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緑夢 06


傾き始めた月は、満月よりもやや劣るものの明るい光で夜道を照らしている。
住宅街が多いこの周辺では、夜になると人通りは途絶えてしまう。
夜道に出歩く者は残業帰りのサラリーマンか野良猫くらいだ。

だから、犬よりも大きな体格の獣が走り去っていくのを見た者は誰もいなかった。



若者の違法ドラッグの使用が問題視されている昨今。
警察がいくら取り締まりを強化しても一向にその数は減らず、最近ではその数も増加傾向にあると言われている。
マリファナやコカインの類ならば夜の繁華街に行けば安価で手に入るらしく、そうして手を染めた少年達はやがて薬の作用で残虐性を強めていく。
暇だからという理由で学校に侵入した3人の男女も、慢性的な薬物依存者だ。
薬の副作用か気持ちが大きくなっているのだろう、セキュリティーの弱い壁をよじ昇り花壇を無残に踏み荒らすと、眠っている兎に目を付けた。
鍵を無理やりこじ開けると無造作に一匹掴んで壁に叩き付ける。
肉の潰れる嫌な音がして兎は痙攣して動かなくなる。
その姿に膨れ上がった残虐性が更に強くなり、彼らは数羽の兎をそうして意味もなく殺害していった。
流れる血を見て狂ったように笑い出す少年少女。
彼らに後悔も罪悪感もない。
まるでゲームのように殺戮を繰り返していく姿は、正気の者が見たら叫ばずにはいられないだろう。
むせかえる血の臭いの中、まるで英雄気取りの少年達の背後で、繁みががさりと音を立てた。
唸り声からして猫か犬だろう。
新たな獲物を見つけた少年がその繁みに手を伸ばした時――事態は逆転した。

ぐしゃり、という音がして少年の身体から力が抜ける。
訝しがる2人の前に飛んできたのは、先程の少年の首。
無残に引きちぎられたそれはすでに人間の顔をしておらず、それに気付いた2人の口から悲鳴が響くが、広大な学校の敷地内しかも深夜ともなれば駆けつけてくる人などいるはずもない。

グルルルルル

低い唸り声は犬のそれではない。
がさり、と繁みを揺らして姿を見せたのは、自分よりも大きな獣の姿。
見たこともないその獣に、少年の手からナイフが滑り落ちる。
戦意はすでに喪失している。
逃げようとした身体は、大きな爪に引き裂かれた。





   ◇◆◇   ◇◆◇





断末魔の悲鳴としか言えない声に、近隣の住民から警察へ通報が入ったのは午後2時を越えたころだった。
何者かが学校に侵入したらしいという通報でやってきたのは1台のパトカーだったが、校庭の惨状に気付いてすぐに1課に要請を出した。

「前回と同じく、謎の猛獣――かね?」

広範囲に散らばる肉片を見やり、ディアッカは同僚へと問いかける。

「検死解剖しなければ正確なことはわからんが、おそらくそうだろう」
「だけどさ、動物園もサーカスも果てはペットショップまで、そんな動物が逃げたっていう報告はどこにもないだろ」
「あたりまえだ! 歯型、爪痕、獣毛と、該当する動物は存在しないんだ。文字通り謎の猛獣だ。動物園なんかにいたら逃げる前に大ニュースになるぞ!」
「なら何で目撃者がいないんだよ。この都心で大型の猛獣が人目につかずうろつくなんて不可能だろうが」
「知らん! それを調べるのがお前の仕事だろうが」
「うわ、俺だけかよ。ひっでー」
「五月蝿い! 貴様は俺の部下なんだからな。お前が調べるのが当然だろう!」

横暴だとぼやくもののイザークは目を離すと無茶をするため、何だかんだ言いつつも情報収集は自分の方が適役なのは承知している。

「それにしても、よりにもよってこの学校か」
「何だ? 知人でもいるのか?」
「あー。うちのキラが通ってるんだよね」
「そうか…」

キラのことはイザークもよく知っている。
明るく素直で、ディアッカと血が繋がっているのが信じられないほど優しい子供だ。
イザークのことも兄のように慕ってくれるため、イザークもキラを可愛がっている。

「あいつ、生物部に入っててさ。夏休みなのに兎の世話ーとかって楽しそうだったんだよなー。これ見たら泣くぞ」
「…仕方あるまい。馬鹿なガキが悪い」

被害者の遺体とは別の場所に散乱していた兎の死体。
明らかに娯楽で殺されたとわかる姿。
これを見たらキラは間違いなく泣くだろう。
できれば知らせたくないが、世話をしていたのだからいなくなればすぐにわかる。
ディアッカにはどうしようもないが、考えるだけで苦いものがこみ上げてくる。
物々しい警官の数に、夜中だというのに野次馬の数は増えていく一方だ。
その中に印象的な少年の姿を認めて、ディアッカは視線を向ける。
怜悧そうな、強い眼差しが印象的な少年。
野次馬根性で夜中にわざわざやってくるようなタイプには見えない。
この学校の生徒だろうか。

「ディアッカさん」

呼ばれて振り向けば後輩の姿。
彼は鑑識と一緒にいたはずだ。
声に意識を取られた一瞬、再び振り返れば少年の姿は消えていた。
釈然としないものを感じたが、気を取り直して後輩へと顔を向ける。

