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藍よりも深く 35


作戦決行まで1時間を切った。
格納庫では整備班が最終チェックに入り、ブリッジでは作戦の準備に余念がない。
ヴェサリウス・ガモフ両艦ともに緊迫した空気に包まれている中、作戦の要とも言えるパイロット達は至って呑気に待機室に集まっていた。

「しっかし、煽ったのは俺らだけどさ、ここまでアレだと何か腹立つよな」
「予想はしてましたけどね」
「デレデレしやがって」
「あら、でも微笑ましいではありませんか」

ディアッカ、ニコル、イザーク、ラクスがそんなことを話しながら向けている視線の先には、つい先日晴れて両想いになった初々しい恋人の姿。
抱きつかんばかりの体勢で談笑している姿は以前と何ら変わりはないが、それでもお互いの想いが通い合っているせいか、醸し出す雰囲気は蕩けるほどに甘い。

「僕、アスランは恋愛には淡白なほうだと思ってたんですけどね」

下手に話しかけようものなら馬に蹴られてしまいそうなほどの熱愛ぶりに、兄とも思い尊敬していたニコルは小さくため息をつく。
口数も少なく決して自分の心の内を見せないアスラン・ザラは、まさに『完璧な優等生』を絵に描いたような人物で、その年齢よりも大人びた感のあるアスランにアカデミーで知り合ってから憧れていたニコルにしてみれば、今のアスランはまるで別人物のように思えてしまっても無理はない。
だが、それでも失望するわけではなく、むしろただ1人の相手を深く想うアスランに新たな羨望を抱いていた。
唯一無二だと明言できるほどの絆の強さは、恋愛に奥手のニコルにはまだ理解できない感情だが、それが容易に手に入れられるものではないことくらいわかる。
ニコルの両親も未だに新婚夫婦のような仲睦まじさだが、アスランとキラはそんな両親とも違う何かを持っていた。
この2人は一体どれだけ深い絆で結ばれているのだろうか。

「あれは絶対ムッツリだよな」
「あら、アスランはキラにしか興味がないだけだと思いますわ」
「フン」
「イザーク、もしかして羨ましいとか?」
「バッ、バカなことを言うな!! そんなわけあるはずないだろうが!!」
「はいはい、そういうことにしておこうか」
「ディアッカ!!」

ガモフにいるはずの3人がヴェサリウスに待機しているのは、2人の仲がどれだけ進展しているかという野次馬根性の賜物だ。
間もなく作戦決行の時間になるのだから本来ならばガモフに戻らなければならないところだが、彼らはMSでヴェサリウスへ移動してきており、どうやらこのままガモフに戻るつもりはないようである。
これから戦闘を始めるパイロット達の会話とは到底思えない、穏やか且つ呑気な会話を交わしつつ、彼らの視線は相変わらずアスランとキラに向けられたまま。
幸せそうな2人の姿はとても微笑ましく、戦争によって一時は最悪の展開すら起こりうる可能性があったせいか、こうやってお互い寄り添っていられることがどれだけかけがえのないことなのか、目の前の2人は身を以って教えてくれた。

(愛なんて言葉、あんまり信じてなかったんだけどな…)

ディアッカは心中でひっそりと呟く。
女性経験はおそらくこの中ではダントツに多いであろうディアッカではあったが、何度か情を交わしてきた女性に対して愛情を抱いていたかと言われれば答えは否だ。
端整な顔立ちと優秀な頭脳、そして最高評議会議員の息子とくれば、それこそ寄ってくる女性は腐るほどいた。
そんな女性達と戯れ半分に付き合っていたディアッカは、誰かを強く想うということはなかった。
恋愛なんてどうせ思い込みだろうと公言して憚らなかった数年前の自分は、何て無知だったのだろうか。
愛という言葉を信じてみようと思えるようになったのは、確かに2人のお陰だろう。
そんなこと照れくさくて絶対に本人には教えるつもりはないが。

寄り添う2人の姿は幸せそうで、できることなら邪魔はしたくないのだが、間もなく作戦開始時刻になろうという時間になってしまっては仕方ない。
急かすように艦内アナウンスが流れてしまえば、パイロットである自分達はいつでも発進できるように待機していなければならないのだから。
そしてそれはキラにも言えた。
MSが発進してから十分後とは言っても、彼女もまたストライクで仕事が待っているのだから。
ストライクがヴェサリウスから発進しないにしろ、やはり彼女が遅れてしまっては作戦そのものの成否がかかっている。

「アスラン、時間だ」

そう告げれば案の定不機嫌な視線を向けられた。
相変わらずの心の狭さにひっそりとため息をついて、無言で時計を指し示す。

「あ、じゃあ僕もストライクに行くよ」
「気をつけてくださいね、キラ。そして、皆さんも。私はここから皆さんのご無事をお祈りしてますわ」
「ありがとう、ラクス」

柔らかく微笑むラクスに笑みを返して、キラは待機室を後にする。
アスランの手に引かれるままふわりと翻ったキラのスカートから小さな何かが落ちたのに気付いたラクスがそれを拾ってみると、それはマイクロディスクだった。
通常のものよりも幾分小さいそれは、艦内でも肌身離さずにいるほど大切なものなのだろう。
呼び止めようと思い顔を上げたラクスの視界に、だが2人の姿はなかった。
追いかけたほうがいいのだろうか…?
数瞬迷ったが、ラクスはそのまま自分の部屋へ戻るために2人が消えた通路とは反対方向へ進んだ。

