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藍よりも深く 26


高速で移動を続けている戦艦に気付かれないように追尾するのはそう難しいことではないが、追いつくまでにすべての戦闘準備を終わらせるということは予想していた以上に厳しいようで、その日を境にアスランとキラの時間は見事にすれ違いを生じていた。
怪我の療養という名目で1日のほとんどの時間をラクスの部屋で過ごすキラが、アスランの部屋へ戻るのは就寝時間だけ。
クルーゼ隊のエースパイロットであり、ザフトの軍人の中でも優秀な軍人であるアスランが就寝時刻の通りに戻ってくることはなく、キラは綺麗にメイキングされたままのベッドを前に申し訳ない気持ちで一杯になる。
アスランの顔を見ることができるのは、食事の間のわずかな時間のみ。
それこそほんの数分しか会えないのも珍しくない。
それはアスランだけでなく、他のパイロットにも同じことが言えた。
それなのに、彼らは揃えたようにキラを気遣う優しい台詞を口にする。
気にするなと、民間人を守るのが軍人の仕事なのだと。
ニコルが穏やかな笑顔を浮かべ、ディアッカが優しく頭を撫で、不器用なイザークが怒ったような口調でそう告げる。
おそらく彼らも碌に睡眠を取っていないのだろう、食堂で顔をあわせる彼らの表情はひどく疲れており、今更ながら自分がどれだけ無謀な注文をつけたのかがわかる。
それなのに元凶である自分は、ラクスと他愛のない会話を楽しみつつ、食事の時間には用意された食事をゆっくりと味わい、就寝時間になれば部屋へ戻って眠る。
そんな場違いな日々を過ごしている。
それがひどくやるせなくて、だがどうすればいいかわからなくて、キラはやりきれない思いに唇を噛んだ。
大切にされている自覚はある。
それが傷ついた同胞への気遣いというだけでないのがわかりすぎるくらいに――。
特にアスランは、ようやく自分の元へ戻ってきてくれた幼馴染を、大切に大切に慈しんでくれる。
ベッドサイドに置かれたカップが、それを如実に物語っている。
湯気のあがるカップには、乳白色の飲み物。
まだ温かいそれは、キラの就寝時間に合わせてアスランが用意してくれたものだ。
ヴェサリウスが移動を開始してから、キラの眠りは再び悪くなっていた。
それは今後のことを憂えてのものであり、また隣にアスランの姿がないことへの不安でもあった。
1日2日は誤魔化せるものの、それ以上となるとアスランの目は誤魔化せなかったようで、その日以降どんなに忙しくてもキラが眠る前にアスランはホットミルクを用意してくれる。
戦艦で用意するのは難しいだろうそれには、キラの好きな蜂蜜と――ほんの少しのリキュールが入っている。
わずかに鼻腔をくすぐるオレンジの香りは、幼い頃に怖い夢を見たと泣くキラのために、アスランの用意してくれたものと同じものだった。

『これを飲んだら安心して眠れるよ』

そう言って差し出されたミルクはほんのり甘くて、でもそれ以上に胸にしみこむほど温かくて、キラはぐっすりと眠ることができた。
それを覚えていたのだろう、不安で眠れないキラのために、どんなに忙しくても欠かすことはない。
そうやってアスランはキラを苛む全てのものから守ろうとしてくれる。
それに引き換え自分は…。

(何か僕にもできることがあればいいんだけど…)

軍人でないキラは、当然のことながら戦闘に関して助力できることはない。
何よりもアスランやクルーゼ、そして艦の全員がキラを戦闘――MSから遠ざけようとしている。
艦内ならほとんどの場所でも立ち入りを禁止されることはないが、多数のMSが搭載されている格納庫だけは誰もがキラの立ち入りを拒む。
それが邪魔だからという理由でないから、だからこそキラは彼らのために何かをしたいと思うのだ。
強制されたからではなく、彼らが与えてくれる厚情の返礼として――。

「…よしっ!」

何やら逡巡していたキラは、やがて意を決したように部屋を後にした。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「キラ!?」

就寝時間もとうに過ぎた時刻。
だが、格納庫でMSのメンテナンスに追われる整備士やパイロットには、そんな時間はもはや目安にしかなっていない。
数日後に行われるであろう作戦に対して、少しでも性能を上げたMSを用意しなければならないのだから、時間はいくらあっても足りない。
そのせいで連日徹夜という状態も珍しくないから、格納庫内の空気は次第に殺伐としてくるし、整備士の顔も日を増すごとに険しくなっていく。
無駄口を叩くものなど1人もいない。
皆真剣そのものだ。
そんな中、明らかに場違いな少女が姿を見せたことに、驚きを隠せない。
普段なら突然の美少女の来訪など大歓迎だが、今は状況が状況だ。
ましてや彼らは全員、少女――キラが今回の戦争によってどれだけの目にあわされたか知っている。
MSにはつらい思い出しかないであろう彼女を、MSだらけのこの場所にいさせたくはなかいというのが、この場にいる全員の正直な意見だった。
特に幼馴染であるアスランにとっては何よりも望まない事態だったようで、その姿を認めた途端に構築していたプログラムもすべて放り出してイージスのコックピットを飛び出していた。
こっそりと忍び込んだつもりなのだろうが、今のこの状況で私服姿のキラは嫌でも目に入る。
優秀な軍人らしい素早い身のこなしでキラの前へ降り立ったアスランは、緑の瞳を剣呑に光らせてわずかに低いキラをきつく見据える。

