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藍よりも深く 34


自惚れてもいいのだろうか。

ラクスに促されるまま食堂を飛び出したアスランは、部屋へ向かいながらぼんやりとそんなことを思う。
ディアッカのプロポーズには端から相手にしていなかったキラが、自分の名に対して見せた過剰な反応は、どこか諦めを抱いていたアスランの心に僅かな希望の光を灯した。
少なくともあの時キラが自分に向けた顔は、異性として意識していない相手に対して見せる表情ではないと、それくらい恋愛に疎いアスランでもわかる。
もしかしたらと抱いていた、叶う確率の少ない願い。
それが現実のものになるかもしれないと思うと、どうしても高揚してしまう感情を抑えることができない。

プラント国防委員長の息子、中立を掲げる国の王女。
そんなバックグラウンドを持つ2人だから、気持ちを打ち明けることすらできなかった――否、打ち明けようとしなかった。
我ながら情けないことだと思う。
幼い頃から理知的と言われていたが、本当のところは臆病なだけなのだと、アスランは自分のことをそう分析する。
キラに告白して受け入れてもらえなければ、今のように接することはできなくなってしまう。
それどころか今の幼馴染という関係すら壊れてしまいそうで、そんなことになったらもう二度とキラに会うこともできなくなってしまう。
そう考えたら怖くて、感情のまま行動するなんてできなかった。
呆れるほどマイナス思考な自分に苦笑しつつ、それでも今だけは勇気を奮い立たせて目的地を目指す。

怖かったのは、自分が傷つきたくなかったから。
だが、それよりもキラが他人のものになってしまうことのほうが、何倍もつらいことだと気付いたのはディアッカのお陰だろう。
本気ではないとアスランですら気付いたそれは、だがアスランが必死で押し隠そうとしていた醜い独占欲を的確に刺激してくれた。
そしてわかったのだ。
今だけでも一緒にいられればいいなんて少しも思っていないことに。
これまでも――そしてこれからも、キラの隣に立つのは自分だけでありたいと。

何を失っても守りたい相手。
キラさえいれば何もいらない。
キラが隣で笑ってくれれば、それだけで。

だから――。

(確かめたい…キラ…)

彼女もまた、自分と同じであることを。





   ◇◆◇   ◇◆◇





部屋のロックはかかっていなかった。
相変わらずの無用心さに僅かに眉を顰めながら、アスランは足を踏み入れる。
無機質だった1人部屋。
機械をいじることくらいしか余暇を過ごす術を持たなかった自分が戦艦に持ち込むものと言えばマイクロユニットの備品くらいで、それも取り組む時間があまり取れなかったためにしまいこまれているため、室内に私物と呼べるようなものは1枚のフォトフレームのみで、寝るために使用しているだけとは言ってもそれでも殺風景な部屋だった。
だが新たな住人を迎えてからというもの、室内は一気に色彩を鮮やかにしていた。
1日のほとんどを室内で過ごす彼女のためにと、同僚やクルーから届いた幾多の差し入れや、おそらくはラクスが用意したのだろう可愛らしい化粧品のボトル。
中でもキラの机の上に存在を主張しているのは、先日プラントにいるパトリックから届いた最先端モデルのノート型PCだ。
さすがはキラの好みを熟知しているだけのことはあって、キラの喜びようは半端ではなかった。
いくらキラがオーブの第二王女とは言え、プラント最高評議会から直々に荷物が届くという事態にヴェサリウスクルーは大いなる疑問を抱いたが、送り主がパトリック・ザラであったためアスランはすぐに納得した。
何しろ幼年学校時代からパトリックのキラへの溺愛ぶりは一言では済ませられないものがあり、キラが好みそうなものと見れば値段など関係なく買い与えてレノアとカリダの両母親からよく叱られていたものだ。
それでも一向に改める素振りを見せなかった父は、やはり大物だったのだろうか。
更にはパトリックが余りにもキラを構うせいで、怒ったアスランと壮絶且つ低レベルなキラ争奪戦を繰り広げたのも一度や二度ではなかった。
今では到底想像もつかないほど大人げなかった父の姿を思い出して、アスランは懐かしさに小さく笑う。
レノアを『血のバレンタイン』で失ってから一度も見せることのなかったパトリックの柔らかい表情。
それを取り戻してくれたのは、やはりキラだった。
モニター越しに見えた父の眦にほんの僅か涙が浮かんで見えたのは、アスランの錯覚ではないだろう。
キラの笑顔に、自分と同様にあの頃の幸せを思い出したのかもしれない。
そして今更ながらに思う。
自分にとって――そしてザラ家にとって、キラ・ヤマトという存在がどれだけの潤いをもたらしてくれていたかということを。

