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藍よりも深く 23


ラクスに部屋から連行されてしまったキラは、彼女について艦内を歩いた。
その間には何人ものザフト兵とすれ違ったが、皆一様に驚いた様子は見せたものの、それでも誰一人としてキラに奇異の目を向ける者はいなかった。
好意的に見られることに不服など勿論ないが、中には微笑ましそうに笑顔を浮かべる者も少なくなく、彼らが自分の事情を知っているのだと、その様子だけでも十分窺い知ることはできた。

「こちらが食堂ですわ」

艦内の造りというのは総じて同じようなものなのだろうか、居住区の中にあるその場所の構造はどことなくアークエンジェルを思い出させた。
だが、どこか雑然とした感のあるあちらに比べて、ヴェサリウスの食堂はアークエンジェルよりも広く、一見するとどこかのレストランのようだ。
人の数もまばらなそこで、目当ての人物を探すことは容易だった。
食堂の一角、入口からは最も遠い場所に彼らはいた。
緑の軍服が多い中、彼らの緋色の服はこのうえなく目立つ。
食事は済ませたのだろう、テーブルの上にはコーヒーカップだけが置かれており、談笑とはほど遠い雰囲気が彼らの周囲を包み込んでいた。
緊張した面持ちなのは、これからのことを相談しているのだろうか。
近づきがたい空気がその場を包んでおり、キラは彼らに声をかけてよいものか一瞬躊躇した。
だが、そんな微妙な空気を気に留めるようなラクスではなかった。

「お邪魔しますわね」

ふわりと彼らのいるテーブルまで近づき、ラクスはにっこりと微笑みかける。

「ラクス…。キラ!?」

慌てたように椅子から立ち上がったアスランが、ラクスの背後にいるキラに気付いて目を丸くする。
キラが眠りから覚めたのは数時間前。
全身に負った怪我と激しい衰弱のため絶対安静だったはずのキラが、部屋を抜け出してこの場所にいるということに驚愕し、そして怒ってよいものやら動けるようになったことを喜んでよいものやら、何とも微妙な表情をしているアスランに、キラは曖昧に微笑った。

「身体は、大丈夫…なのか?」
「えっと…急に動いたりしなければ平気、かな?」

どうしてここへと聞こうとして、アスランはすぐにそれを理解した。
相変わらずしっかりと握られているキラの手。
それを握っているのは目の前の少女で、ラクスの行動をキラが制御できるとは思えなかったからだ。
確かにいつまでもキラが部屋に閉じこもりきりなのは精神衛生上よくないと思っていたし、それに部屋を出ることができるくらいにはキラの体調が回復しているのだということが証明されたのだから。
アスランはどこか居心地を悪そうにしているキラを眺めた。

「その服は?」

キラの服装に気付いて、アスランはわずかに首をかしげた。

「ラクスが用意してくれて…あの…変?」
「いや、よく似合ってるよ」

そう言うとキラはどこか安心したように笑った。
確かに今着ている服は、キラによく似合っていた。
ラクスがキラを着せ替えさせたいと言っていたが、どうやらそれは冗談ではなかったらしい。
もう少しでプラントへ戻るというのに、それすら我慢できなかったのかと思うと苦笑してしまうが、それだけラクスがキラを気に入ったということなのだと思えば、そんな行動も微笑ましく思えてくる。
どうやらラクスの見立ては確かなようだ。
ラクスの用意した服は、身体をしめつけるデザインではないため、おそらくはキラの怪我にも障らないだろう。
サイズが合わないパイロットスーツ姿の時は、プロテクターによって隠されていたせいもあって、外見上では女性だと分からなかったが、今のキラを見て男と間違える者はいないだろう。
どこかの民族衣装のようにゆったりとしたデザインは、キラの身体を柔らかく包みこむ。
柔らかい素材はキラが動く際に負担が少ないという利点があるが、その分身体のラインを強調してしまうため、隠しているときはわからなかったキラのスタイルの良さが露呈されていた。
キラが動くたびに長衣の裾がひらりと動く。
両手で抱え込めそうなほど細いウエストや、長い足。
更には女性らしい豊かな胸のふくらみも隠されることはない。
容姿だけでも十分すぎるほどの美少女なのに、さらにスタイル抜群となれば周囲の視線を浴びることも無理はないだろう。
最もキラがその理由に気付くことはなく、自分が視線を集めている理由は、保護されたコーディネイターだからだと思っているに違いないが。

食事に来たという彼女達をいつまでも立たせておくことなどできるはずもなく、アスランは空いている席に彼女達を座らせた。
当然のようにアスランの隣にキラを座らせたことに、ディアッカが意味深な視線を向けるが、アスランにはその視線に気付かない。
しばらくしてニコルとイザークが2人の食事を運んできてくれた。
通常の食事のラクスと違い、キラのトレイに乗せられていたのは、野菜のスープとフルーツだけだった。
小さくカットされた野菜のみのスープ。
通常の戦艦のメニューではありえないそれが 、キラのために特別に用意されたものだと、すぐに気付いた。
ちらりと厨房へと視線をやれば、目が合ったクルーが穏やかな笑顔を向けてくる。
その対応1つすら、あまりにあちらと違いすぎて、キラは切なくなった。
どうやっても相容れないものというのがあるとは認めたくなかったのだが。