「何か出たか」
「コカインです。被害者はクスリをやっていたようですね」
「コカインだぁ。ガキのくせしやがって」
「たった1人の目撃者も、これでいよいよあてにならなくなりましたね」
「目撃者? 目撃者がいたのか?!」
「被害者の仲間の女の子が1人。でも、もう半狂乱で、『怪物が出た』の一点張りなんです」
「怪物――?」

やっぱりクスリで頭やられちゃってんですかね、と呆れたように呟く後輩の声はディアッカの耳を通り抜ける。
死体に残された歯型、爪痕、獣毛。
そして目撃者の証言。

これは一体――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





鋭利なナイフから滴る血。
ぐらりと傾いだ身体の向こうに見える殺人鬼の姿。
藍色の髪、翡翠色の瞳。
無表情のまま倒れる死体を一瞥した『彼』は、無表情のまま一歩近づいてくる。
向けられる眼差しは驚くほど静かで。
翡翠色の眼差しがキラを認めた瞬間、形のいい唇がにやりと弧を描いた。
足がすくんで逃げられない。
尤も逃げたところで簡単に捕まってしまうだろう。
体格が違いすぎる。
細い指が喉に触れる。
ひやりとした感触。まるで生きていないようなその冷たさに、ぞくりと背筋が冷える。
振り抜かれた腕が勢い良く下ろされる。
刃物がかすかな光を反射して――。

肉に食い込む嫌な音がすぐ近くで聞こえた。



「や――っ!!」



振り払おうと伸ばした手は虚しく空を切った。
その瞬間呪縛のように動けなかった身体が自由になる。
見開かれた視界に映るのは、見慣れた観葉植物。
カーテンの隙間からこぼれてくる朝陽。
足元で丸くなって眠っているトリィの姿。
窓の外で聞こえてくる小鳥のさえずり。

「夢……」

ナイフを手にしたアスランの姿。
あれはただの夢…?
脳裏に焼きついた光景を消すように大きく頭を振る。
起きるにはまだ少し早い時間帯だが、二度寝するにも微妙な時間だ。
更に夢見が悪すぎて寝直す気にもなれない。
着替えてリビングに行けば案の定珍しいものを見たというカリダの表情。
そして、予定では今日は朝から出勤のディアッカの姿がない。
どうしたのかと何気なく聞いて、告げられた理由に慌てて家を飛び出した。
学校に到着すれば案の定数台のパトカーがいて、見慣れた警官の姿もちらほらと見える。
好奇心に満ちた眼差しで彼らを見つめるクラスメイトの間をぬって目的の人物を見つけると、立入禁止と書いてあるロープを飛び越えてスーツを掴んだ。

「ディアッカ!」
「こら、キラ! 部外者は立入禁止って書いてあっただろーが」
「この学校の生徒だから部外者じゃないよ。それより殺人事件って拳銃? ナイフ?」
「…お前、人の話を聞けよ。おにーさんは寝不足で疲れてるんだっつーの」
「ねえったら」
「どちらでもない」

答えたのはいつの間にか背後に来ていたイザークだった。

「部外者というのは警察関係者ということだ。ちなみにこの場合は刑事の従弟という意味ではない。わかったらとっとと教室に戻れ。予鈴は鳴ったぞ」
「はい…。ごめんなさい」

ディアッカには我儘言い放題のキラだが、イザークにはそれができない。
遠慮しているというよりは、理論づくめで納得させられてしまうために言い返すことが出来ないのだ。

「あぁ、そうだ。お前ナイフか拳銃なら心当たりあるのか?」
「ううん…ちょっと夢見て」
「夢だぁ? お前とっとと戻れ。こっちは仕事中だってのに、くだらないこと言ってんじゃないぞ!」
「だからごめんってば」

乱暴に髪をかき混ぜられてキラが上目遣いにディアッカを睨む。
いつまでたっても子供扱いされるのはいい加減にやめてほしいのだが、何度言ってもやめてくれない。
10歳近くも年が離れているから仕方ないのだろうか。
結局キラが解放されたのは、それからしばらくしてからだった。



そして、そんな兄弟のじゃれあいを微笑ましく眺めている人物がいた。
トールとミリアリアである。
キラが無謀にも突進していったのを目撃した2人は、のんびり静観することにした。
2人とも学校で起きた事件のことが気になっていたしディアッカの姿を発見してもいたのだが、さすがに従弟の友人というポジションでは何度か話したことがあるとは言っても直接訊ねる勇気はない。
その点キラならほとんど身内のようなものだし、警官の中にもキラを可愛がっている人がいるから、それなりに情報収集して帰ってこられるだろうという目論みから、遠くからそっと見守っていたのだ。
そんなミリアリアが登校してきたアスランに気付いた。
どうやらキラが刑事と戯れているのが不思議なのだろう。

「あ、アスラン君。おはよう」

ひらひらと手を振れば、近づいてくる姿。
口数こそ少ないものの、控えめな姿は好感が持てる。
キラが怖がっているのが理解できないほどだ。

「おっす。事件のこと聞いたか?」
「――あれは?」
「あぁ、キラのお兄さん」
「兄弟?」
「正確には従兄ね。彼、今キラの家に下宿してるのよ。お兄さんみたいなもの」
「刑事なんだってさ。しかも1課。ああ見えて結構敏腕らしいぜ」
「ふうん」

刑事の従兄。
ここ最近の事件には、すべて彼が関わっている。
そして、もう1人。
すべてではないが、いくつかの事件で関わりがある少年。
単なる偶然か、それとも――。


  • 07.10.03