ふと、何かが床に落ちているのに気付いて拾い上げると、それはマイクロディスクだった。
手のひらに簡単に包み込めるほど小さなそれは、当然のことながらアスランのものではない。
システムの構築やらコンピュータの改造などには目がないキラのものだろう。
どうやら何かの拍子に落としてしまったらしいそれを机の上に戻して、アスランはベッドへと視線を動かす。
眠ると言ってはいたがそんなにすぐは眠れるはずはないだろう。
それなのにキラはベッドにもぐりこんだきり、室内に誰かが入ってきたのはわかっているはずなのに顔を見せようとしない。

「キラ?」
「………」
「キーラ」
「………」

返事はない。
だが最初に名前を呼んだときに明らかにシーツの中の身体は揺れ、眠っていないことは明らかだ。
その原因が先程の会話にあるとわかっているからこそ、そんなキラの初々しい反応に、つい悪戯心が起きてしまうのも仕方のないことだ。
起きようとしないキラの耳元へ唇を寄せ、そっと囁く。

「寝たフリなんてしてると、襲うよ?」
「!?」

がば、と起き上がった顔は、先程の会話のせいだけでなく真っ赤になっていて。
恋愛の手練手管などまったく知らない素直な反応はまさにキラらしくて、そんな純情な様子を見せるキラがひどく可愛くて、アスランの口元がやんわりと弧を描く。
それをからかっていると判断したのか、キラの頬がふくれる。

「もうっ、アスランまで僕で遊ばないでよ!!」
「遊ぶ? とんでもない」

シーツに潜り込んでいたせいで乱れた髪を手櫛で直しながら、アスランは笑みを深くする。

どうしてこんなに愛しいのだろう。

柔らかい髪を梳く。
たったそれだけのことなのに、至上の喜びを感じているようだ。
菫色の瞳に自分の姿が映っているとわかるだけで、何もかもが満ち足りた気持ちになる。
愛しくて愛しくて、言葉では言い尽くせない。
髪をかきあげていた手をキラの丸い頬にすべらせる。
決して大きくはないアスランの手でも包み込めそうなほど小さな顔の、そのすべらかな頬。

「アスラン?」

さすがのキラも、アスランの瞳に浮かぶ熱に気付いたのだろう。
どこか不思議そうに、だがどこか魅入られるように翡翠色の瞳を見つめる。
何かを言おうとしてわずかに開いた桜色の唇を、アスランの指がゆっくりと撫でる。

「キラが…大事だよ…。幼馴染としてじゃなく…」
「アスラン…?」

不思議そうに瞬く瞳にふんわりと微笑み、そして桜色の唇に触れた。
わずかに触れるだけのキス。
子供の頃ならば何度か交わした挨拶のようなもの。
だが成長しお互いの立場を理解している今では、それは単なる挨拶ではない。
吐息が触れそうな距離で自分を見据える瞳の真意がわからないほど、いくらキラでも鈍感ではなかった。

「キラは、俺のことどう思ってる?」
「アス、ラ…ン…」
「好き?」
「……」
「それとも…嫌い?」
「そんな…」

言葉にならなくてふるふると首を振るキラは、だがアスランの腕から逃げようとしない。
プラントの要人の息子であるアスラン。
オーブの王女であるキラ。
そしてアスランの婚約者であるラクスの存在。
それらを考えて返事ができないのかもしれない。
だが、それでもアスランの腕を拒絶せず、尚且つ軍服の裾を離さないように握るその指にキラの全ての感情がこもっているようで、アスランはその事実に眩暈がしそうなほどの幸せを感じる。
細い肩を引き寄せると、小さな身体は抵抗なくアスランの腕に収まり更にはその胸へそっと寄りかかってきた。

「………  」
「キラ…」

自らの鼓動の音にすら消されそうなほどの小さな声が、だがアスランの耳にはしっかりと届いた。
確かに聞こえた『好き』という言葉。
たった二文字の言葉をこれほど嬉しいと思ったことはないだろう。

「…でも、いいの……?」
「何が?」

腕の中から聞こえてくる小さな声に視線を向けると、キラが気遣わしそうな顔でアスランを見上げていた。

「ラクス…。親同士が決めた婚約者じゃないの?」
「大丈夫だよ。ラクスも俺も、いざとなれば婚姻統制に逆らってでも婚約を破棄するから」
「でも…」
「それに、多分父上が協力してくれるよ」
「パトリック小父さんが?」
「そう。だから心配いらないよ」

不思議そうに瞬く瞳に笑い返して、アスランは腕の中の存在を確かめるように抱きしめる。
自分の息子よりもキラのほうが可愛いと断言するような父だ。
キラが義娘になるとわかれば、それこそどんな手段を用いてもラクスとの婚約破棄を承諾させるだろう。
頑固で強情でどうしようもない父だが、今回ばかりは誰よりも頼もしい味方になってくれるだろう。
おそらくはラクスと共に。

「キラが、好きだよ。君を愛している…」

キラはその眼差しを受け、そっと目を閉じる。
誰よりも大切な幼馴染。
そう思い自分の感情を隠していたのは、アスランだけではなかったのだから。


  • 05.08.03