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藍よりも深く 24


久しぶりに訪れた安らかな眠りに身を委ねていたアスランが目を覚ましたのは、起床時間よりもわずかに早い時刻だった。
自発的な目覚めではなく、アスランの眠りを遮ったのは、召集を呼びかけるためのブリッジからの通信音だった。
看病疲れというわけではないが、それでもキラの意識がない間心配で碌に睡眠も取れなかったアスランにとって、その呼び出し音は当然のことながら歓迎できるものではなかった。
それでも軍人としての条件反射なのか、意識はすぐに覚醒へと向かう。
アスランは素早くベッドから身を起こすと通信画面のスイッチを入れた。

「こちら、アスラン・ザラ」

寝起きなど感じさせないしっかりとした口調は、だが心持ち抑えた声だった。
それが隣のベッドで眠るキラへの気遣いだと、画面向こうの人物はすぐに察しがついたようだ。
仮面に隠された顔がわずかに緩む。

「キラ嬢はまだ夢の中かね?」
「はい。キラの寝起きはあまりよくありませんので…」

先程のコール音がキラを起こすまでに至らなかったことに安堵しながら、アスランはモニター画面にいる隊長に向かって敬礼する。
信頼できる相手が隣にいるからだろうか、不眠症を患っていたとは思えないほど、現在のキラは安らかな眠りの中にいた。
静かに繰り返される呼吸音。穏やかな寝顔。
キラの眠りを妨げていた枷が1つまた1つと解れていくことが、彼女の精神状態を安定させていったのだろう。
子供の頃と変わらない無邪気な寝顔に、知らずアスランの口元に笑みが浮かぶ。
大切な宝物を見つめるような視線にクルーゼも微笑ましそうに穏やかな視線を向けたが、すぐに表情を引き締めて軍人としての視線をアスランへと向けた。

「ならば丁度いい。彼女を起こさないよう、至急ブリッジまで来てくれ」

その言葉で、キラには知られたくない内容なのだと察しがつく。

「了解しました」

画面越しのクルーゼに敬礼をし通信を終えたアスランは、上着を羽織ると眠るキラの様子を確認し、静かに部屋を後にした。



 そのすぐ後に菫色の瞳が開かれたことなど、知る由もなく――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「なんだとおぉ!!」

ブリッジへと続くドアが開くと、聞き慣れた怒声が耳をついた。
クルーゼと共に通信士のモニター画面を覗き込んでいたのは、見知った3人の姿。
つい数時間前にガモフへ戻ったはずの彼らがこの場所にいるということは、おそらく自分と同様に呼び出されたのだろう。
すでに到着していることを考えると、どうやら自分への召集が一番最後だったらしい。

「地球軍は一体何を考えてるんだ!!」
「少しは落ち着けよ、イザーク」
「これが落ち着いていられるかぁ!」

普段から怒りの沸点が低いイザークだが、今日はいつにも増して機嫌が悪い。
その原因が彼らが覗き込んでいるモニター画面にあるのだと理解したアスランは、見やすい場所へ移動しそれを覗き込んだ。

「何があったんだ?」
「足付きが移動の速度を上げた」

アスランの問いに答えたのはディアッカだった。
アークエンジェルはストライクを失ってから数日の間、一切の動きがなかった。
それがキラ――ストライクを捜索するためだったのか、それとも他の方法を模索しているせいだったのかは不明だが、数日前に航行を再開するまで、あの艦は宙域に停滞したままだったのだ。

「これまでだって決して遅い速度じゃなかった。だが、今の足付きの速度は超高速艦並みだ。このままだと追いつくことは不可能になる」

いつも飄々としている表情が、今は固い。
キラとよく似た紫紺の瞳は、だが宿る光が違うと受ける印象も全然違う。
わずかに眇められた視線は、獰猛な獣のそれを思わせる。
イザークほどではないが、彼もまた現在の状況を苦々しく思っているのだろう。
アスランは唇をかみ締めた。
アークエンジェルの航行速度を計算して、ヴェサリウスはプラントへ一時帰国することにしたのだ。
それなのにそのアークエンジェルが速度を上げたとなると、確かにディアッカの言う通りヴェサリウスがアークエンジェルを捕らえることなど到底無理だ。
ガモフだけならそれも不可能ではないが、その場合は戦力が心許ない。