「何やってるんだ! ここには来るなって言ってるだろ!!」

厳しい口調は心配の表れで、この程度はキラの予想の範疇だ。
何しろ幼少の頃から数限りなくアスランの叱責を身に受けていた立場なのだから、その程度で怯むようなことはない。
だがそれでもわずかに逃げ腰になってしまうのは、幼いころからの習性というしかなくて…。
キラはほんの少し首を傾げて、誤魔化すように笑顔を浮かべた。

「皆のお手伝いをしようと思って…」
「いらん」

きっぱりと告げたのは幼馴染ではなく、いつのまにやらキラの背後にやってきた銀色の髪の少年で、声に驚いて振り返るとその瞳にもやはりきつい光が浮かんでいた。
じろりと向けられたアイスブルーの瞳に宿るのは、やはりアスランと同様のもので。

「でも…」
「姫さんの気持ちは嬉しいけどさ、一応俺達軍人だし、民間人にMSを触らせるわけにはいかないんだよね」
「そうですよ。それにキラさんはまだ怪我も癒えてないんですから、ゆっくり身体を休める方が先決です」

イザークばかりかディアッカやニコルにまでそう言われるが、今度ばかりはキラも引くつもりはない。
自分は守ってもらうだけのお姫様ではないのだ。
赤服に囲まれた状況で、それでもキラはしっかりと顔を上げる。
まず見据えたのは、幼馴染であるアスラン。
菫色の瞳に宿る挑戦的な光に気付いたのか、アスランの眉がわずかに跳ね上がる。
こんな顔をするキラを、アスランは知っていた。
キラがアスランの叱責を何度も経験しているのと同様に、アスランもキラのこんな表情を何度も見ていたのだ。
アスランの視線を受け止め、尚且つそれを撥ね退ける強い視線。

「僕のせいで皆が大変な思いをしてるんだ。それなのに僕だけ何もしないなんて、できるわけないだろ。僕だって皆の役に立ちたいんだ」
「ラクスを地球軍から連れ出してくれた。足付きの最大戦力であるストライクをこちらに持ってきてくれた。足付きの艦内状況および戦力について情報提供してくれた。それだけで十分役に立ってる。他に何がしたいと言うんだ? 俺はお前を戦闘に関わらせるつもりはないぞ」

アスランが厳しい口調で言えば、イザークやディアッカも頷く。

「それとも何か? キラは足付きを攻撃するとでも言うのか?」

緑の瞳に射竦められて、キラの身体がびくりと震える。
予想通りの反応に、アスランが小さく息をつく。

「できないだろう。俺達が今やっているのは、そういうことなんだ」

厳しいけれど、それが現実だ。
アークエンジェルを堕とさないと約束したが、あれだけの戦力を保持する艦を、無傷で捕らえることは現在の戦力では不可能だ。
素直に勧告を聞き入れるとは思えず、武力で降伏させるしか手段はないだろう。
優しいキラにそれができるはずない。

「だから、キラはラクスと一緒に大人しくしていてくれ」

宥めるようにやんわりと言えば、菫色の瞳が哀しそうに揺らめいた。

「頼むから聞き分けてくれ」
「でも…っ!」

アスランの言葉を承諾できないというように、キラは大きく頭を振ってアスランを見据えた。

「それだと、僕は君達のために何もできないじゃないか!」
「キラ…」
「僕が言ってるのは綺麗事だってわかってる。戦争なんだから仕方ないことだってあるんだって。でも…皆はそんな僕の我儘を聞いてくれて、オーブの人達を助けてくれるって言ってくれて…。それなのに、僕だけ大人しくなんてできないよ。MSのメンテナンスなら…多分、少しくらい役に立てると思うから…」

真摯な目は弱々しいながらも譲れない強さを宿していた。
自身の中に揺るぎのないものを秘めた、決して引くことのない確固とした意思を窺わせるそれは、アスランの大好きなものだったけれど、今のアスランにはあまり歓迎できるものではなかった。
何故ならそんな眼差しを向ける時のキラを押し留めることは非常に困難だからだ。
過去を省みると、そんな状態のキラを説得できた例は極めて少ない。

「だから、僕にも協力させてよ」

それが我儘な言い分であったらどれだけ楽だろうか。
キラが我を押し通すのは、往々にして他人を思ってのことが多い。
偽善でも犠牲でもない、無償の善意。
そんなものの塊のようなキラだから、もはや止めることはできないのだろうとアスランは悟ってしまった。

本音を言えばものすごく反対だ。
だからと言って聞くようなキラではないし、何よりもそんな風にまっすぐに生きるキラを好ましく思うのだから仕方ない。

「………………メンテナンスだけだぞ?」

不承不承そう言えば、菫色の瞳が輝いた。
3対の瞳が非難する輝きを持ってアスランに向けられたが、それでもキラを止めることはできそうになく、結局彼らも最終的にはキラの介入を承諾したのだ。


  • 05.06.03