「キラさん、ずっと食事を摂ってなかったでしょう。最初から普通の食事は胃が受け付けないので、軽いものから慣らしていったほうがいいと思いますよ」
「…ありがとう」

柔らかい笑顔と共にそう言われて、その細かな心配りに胸が温かくなる。
小さくカットされた野菜は、口に入れるとすぐに溶けてしまうほどよく煮込まれていた。
キラの好みを聞いていたのか、それとも病み上がりにはそのほうがいいのか、薄味のそれは嚥下すると全身に染み渡っていくように感じられた。

「美味しい…」

胃が受け付けないかもしれないという心配は杞憂に終わった。
食事を美味しいと思えるのは、一体何ヶ月ぶりだろうか。
優しい心遣いと、向けられる温かい視線。
そして何よりも目の前には大好きな人たちの存在。
どんなご馳走よりも、今のキラには贅沢なものに思えた。
2度3度とキラの口へ運ばれていくスプーンを眺めながら、アスランの口から安堵の息がもれる。
それは同席している彼らも同様だったようで、皆一様に安堵した様子である。
ゆっくりと、だが確実に減っていく器の中身を見て、ラクスは微笑む。
ストレスから拒食を起こしていたキラが、スープとは言え自らの意思で食事を摂取するということは、彼女からストレスの原因が多少なりとも解消されたということを意味している。
それを喜ばないわけがなかった。



食事を摂れるようになったとは言っても、やはり数ヶ月もまともな食事を受け付けていなかった胃は小さくなってしまったようで、スープ1皿食べきることもできなくなっていた。
それでも久しぶりの食事を美味しく食べることができたことは嬉しかった。

「ごちそうさまでした」

両手を合わせてそう言うキラに、アスランが小さくため息をついた。

「キ〜ラ」

呆れたような怒ったような表情、そしてため息。
さらにはキラを呼ぶそのイントネーション。
キラは小さく肩を揺らして、すす、とアスランの視線から避けようとわずかに後ずさった。
とは言っても手を伸ばせば届く距離にいるため、そんな抵抗は意味をなさず、トレイを持ち上げようとしたキラの手はあっさりとアスランによって捕らえられてしまった。

「アスラン?」

ニコルとイザークが訝しそうに見上げる先で、アスランはじたばたと抵抗しているキラに視線を向けている。

「えっとね、もうお腹一杯なんだ。本当だよ?」
「それで?」
「えと…えっと…、だからもうご馳走様かなぁなんて…」
「だから?」
「……………」

諦めたようにうなだれたキラの前に置かれたままのトレイ。
そこにはほぼ空になったスープ皿と、手付かずのフルーツがあった。
ラクスたちは無理に食事をさせるつもりがなかったために、キラがフルーツに手を出さなくても気にしなかったが、アスランが気になっていたのはどうやらそれではなかったらしい。
スプーンを取り上げわずかに残っていたスープ皿の中身を掬う。
ほとんどなくなっていたと思われた皿の中、掬い上げられたスプーンの先に乗っているのは、小さくカットされた赤い野菜の姿。
5ミリ四方にカットされたそれを、むしろ避ける方が難しいだろうと思うのだが、キラは見事にそれだけを避けていたのだ。

「こんな小さな人参くらい食べろよ」
「…………味が嫌い」
「これだけ煮込んであれば味なんてしないだろう」
「…………でもヤダ」

ぷい、と横を向いてしまったキラの、その幼い表情に周囲は苦笑するものの、そんな表情は4歳の時から見慣れているアスランには通用しない。
そらした顔を片手で無理やり戻し、その口元にスプーンを押し付ける。

「ほら、口開けて」
「……………」
「きちんと食べないと元気になれないだろ」
「……………」
「…………キ〜ラ〜?」

1トーン下がったアスランの声に何かを察したのか、キラは恨めしそうにアスランを睨み、それから観念したように目の前のスプーンを口に含んだ。
目を閉じたまま数回咀嚼すると、そのまま飲み込む。
アスランが水を差し出すと、キラはそれを勢いよく飲み干した。


「まったく、普通に食べてれば気にならないのに」
「アスランの意地悪…」
「失礼な。こんなにキラのことを思ってるのに」
「…ものすごく楽しそうだった」
「嫌なら最初から食べればいいだろ」
「それができないから残してるんじゃないか」
「それは単なる好き嫌い。同情の余地なし」

むくれたキラの口に、アスランは苦笑しながらもトレイに残っていた苺を放り込む。
口の中に広がる甘酸っぱさに、キラの機嫌は一気に浮上する。
そんなアスランの様子はいかにも手馴れていて、幼い頃から同様のやり取りが数限りなく行われてきたのだと聞かなくてもわかった。
幼馴染としては少々行き過ぎた感のある光景だが、2人にとってそれは自然なことなのだろう。
当たり前のようにアスランの手からフルーツを受け取るキラの様子はとても嬉しそうだ。

「これで恋人じゃないってんだから……なぁ…」

ディアッカが半ば呆れたようにため息とともに吐き出せば、

「僕、なんか居心地悪いんですけど…」

と、隣のアスランから少し席を離れてニコルが呟く。

「見事に2人の世界だな」

ライバルの変貌ぶりに怒りすらわかないほど脱力したイザークがぽつりと呟くと、

「キラが幸せならいいではありませんか」

婚約者が他の女性と親しそうなのをまるで気にした様子もないラクスが、楽しそうにおっとりと微笑んだ。

ようやく再会できた幼馴染は、周囲の様々な視線をまるで気にした様子もなく、傍目からは恋人同士にしか見えないような甘い雰囲気を漂わせていた。


  • 05.05.15