だが、何故足付きが急に速度を上げたのか――。

「地球軍からの通信を傍受しました。今からメインモニターに表示させます」

アスランの心理を読んだかのようなタイミングでニコルが告げる。
一拍後にはモニター画面に複雑な文字の羅列が並んだ。
一瞬怪訝そうに眉を顰めるものの、それが暗号文であることに気付いたアスランはわずかに目を瞠った。
ザフトのものではないそれ。残された選択肢は一つだ。

「先程地球軍の月基地メインコンピューターへ侵入したんです。どうも足付きの同行がおかしかったので」

ニコルがそう説明する。
ザフトの戦艦から地球軍のメインコンピューターへ侵入することは、かなり難しいが不可能ではない。
情報処理能力に長けているニコルなら、軍本部に察知される前に必要なデータのみを入手することは可能だろう。
まだ幼さの残る顔立ち。
だが、外見でニコルを判断すると痛い目に合う。
彼もまたザフトの赤服を手に入れるだけの実力者なのだ。

「どうやら地球軍は、俺達が思っていた以上に陰湿で冷酷だったようだぜ」

皮肉げに、だが苦々しい口調でディアッカが呟く。

「冷酷? 今更だろう」

アスランは氷のような視線で画面を見下ろす。
そう、彼らがどれだけ醜悪で利己的で短絡的な思考の持ち主であるかなど、コーディネイターなら誰もが知っている。
地球軍に理性があれば、『血のバレンタイン』など起こらなかったはずなのだから。

「事態はもっと最悪なんだよ」
「ディアッカ?」

アスランの視線に負けないほど冷酷な視線で、ディアッカはモニター画面を示す。

『第八艦隊に属する全ての軍艦及び軍人は、速やかに月基地へ撤退すべし』

「なるほどね…」

アークエンジェルが第八艦隊に属する新造艦だということは、キラから聞いている。
軍本部からの正式な召集とあれば、何をおいても駆けつけなければいけない。
そう――行方の知れない民間人の捜索などと、秤にかけられるものではないのだろう。
それがわかってはいるものの、それでも自らの保身の為に月基地へと急ぐアークエンジェルには、もはや怒りすら湧かない。
彼らに抱くのは、嘲笑と侮蔑。
ただ、それだけだった。

「キラの希望でなければあんな艦、宇宙の藻屑にしてやるものを――」
「ですがあの艦も地球軍に利用されているだけなのかもしれませんよ」
「ニコル――?」

憐憫を抱いているような声音に、アスランが顔を上げると、ニコルはひどく複雑そうな表情を浮かべていた。

「数時間前に、足付きが航行を再開しました。最大出力で宙域を離脱したので疑問に思って調べてみたのですが、どうやら足付きに召集がかかったようです。場所は月面基地コペルニクス。地球軍は足付きを囮に我々を月面基地までおびき寄せて、足付き諸共爆破するつもりです」
「爆破――!?」

そう言ったきり絶句してしまうのも無理はない。
そこは、かつてアスランとキラが共に過ごした都市だった。
今でも鮮明に思い出せる、あの懐かしい風景。
学校へと続く長い桜並木。
休日には2家族でよくピクニックに出かけた、自宅から歩いて5分の距離にある公園。
お互いの家の間取りも、学校帰りに立ち寄ったアイスクリームショップも、今もまだ記憶に新しいそれら。

その想い出の場所を取り壊して作られたのが、月面基地コペルニクス。
地球軍の所有する月面基地の中でも最大規模を誇る軍事施設だった。

「最近の地球軍は明らかに劣勢だからな。数で勝るくせに一向に好転しない事態に痺れを切らしたんだろうよ。随分思い切った作戦だよな」

ディアッカの言葉はアスランの耳に届いていなかった。
自軍が有利になるためなら、味方をも犠牲にすることに躊躇しない地球軍のやり方に、言葉ではいいつくせないほどの嫌悪を感じる。
何よりも、あの懐かしく美しい都市を、そんな理由から爆破しようなどと――。



「それ…本当、なの……?」



震える声が、しんと静まり返ったブリッジに響いた。

「キラ!?」
「キラさん!?」
「姫さん!?」

振り返った先、そこには――。

蒼白な顔をしたキラが佇んでいた。


  • 05.05.25