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藍よりも深く 27


格納庫ではかつてないほどの事態が起きていた。
普段なら整備士の怒声や機械の操作音など、それこそ多少の音などかき消されてしまうほどの騒音に包まれている場所だが、今はしんと静まり返っている。
誰もいないわけではない。むしろ普段なら休憩中の者たちでさえ興味と関心、それから懸念を抱えてこの場に集まっているために、格納庫は未だかつてないほどの人口密度だった。
だが、彼らは誰一人として物音1つさせず、格納庫に集まっている。
その視線の先にあるのは、あの日を境に起動されることのないまま安置させられていた機体。
今は灰色だが、それが鮮やかなトリコロールをしていることを、彼らは知っていた。
そのコックピットにはザフトきってのエースパイロットと彼らの上官が詰め掛け、各々複雑そうな表情を浮かべていた。
そんな彼らが見守る先には、小柄な少女の姿。
しんと静まり返った格納庫には、少女がキーボードを叩く音だけが響いていた。
手早くシステムを立ち上げていく指の動きは、熟練のプログラマーでさえこれほどとは思えないほどの速さで、1つまた1つとロックを解除していく様は、MSの扱いに慣れているパイロット達ですら舌を巻くほど機敏なものだった。
少女がカーソルを叩くと、モニター画面に見慣れた地球連邦軍の標章が現れた。
起動音とともに鮮やかなトリコロールが蘇った機体を前に、周囲から歓声ともどよめきともつかぬ声が漏れる。

キラ・ヤマトがヴェサリウスへともたらしたこの機体は何重にも及ぶロックがかけられており、ザフトの整備士達が起動を試みたものの、その厳重なロックに阻まれてしまっていた。
当初それは製作者であるナチュラルが設定したものだと思っていたので、解除できないせいで彼らのプライドはいたく傷つけられたようだったが、後日キラが自身で設定したのだと聞かされ胸を撫で下ろす半面、彼女の突出したプログラム能力に驚かされた。
アカデミーをトップで卒業したアスランを以ってしても、キラの構築したプログラムを解除することは難しいと言わせるだけあって、そのMS――ストライクはアスランはおろかイザークやディアッカでさえ起動させることはできず、アスランがストライクを起動しようと思うはずもなく、この機体はキラがヴェサリウスに身を寄せた日のまま、格納庫の一角に安置されていた。

キラが助力を願い出た当初イザークやディアッカ、さらにはクルーゼまでがキラの申し出に対して難色を示した。
民間人であるキラを如何なる形であってもこれ以上戦闘に介入させるつもりはなく、ましてやこのMSはキラにとって苦い思い出しかない。
そんなものに触れさせて彼女の傷口をこれ以上抉ることはできないというのが彼らの言い分だったのだが、MSの性能を上げればパイロットの危険は減少するうえ、アークエンジェル攻略の際にも有利に働くと強く言われてしまえば、それ以上反論することはできなかった。

「このOS…、本当にキラが1人で構築したのか?」
「うん。自分のMSのメンテは自分でするのが当たり前だって言われたから」
「確かにそうだけど…いや…でも…」

素人の作ではないシステムに、さすがのアスランも驚きを隠せないのだろう。
緻密なそれは、明らかに自分の構築したものよりも優れている。
以前からキラのプログラミング能力は優れているのは知っていて、その独自の構成にはアスランもしばしば驚かされたものだが、数年を経た今となってはそれは理解不能の域にまで達していた。
通常なら行わないような、一見しただけではでたらめとしか思えない構築。
だが機体の反射速度を見ればそれが最善の方法であることは間違いなく――。
正統派なプログラムを好むイザークは、その奇抜としか言いようのないプログラムに、怜悧なアイスブルーの瞳を大きく見開いたまま固まってしまった。

「これを他のMSにコピーすれば、多分動きは良くなると思うんだ」

キラの言葉に反論する声はない。
MSのOSを構築した経験がある者から見れば、キラの構築したOSは他のどのOSよりも優れていることは明白だ。
戦闘経験のないキラでさえ、ザフトのエースパイロット4人を相手に戦えたのだ。
訓練を受けた軍人が扱えば、どれだけ心強いだろうか。

