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藍よりも深く 22


このままでいいのだろうか。
漠然とした不安に、キラは唇をかむ。
キラが守ろうとしたヘリオポリスの民間人の安全はクルーゼによって保証され、キラの憂いはなくなったはずなのに、それでも胸に残る不安は消えることはない。
それは彼らが無事救助される前に自分1人安全なプラントへ避難するという負い目から来るものかもしれないし、自分の我侭のせいで大切な幼馴染やその同僚を危険な目にあわせてしまうことへの罪悪感からかもしれなかった。
今もアスラン達は、アークエンジェルを拿捕するべく綿密なミーティングを行っている最中だ。
アークエンジェルが目指している先は地球軍の月面基地。
キラがどれだけ眠っていたか不明だが、その間ヴェサリウスは停滞を余儀なくされ、アークエンジェルとの距離は以前よりも離れているはずだ。
おそらくそう遠くない時期にアークエンジェルは第八艦隊と合流してしまうだろう。
それを阻止しつつ、アークエンジェルを拿捕することが、一体どれほど難しいことか。
一度は自らの意思で離れたアークエンジェルを、それでも今更になって助けたいと思うなど、自己満足の欺瞞でしかない。
キラが彼らを助けたいと言わなければ、アスラン達はこれほどの労力を使うことはなかったはずだと思うと、有難くも申し訳なくなってくる。
勝手に逃走したキラを、彼らが許すとは思っていなかったが、それでもキラはオーブの王女としてできるだけのことをしたかった。
そのことを告げたとき、アスランは呆れたようにため息をついて、それでもキラの望みを一蹴することはなかった。
それは不思議とクルーゼも同様で、そのせいかキラの願いは意外にも簡単に聞き入れられた。
だが、彼らの言葉を信用しないわけではないが、自分だけ安全な場所にいることが、キラにはどうしても甘受できなかった。

(僕のせいなのに…)

プラントへ保護されることが決定した以上、キラがプラント行きを拒否するつもりはないが、できることならそれはアークエンジェルを鹵獲して、できることなら彼らを無事にオーブへ送り届けてからにしたかった。
それこそ自分の我侭以外の何物でもないため、言葉にすることはさすがに憚られるのだけれど。

「哀しそうなお顔ですわね」

扉が開く音にも無反応だったキラの様子に、部屋へ戻ってきたラクスが訝しそうに首をかしげた。
その手はドリンクの乗ったトレイを持ち、そして腕に大きな紙袋を提げていた。
無重力の空間では重さを感じないためか、小柄な身体に不釣合いな程大きな荷物を苦もなく持っている。
キラはそんなラクスの姿に驚いたものの、心配そうに自分を見つめるラクスを安心させるように、わずかに微笑んだ。

「何でもないよ」
「でも、キラ…」
「ごめん、ラクス。でも本当に大丈夫だから…」

ふるふると小さく首を振るキラの表情は、ラクスが指摘するようにどこか憂いを含んでいる。
クルーゼとの対面で、咄嗟の行動が身体に負担をかけると学んでいるので、キラの行動はひどくゆっくりだった。
そんな動作がさらにキラの憂慮さを際立たせていることに、おそらく本人は気付いていないだろう。
キラが憂いの原因がどこにあるのか、ラクスには最初からわかっていた。
今この状況でキラが憂慮する原因は一つしかないのだから。
運んできたトレイを一旦テーブルに置き、ラクスはキラの手を取る。

「キラ、わたくし達はお友達ですわよね?」

優しい眼差しがキラに注がれる。
キラが頷くと、ラクスはその眼差しをほんの少しほころばせて。

「でしたら、話してくださいませんか? キラがお心を痛めているのは、あちらにいる友人を思ってのことなのでしょう?」
「う…ん」
「お1人だけプラントへ戻ることが許せませんか? それともアスラン達を危険な目にあわせることが心配ですか?」

キラがわずかに目を瞠る。
そんな様子を見て、ラクスは小さく微笑む。

「ご自分のことよりもお友達を心配するキラのことですもの。今この状況でキラが心配する理由はそれしかありませんわ」

おっとりと微笑む彼女は、自分よりも遥かに洞察能力に優れているようだ。
聡明で、そしてとても優しい少女。
1つ年下だというのに、内面は自分よりもずっとしっかりしている。

