれた先にある渓流。
足場は少々悪いが、どうせ彼らは裸足になるのだろうし気にしないはずだ。
ふと、視界にガラスの破片が映る。
瓶でも割れたのか。鋭い欠片が周囲に落ちている。
危ないなと思いサングラスを外し、それを拾おうと一歩踏み出す。
と――。
クーン、という小さな声とともに繁みをかきわけて白い子犬が姿を見せた。
このような森の中なのだから飼い犬ということはないだろうが、野良にしては人を警戒しない。
近くにキャンプ場があるから、もしかしたら連れて来た飼い犬が逃げてきたのかもしれない。
物怖じせずに近づいてきた子犬は、差し出されたアスランの手を嬉しそうに舐めている。
はぐれて寂しかったのか、まったく警戒せずにアスランにじゃれつく子犬の姿に、封印していたはずの感情がかすかに蘇る。
大きな身体。
いつでも一緒にいたかけがえのない友達。
艶やかな毛並みが大好きだった。
押さえつけられても抵抗しない様子に、胸の奥が痛む。
動物が大好きなあの少年。
殺された兎を埋葬していた姿。
紫水晶の瞳が潤んで見えたのは、気のせいではない。
キャンプ場で動物の死体を発見したら、彼はどうするだろうか。
押さえていた手に力を込めると、それでも子犬は動かない。
信頼しているのだろうか。
初めて会った自分を。
「………」
後悔しないと決めていた。
何を犠牲にしても。
自分には成さなければならない目的があるのだからと。
翡翠色の瞳をわずかに伏せる。
やがて手の中のぬくもりが消えるまで、アスランは冷たい眼差しで子犬を見つめていた。
◇◆◇ ◇◆◇
暦の上では秋とは言え、気温はまだまだ暑い。
到着するなり裸足になって渓流に飛び込んだ仲間の姿に苦笑しつつ、ミリアリアは残されたメンバーで食事の準備を始めていた。
極力ゴミを出さないということを徹底しているため、食事の支度は女子達の仕事だ。
残った男子に焚き火のための小枝を拾ってくるように頼み、川の中にいる男子にはついでだから川魚でも獲ってくるようにと誰かが用意した釣竿を放り投げる。
自然観察を目的としているキャンプではあるが、釣った魚を夕食にすることくらい大目に見てくれるだろう。
どうせ大して釣れないのだし。
「このくらいあれば足りるかな?」
「あ、アスラン君。うーん、まだちょっと足りないけど、他の子も取りに行ってるから十分よ。ありがと」
両手に抱えるほど小枝を拾ってきてくれたアスランに礼を言って、ミリアリアは野菜の皮むきを続行する。
本日の夕食はキャンプの定番カレーだ。
定番中の定番だけれど、文句を言う人はいない。
「アスラン君は川で遊んでこないの?」
「折角だけど遠慮しておくよ。着替えがないんでね」
そう言われてアスランの格好を見てみれば随分と軽装で。
確かに他の男子に比べてジーンズの替えまでは用意していないらしい。
そういえば話していなかったなと思い、でも話したところでアスランが着替えを用意してくるとは思えない。
むしろトールあたりが教えたけれど、わざと持ってきてないのかもしれない。
アスランが川遊びなど、似合わなさ過ぎて笑えてしまう。
川を見れば、子供のように水のかけあいをしている恋人と友人の姿。
「あーあ、キラもトールもはしゃぎすぎ」
キャンプに来るのは初めてでもないのに、毎回遊んでいるのだからまったくいつまでたっても子供みたいだ。
「彼らとは随分仲がいいけど、いつから?」
「キラとトール? そうねえ、トールとは小学校からの付き合いだけど、キラとは中学かな。学区が違ったのよ。噂は聞いてたけどね。本人は気付いてないけど、キラって結構有名人だったのよ」
「有名人?」
「そう。ほら、キラって見た目ああでしょ。女の子より可愛い男の子がいるって、うちの学校でも随分騒がれてたりしてね。変な人に好かれることも多かったし、実際何度か誘拐されかけたりとかして大騒ぎになったこともあったみたい。ディアッカさんがキラの家に下宿しているのも、実はそれが関係あるって話だし」
「あぁ、あの時の刑事」
