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緑夢 02


「明朝は午前4時起床、早朝探鳥と鹿の観察。これは全員参加。今夜は自由参加で動物ウォッチング。運がよければ動物に出会えるだろう」

キャンプ地に到着しテントを張り終えたキラ達は、夕食の支度を前に本日と明日の予定を確認していた。
生物部の部長であるカナードを囲むように数人の男女が座っている。

「格好いいよね、カナード部長って」
「ルックスよし、成績よし。そして性格もいいなんて、出来すぎだよね」
「今夜、どうする?」
「あたしパス。蚊に刺されたくないもん」
「えー、あたしは参加するけどな。もしかしたら部長と2人っきりになれるかもしれないし」
「部長、今夜はCポイントにいるらしいよ。行ってみれば」

周囲からそんな声がちらほらと聞こえてくる。
生物部という地味な部活動だが、部員数は意外と多い。
ほとんどが幽霊部員だが、月に一度の自然観察と称したキャンプにはそれなりの参加者がいる。
自然観察というくらいだから野外活動ばかりなのだが、参加者に女性が多いのはこういった目論見があってのことだろう。
特に今月は夏休み中ということもあり、どこか解放的になっているようみも見える。
女子生徒の声が聞こえているのかいないのか、カナードは合宿の予定や注意事項を説明している。
キラの目から見てもカナードはいい男だと思う。
クールな外見に反して面倒見はいいし、何より彼は自然に好かれている。
彼の周囲では植物が優しい。
キラも他人から不思議だと言われるけれど、本当に不思議なのはカナードの方だと思う。
さわさわとかすかに揺れる葉は、まるで彼の存在を喜んでいるようにキラには見えた。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「あれ?」

夜も深まり月も空に昇りきった時刻、キラはふらふらと歩いていた先に見かけた姿に思わず声を出した。
その声に気付いた人物がキラを振り返り軽く笑う。

「カナード、Cポイントじゃなかった?」
「いや、Cポイントはトールだよ」
「あらま」

先ほどテントを抜け出していった少女達の姿が頭をよぎる。
ということは彼女達の計画は失敗に終わったということか。
少し可哀想な気がするが、運が悪かったのだから仕方ない。

「何かいた?」
「野兎が一匹だけ」

さすが自然溢れる森だ。
観察を始めて1時間ほどしか経過していないにも関わらず動物を目撃できるとは。
しかも野兎は警戒心が強い。
キラでさえ容易には見れない相手だ。
それを簡単に目撃できるとは、やはりカナードは不思議だ。

「そういえば、この夏も山に登ったの?」

訊ねれば小さく笑って肯定された。

「一週間ばかりね」

カナードの趣味は登山だ。
子供の頃から自然が好きで暇があれば山に登っていたらしい。
だが、彼は数年前に山で遭難して死にかけたことがある。
あの頃は地元でも騒ぎになって、ニュースでも大々的に放送されていた。
幸い九死に一生を得て生還できたが、それでも彼は山を嫌いにならなかったのだろうか。

「死ぬ目に遭ったっていうのに、そんなに山が好き?」

好奇心ではなく心配でそう訊ねる。
キラには想像もできないが、命を危険に晒してまで1人で山に登る気持ちがよくわからない。
こうして友人達とキャンプするのは大歓迎なのだけれど。
そんな気持ちが分かったのか、カナードはおどけるように首をすくめた。

「山には不思議があるからな」
「どんな?」
「言っても皆信じないさ」
「僕は信じるよ」

向けられた紫水晶の眼差しに、カナードの目がかすかに瞠られた。
たとえ荒唐無稽な話をしようが、誰が信じなかろうがキラだけは信じる。
そういう眼差しだった。

「じゃ、とっておきのを1つ」

近くの木陰に座るよう指示されて従うと、カナードは静かに語り出した。

「俺が3年前に遭難したのは知っているだろう」
「うん。奇蹟の生還って大騒ぎされたやつでしょ。捜索隊は出る、ヘリコプターは飛ぶ、ニュースには出る。それでも見つからなくて諦めかけた10日後だっけ? ひょっこり自力で下山してきたんだよね」
「その通り。冬山に碌に食料もなく10日間、よく生きていたと思わないか」
「だよね、普通なら死んでるよ」

雪が降っていなかったとは言え、育ち盛りの子供が10日間もどうやって寒さと飢えを凌いでいたのか。
よほど運がよかったんだろうと言おうとした言葉は、カナードの声に遮られた。

「実はそうなんだ」

ふと重くなった声のトーンに、キラが首を傾げる。
カナードは小さく呟く。



「俺はあの時、一度死んだ」



向けられた、自分と同じ輝きを持つ紫紺の瞳。
それは真剣な輝きを宿していて。
キラは言葉を失った。
死んだというのはどういう意味なのか。
死にかけたではなく?
告げられた言葉の真意がわからず目を瞬かせるキラに、やがてカナードが意地悪そうに笑った。