作戦は綿密に立てられており、戦闘に詳しくないラクスでも自軍の勝利は疑いようのないものだった。
キラが前線に立つわけでもないし、クルーゼ隊のパイロットは優秀だ。
必ずやキラの望むようにアークエンジェルを拿捕してくれることだろう。
そのための準備を自分が邪魔してはいけない。
作戦が無事に終了すれば、キラは必ず自分に会いにきてくれるだろう。
その時に渡せばいいのだ。
別に急ぐ必要はないだろう。

「大切なものでしょうし、きちんと保管していてくださいね。ピンクちゃん」
『ハロハロ! マカセロ!』

ぴょんぴょんと跳ねるハロへとそれをしまうと、ラクスは嬉しそうに微笑んだ。





   ◇◆◇   ◇◆◇





突然の警報に、クルーは驚きを隠せなかった。
今まで姿形すら見せていなかった敵艦の姿――見慣れた母艦2隻と3体のMSを前にして、意外なほどに動揺してしまうほどこれまでの航行が平穏だったということなのだが、目的のポイントまであと少しというところだっただけにその衝撃は大きかった。
何しろこちらには戦闘をする手立てがほとんどないのだ。
唯一のMSであったストライクはそのパイロットと共に行方不明。
戦力といえばMAがわずかに1機だけだ。
それもMS3体を相手に戦えるほどの戦力ではない。
アークエンジェルは新造艦でそれまでの戦艦に比べれば銃火器は充実しているが、それでもエネルギーのほとんどを航行に費やしてしまったために、今この状況で戦闘をするほどの余裕がない。
そして何よりも深刻なのは、艦を操縦するクルーの心がばらばらだということだ。
キラ・ヤマトの失踪に際して露呈した数々の虐待。
彼の置かれていた境遇に気付けなかった優しい友人達は何とか仕事には復帰してくれたものの、自分達を見る目には消えない不審の色があった。
問題の人物達には厳重注意を行ったが、どうやらそれが不服だったようで現在ブリッジと格納庫のクルーの人間関係もあまりいいとは言えなかった。
それでも今まで通り航行だけならそれほどの支障はなかっただろう。
だが、突然の襲撃に格納庫では戦闘準備が追いつかず、マードックが何とかメビウスの準備を整えようとはしてくれたが、ようやく準備が整った時にはすでにMS3体に囲まれてしまった後だった。

「何とかできないの!?」
「無理です! 距離が近すぎます!」
「くっ!!」

振り切ろうにも駆動力ではMSに圧倒的な分がある。

「MSが無理なら母艦を狙え! ゴットフリート照準範囲だろうが!」
「それが…システムが応答しません」
「何!?」
「何故かはわかりません。ですが…すべてのシステムが反応しないんです!」

まるでロックがかかってしまったように、操舵1つ思うようにならないと告げるノイマンの声に、ブリッジにいたクルーが凍りつく。
そこへ、ひどく静かな声が響いた。

『こちら、ザフト軍所属クルーゼ隊』

まだ若い、少年とも呼べるような声だった。

『貴艦のシステムは現在こちらの手中にある。大人しく投降すれば危害は加えないと約束しよう。繰り返す、貴艦のシステムは現在こちらの手中にある』

凛とした声は軍人特有の張りがあり、この声の持ち主はおそらく張り付いているMSのパイロットのうちの1人だとは現状から想像に難くない。
彼がどんな人物かはわからない。
だが、何度か戦闘した際に見かけた機体を駆る彼らの実力は身を以って知っており、今のこの状況で逃げられるとは思えなかった。

くすり、と乾いた笑いが聞こえた。
視線を向けると、そこにはどこか壊れたような笑いを口の端に浮かべる少年の姿。

「キラがいないと簡単に堕ちるんだな、この艦…」

そこに宿る明らかな非難に、マリューは言葉を失う。
友人思いの優しい少年は、未だに自分達を――否、キラを戦闘に駆り出したマリューを許してはいない。
彼がストライクに乗らなければこの艦は落ちる、そうなればこの艦にいるオーブの民間人も無事ではすまないと、そう言い続けて彼を戦闘に出させていた。
その言葉が真実だと、図らずとも現在の状況がそれを証明してしまっていた。

「で? どうするんですか? 投降? それともここで撃墜されるんですか?」

マリューの言葉一つで自分の命をも失うということをわかっているにしてはひどく他人事に聞こえる台詞を吐きながら、トールは小さく笑う。
その態度にナタルが激昂しかけたが、マリューはそれを片手で制した。
彼が自分を責めるのは当然の権利だ。
彼は上官の命令1つで個人の感情を押し殺すことのできる軍人でもなければ、友人の行方を案じずにいられるほどの冷血漢でもないのだから。

「この艦を敵の手に渡すわけにはいきません」
「艦長…」

意外そうに向けられた副官の眼差しを受け止め、驚愕に見開かれた少女の視線を感じ、マリューは言葉を続ける。

「ですが、それはこの艦に搭乗しているのが軍人だけならば、の話です。現在最優先されるべきはヘリオポリスの民間人の安否であって、我々の矜持ではありません」

マリューは毅然とした眼差しをスクリーンに向けた。
目の前に佇む赤い機体を睨みながら、マリューは言葉を紡ぐ。
おそらくは艦長として最後になるだろう命令を。

「信号弾を! 当艦はザフトに投降します!!」


  • 05.08.21