「アスラン、イザーク、ディアッカ、ニコル」

低い声に名前を呼ばれて、若きパイロットが姿勢を正す。

「このOSを君らの機体に移すには、どれくらいの日数が必要かね?」
「おそらくはテストを含めて3日もあれば終わるかと思います」
「上出来だ…」

小さく頷き、クルーゼはコックピットに座る華奢な少女に視線を動かす。

「協力感謝する。後は彼らに任せて、君は安静にしていたまえ」

軍人らしい口調とは裏腹に、キラの頭を撫でる指は優しい。
そんな仕草が何故か懐かしく感じられて、キラはふわりと笑みを浮かべた。
最初こそ彼の顔を覆う仮面に驚いたものの、見慣れてしまえばそれもなくなった。
むしろ表情が隠されているからか、彼の声に潜む優しい響きは対人関係に疲弊していたキラの心を柔らかく包み込んでくれた。
初めて会った日からさりげなくキラの様子を気にかけてくれたクルーゼ。
何故彼がここまで気にしてくれるのか正直キラには計りかねるが、それでも向けられる好意に打算や策略は一切感じられなく、キラはこの仮面の青年に不思議な信頼感を抱いていた。
自分の兄弟は姉しかいないのだけれど、もし年の離れた兄がいるとすれば、おそらくこんな感じなのだろう。

それに――彼は、やはり誰かに似ているような気がするのだ。
遠い昔――それこそ記憶にもないのだけど、幼い頃に感じたことのあるぬくもりに、彼の手のぬくもりはひどく似ていた。

「…僕は、皆さんの役に立てましたか?」

そう訊ねれば、形のいい唇がわずかにほころんだ。

「十分すぎるほどに」
「よかった…」

半ば強制的に課せられたOSの開発。
他人を傷つけるために施されたそれが、今は味方を守るための盾になる。
そんな現状に複雑な思いを抱きつつも、それでもやはり優しい友人達をために少しでも力になれるのが嬉しかった。





  ◇◆◇   ◇◆◇





これ以上の助力は必要ないと言われてはいたが、キラはストライクのコックピットから下りようとせず、搭載されているプログラムの解析を試みていた。
ストライクのデータはすでに他のMSにコピーされ、パイロット達は各々の機体のメンテナンスに取り掛かっている。
キラの構築したOSの質の高さは、乗せ換えた時点で現れた駆動系の反射速度に如実に現れている。
各機体によって癖があるせいで多少の調節は必要なものの、それでも今までよりも格段に動きのよくなった機体に、パイロット達の表情も明るい。
キラの性格によるものか、武器の類は一切改良を施されていなかったため、現在彼らは銃火器の改良に取り組んでいる。
そんな彼らにもう少し協力できないかと、キラはストライクのプログラムを操作し、そしてある事実を発見した。
ストライクとアークエンジェルを繋ぐ回線。
当然といえば当然のものだが、それは地球連合のものだ。
月基地へと向かうアークエンジェルを追尾しているヴェサリウス。
日々地球軍の領域へ近づいているということは、地球軍の電波を傍受しやすくなっているということ。
それならば…。

「もしかしたら、何かわかるかも…」

以前ニコルがハッキングを試みた時は、セキュリティ上の問題からか地球軍本部までの侵入は不可能だった。
だが、この機体からアクセスをかければどうだろうか。
少なくともザフトの戦艦からよりは侵入は容易く、上手く行けば何か情報をつかめるかもしれない。
何よりもハッキングはキラが得意とすることだ。
それに――これはアスランだけしか知らないが、地球軍本部へは以前にも侵入したことがある。
月の幼年学校にいた、あの懐かしい日。
日々激化していく戦争に、とうとうアスラン達もプラントへ移住してしまうと告げられたあの日。
戦争なんてなければ離れずにいられるのではないか、なんて子供らしい単純な思いつきで、キラは地球軍とプラントのマザーコンピューターに侵入を試みたのだ。
ただ、寂しくて。
生まれて初めてできた親友と離れなければならないことがひどくやるせなくて。
特に何かを成そうと思ったわけではないが、この戦争を起こしている地球軍とプラントに何か意趣返しをしてやりたいと思ったのだ。
だが、さすがにプラントのセキュリティは厳しく侵入は難しかったが、地球軍のセキュリティはプラントのそれに比べるとそれほど複雑ではなかった。
その時からすでにプロのハッカーに匹敵する程の腕を持っていたキラならばおそらくは侵入できただろう。
だが、キラがマザーコンピューターのパスワードを発見すると、幼馴染の意図を正確に掴み取ったアスランによって強制的に終了させられてしまい、それ以来すっかり忘れてしまっていた。
あの時のパスワードが今も有効かはわからないが、それでも…。

「試してみる価値は、あるよね…」

過保護な幼馴染は、離れた距離にいる。
彼らのために、そして気付かれないまま囮にされてしまったあの艦のために。
キラは小さく呟くと、素早くカーソルを叩き始めた。


  • 05.06.08