「信じた、か?」
「………あ」

からかわれたのだとわかったキラは頬をふくらませて立ち上がった。

「この…大ダヌキ!」

くすくすと笑う声を背中に聞きながら、キラは足早にその場を離れた。
キラを弟のように可愛がっているカナード。
他の人には人当たりのいい態度なのに、何故かキラにだけは時々こんな悪戯を仕掛けることがあって。
キラが怒るのを楽しんでいる節がある。
これさえなければいい友人なのに、とキラは足を止めて振り返る。
意地悪な友人の姿は木の陰に隠れて見ることができない。

「まったく…」

キラは諦めたようにため息をついて、森の奥へと足を勧めた。





   ◇◆◇   ◇◆◇





――山には不思議があるから



確かに森は不思議だ。
無数の草や木のオーラが重なりあいひとつになり。
森のそれは、エネルギーの流れを持つ。
巨大な大地のオーラとなる。
森は。
地球のエネルギーに満ちている。

キラは大木のオーラに身を委ねるように、樹木に凭れかかったまま目を閉じていた。
夜の森は昼間とは違うエネルギーを放出している。
優しく包み込むような気の流れは、人々の疲れを癒してくれるようで。
自分にしか見えないというのが勿体無い。

(こんなに綺麗なのに)

全身に注がれる優しい気。
目を閉じたままうっとりとそれに身を委ねていると――。

「!?」

不意に森が叫んだ。
ざわめきなどではない、明らかな絶叫。

(何!?)

声にならない悲鳴を上げている。
初めて感じるその切羽詰った『声』に、キラは弾かれたように声のする方向へ走り出した。

(何か…!!)

想像もつかない事態が起こっているのだという確信があった。
月の光のみを頼りに、だが何かに導かれるように森の奥へと走り、そして『ソレ』はあった。

月光がソレを照らし出し、キラは足を止めた。
そこにあったのは無残に引きちぎられたと思しき人間の左腕。
赤黒く見えるのは血だろうか、細く筋を残している。
その先に転がる、人の躯。
どのような方法でか、その胴体は半ば吹き飛ばされており、頭部はぐちゃぐちゃに破壊されている。

「!!」

脳裏が真っ白になった。
今まで生きてきた16年。
これほどに凄絶な光景を目撃したことは一度もなかった。
悪夢のような現実。
ふらりと傾いた身体を一歩後ずさることで何とか持ちこたえる。

「な…」

悲鳴を上げるよりも先に強い力で引き寄せられた。
何が起きているのか理解する前に突きつけられた硬い何か。
声を出さないように覆っている手には革の感触。
突きつけられたのが銃だとわかる前に、突然の暴挙に防衛本能が勝った。
覆っている手に力一杯噛み付く。
肉に食い込む嫌な感じを口内に感じたが怯まずに相手の足を踏みつけると、抵抗されると思わなかったのか、拘束はキラが思うよりもすんなりと解ける。
状況も理解できないまま元来た道を戻ろうと震える足を叱咤しながら駆け出した途端、大きな音が闇を引き裂いた。
一瞬息を詰めるが身体に痛みを感じないということは外れたのだろうか。

この距離で――?

キラの隣の木が大きく抉れている。
おそらくこれが先程の男性を殺めた凶器。
銃や武器の類にまったく興味がないキラだから、これが何口径かはわからない。
だが、彼がその気になればキラ1人葬ることは容易いのだろう。
このまま逃げ切るのは不可能だ。
促されたわけではないが、キラはゆっくりと後ろを振り向いた。
徐々に明らかになる殺人鬼の姿。
大きなゴーグルのせいで全貌はわからないが、まだ若い男。
月光を受ける黒い髪――いや、若干青味がかっているだろうか。
引き締まった身体に漆黒の服を纏った姿は、森の中では似つかわしくない。
だが、それよりも全身から放出される膨大な『気』に圧倒された。



(すごいオーラ…)



足元に転がる死体すら気にならない。
それほどの誘引力。
先程の銃声に鳴きやんでいた虫や梟の声が、突如響き始めた。
それに気付いた男がわずかに意識をキラから逸らした。
息が詰まるほどの緊迫感から解放されたキラが異変に気付いたのは、その一拍後。

「!?」

木々達の声のない意思が森に充満していく。
嘆きというよりも安堵するようなそれに視線を上げたその時、突如足に強い力を感じた。
この場にいるのはキラと目の前の男だけ。
少なくとも、命ある者は――。
強い力。
それを無視できなくて。
振り向いた視線の先に見える禍々しい緑色の輝き。
顔を半分吹き飛ばされ胴体も千切れかけたソレがキラの足をきつく掴んでいた。
見開かれた眼球は緑一色。
まるで緑色の光のようなそれが、片方だけでしっかりとキラを見据えていて。
滴る血。
半ば以上崩れた身体。
だが、それは確実に動いていて。
空いた手がキラへと差し伸べられた――。


  • 07.09.25