「で、中学で一緒になった時、やっぱりそんな噂のせいか、キラの周りって男の子ばっかりでね。まあ自分よりも可愛い男と一緒にいたくないって乙女心も分かるんだけど、話してみるとキラってばすごくいい子だから、外見で敬遠する子達はすごく勿体無いことしてると思うのよ私としては」
「熱烈だね」
「そうよ。あたしってばキラのお姉さん代わりだからね」
くすくすと笑うミリアリアにアスランの眼差しも柔らかくなる。
相変わらず不思議なところはあるけれど、ミリアリアにとってキラは大切な友人で、だからこそこうして一緒にいるのだ。
「彼は、その、動物の気持ちがわかると聞いたんだが…」
「ああ、そのこと。本当よ。動物だけじゃなくて植物の気持ちも分かるみたいだし、オーラとかも見えるって。私は見えないけど、キラが見えるって言うんだから見えるんでしょうね」
「ふーん」
アスランの眼差しが川で遊んでいるキラへと向けられる。
つられるように視線を向けて、キラの表情が一変したことに気付く。
川の中央で蹲る姿。
いくら夏とは言え、それはさすがに不自然で。
身動きしないキラの足元がみるまに赤く染まっていくのに、ミリアリアが悲鳴を上げた。
「キラ?!」
思わず立ち上がった身体を、隣から伸びた大きな手に遮られた。
「アスラン君?!」
「危険だから」
「でも…」
「大丈夫。部長が今行った」
指差す方向、対岸にいたカナードが血相を変えて川の中のキラを抱えあげるところだった。
安心するように息をついたものの、キラの足は真っ赤に濡れていて、どうやら川の中で何かを踏んで傷つけてしまったらしい。
ぽたぽたと落ちてくる雫。
多少の怪我ではないのは流れてくる赤い雫で十分に伺える。
どうやら傷は浅くないのだろう。
カナードにしがみつくキラの顔は蒼白で、ミリアリアは慌てて駆け寄った。
「キラ!」
「大丈夫。ちょっとガラス踏んじゃっただけ」
「大丈夫じゃないでしょ! こんなに血が出て…」
下ろされた岩場には血溜まりが出来ている。
カナードが刺さったガラスを丁寧に抜いていくけれど、破片の数から傷口は一箇所だけではないことがわかる。
アスランの差し出したハンカチを、申し訳なく思いながら拝借して傷口に当てると、白いそれが見る間に赤く染まる。
その様子を見てカナードが眉を顰める。
「これは、病院行きだな」
「え!?」
「最悪縫わないと駄目だろう。ガラスの破片が残ってても問題だし」
タクシー呼んだよというトールの声に、さすがに拒否するわけにもいかない。
こうしている間にも押さえたタオルは赤く染み出してきているし、正直かなり痛い。
出血が多かったせいか怪我をしたというショックのせいか、目の前もぐらぐらとしているのだから、これはカナードの言う通り早いところ病院に行ったほうがいいようだ。
「この子、お願いしてもいい?」
パーカーにくるまれた物体を渡されて、カナードがかすかに目を瞠る。
「何? 子犬?」
「岩の上にいたんだ。放っておくのも可哀想だし」
どうやら川の中にいた子犬の死骸を放っておけなくてガラスで足を切ったらしい。
この天候だ。腐敗は始まっているけれど特に目立った外傷はない。
キャンプ場に連れて来られて迷子になる犬がいるという話を聞いたことがあるが、どうやらこの子犬も同様でおそらく彷徨っているうちに川に落ちてしまったのだろう。
外傷がないということは水死か餓死か。
放っておけないキラの気持ちも分かる。
「わかった。埋めておくよ」
「ありがとう」
安心したように微笑むと、キラはミリアリアとトールに付き添われて病院へ向かった。
遠ざかる車の姿を心配そうに見送るメンバーの中、カナードは新入部員の姿がないことに気がついた。
「アスランは?」
さあ、という声を聞きながら、カナードは視線をめぐらす。
彼は一体どうしたのだろう。
しっとりと濡れたハンカチは、軽く持ち上げただけで含んだ血液が滲み出す。
滴る血液を用意しておいた小瓶に移す。
掌に隠れるほど小さな小瓶に半分ほどそれを集めると、それを見つめアスランは小さく笑う。
これでいい――。
- 07.10.31