「皆に申し訳なくて…」
「それは、あちらにいる方々にですか? それともアスラン達にですか?」
「両方…かな」
「ですが、今のキラがまずなさなければならないのは、オーブにいらっしゃる皆様に無事な姿をお見せすることだと思いますわ」
「うん…」

まず自身の無事を報告しなければならないことは、十分承知している。
そのためにプラントへ行かなければならないということも。
今頃、オーブでは父や姉がどれだけ心配していることだろうか。
そして、それはおそらくヤマトの両親も同様だろう。
だが、それでも…。

「………」

先程ようやく戻ったキラの笑顔は、今またすっかり沈んでしまっていた。
自分1人ではどうしようもない状況を、それでも何とかしたいと願うキラの気持ちは、ラクスとて理解できないわけではない。
ラクス自身、そういう思いを胸に抱いている1人なのだから。
哀しそうに微笑むキラを見て、ラクスは心の中でため息をついた。
ラクスが思うよりも、キラの憂いはずっと深い。
少しでもキラの気分を浮上させることができればよいのだが…。
ラクスは少し考え、そして名案を思いついたように両手を叩いた。

「キラ、こちらに着替えてくださいな」

ラクスは紙袋をキラへ差し出す。
訝しそうに受け取ったその中には、何着かの服が入っていた。

「服…?」
「キラに似合う服を用意すると言いましたでしょう。先日補給があった時にプラントから持ってきていただきましたの。いつまでもその格好というわけにも、いきませんでしょう?」

今キラが身に着けているのは、医療用の看護服である。
前身頃を紐で縛っただけの簡素な服の生地は薄く、この格好で動き回るにはかなり不向きだ。
さらにキラの腕や足には、場所によってはまだ包帯が巻かれている箇所がある。
細い身体に巻かれた包帯は、見ているだけで痛々しい。
そんなキラを慮ってか、ラクスの用意した服はどれも裾が長く身体の露出が少ない服であった。
淡い緑色の服は、ウエストラインがゆったりとしていて身体を締め付けないデザインになっていた。
それが肋骨を痛めているキラへの配慮であることは明白で、ラクスの細かな心配りに胸が熱くなる。
ラクスの見立てが確かなのか、サイズはキラにぴったりだった。
4歳の時から今まで男として育っていたせいか、女性らしい服装には何となく抵抗があるキラだったが、ラクスの用意した服はどちらかというとユニセックスなものでキラは安堵した。
ふわりとなびく上着の裾は踝まで届く長さで、同色の刺繍が施されていた。
襟元も同様で、一見シンプルに見えるが品のよいその服はキラによく似合っていた。

「やはりお似合いですわ。キラはオリエンタルな顔立ちですから、このお洋服がきっと似合うと思ってましたの」

自分の審美眼に自画自賛しながら、ラクスはうっとりとキラを見る。
そんな視線にどこか居心地の悪さを感じてしまうのは無理ないだろう。

「何でこの服を?」
「お散歩ですわ」

ラクスの意図が分からず質問すると、ラクスから返ってきたのはそんな返事で。
キラはその意味を図りかねてわずかに首を傾げる。

「少しくらいなら動いても大丈夫ですわよね。いつまでも狭いお部屋に閉じこもっていては、余計に気分も滅入ってしまいますもの。気分転換いたしましょう」
「気分転換って…」

キラは先日まで重傷のため絶対安静を言い渡されていた身である。
それに、何よりもここは戦艦である。
民間人であるキラやラクスが勝手に動き回っていいのだろうか。
アークエンジェルでは行動が規制されることはなかったが、それはキラがMSのパイロットであるからで、民間人であるトールやミリアリアは食堂と部屋以外は動き回ることは許されていなかった。

「アスラン達は今食堂におりますの。キラも少しは何か食べないとですし、丁度いいですからその格好をお披露目いたしましょう」
「でも、あの…」
「さあ、早く参りましょう」
「え…あの…ちょっと……」

嬉々として腕を引っ張るラクスに促されるまま、キラはそのまま部屋を後にする。
抗う術は、キラにはなかった。


  • 05.05.11