自室に戻ったクルーゼは、椅子に腰を下ろすと引き出しから1枚の写真を取り出した。
そこに映っているのは、幸せそうな親子の写真。
幼い2人の娘を両手に抱いた女性が、幸せそうに微笑んでいる。
おそらくはナチュラルなのだろうが、菫色の瞳が印象的な、とても美しい女性だった。
「彼女は、本当に君によく似ている…」
写真の中で微笑む女性に、懐かしさと、そしてどこか苦さを含んだ声でクルーゼは語りかけた。
「さすが君の娘だよ、ヴィア…」
その名を呼ぶのは、一体何年ぶりだろうか。
ヴィア・ヒビキ。旧姓ヴィア・ユラ・アスハ。
オーブの獅子の実妹で、公にはされていないが、オーブの双子姫の本当の母親。
彼女は明るく理知的で、そしてどこまでも綺麗な心の持ち主だった。
オーブの王族として生まれたからであろうか、多くのナチュラルと違い彼女だけは人種の違いなど気にもせず、むしろ異なった2つの種族が共存して生きていける世界を夢見ていた。
知り合ったのはほんの偶然。
自らの特殊な生まれを呪い、そんな自分を生み出した世の中を憎んでいたクルーゼの新しい世話係の1人としてやってきたのが彼女だった。
オーブの姫として何一つ不自由なく暮らしていた彼女が、どういう理由で自分のもとへやってきたのかは知らない。
何度訊ねてもさらりとかわされてしまっていたからだ。
結婚を反対されたためにかけ落ちをしてきたのだとか、自らの理想のために国を飛び出してきたのだとか憶測はあったが、彼女はそのことに肯定も否定もしなかったため、真相は未だに不明である。
初めて会ったあの日。
穏やかな春の陽射しの中、彼女の亜麻色の髪がふわりと風になびいていたのが綺麗だった。
ふんわりと笑んだ顔は慈愛に満ちていて、その柔らかな笑顔に目を奪われた。
ヴィア・ヒビキという女性は、しっかりしているように見えて案外抜けているところが多かった。
大人かと思えばとんでもなく子供っぽいところがあって、クルーゼの世話係というよりはむしろクルーゼが彼女の世話を焼いていたような気がする。
今まで自分の周りにいなかった女性。
そんな彼女にクルーゼが淡い恋心を抱くのは無理なかった。
年齢のわりに聡いところがあった自分を、年相応の子供として接してくれたのは彼女だけで、母親のように厳しくそして姉のように優しく包み込んでくれる彼女は、幼い自分にとって唯一心を曝け出せる人物だと言えた。
彼女からは書物からは学べない様々なことを教えてもらった。
人の心の温かさや自然の美しさ。
彼女から教えられる世界は光に満ちていて、それまで闇の世界にいたクルーゼに明るく優しい世界を見せてくれたのだ。
そんな彼女に子供ができたと知ったとき、まるで自分の弟妹ができるかのように嬉しかった。
生まれたのは双子の姉妹で、初めて見た赤子にどう対処したらよいものか戸惑ったものだ。
そんなクルーゼの様子を見て、彼女は嬉しそうに笑い、そしてこう言ったのだ。
『私に何かあったら、この子達は貴方が守ってね。貴方もこの子達も、私にとっては大切な子供なのだから』
何の血の繋がりもない自分に、大切な子供を託してくれた彼女。
オーブの元王女という身分、そして夫の仕事。
さらには彼女自身有能な学者ということで、彼女の周囲は常に危険がつきまとっていた。
彼女の命が狙われていたと知ったのは、彼女がブルーコスモスのテロによって亡くなってから数年が経過してからだった。
何の力もないあの頃の自分は、彼女との約束を守ることができなかった。
クルーゼが彼女の死を知った時には、すでに彼女が自分に託した2人の娘は、ウズミ・ナラ・アスハの娘として大切に養育されていた。
おそらくキラは母親が死んだ理由を知らないだろう。
むしろあまりに幼かった彼女は、自分の実の母親が誰か覚えていないかも知れない。
公式ではキラはウズミ・ナラ・アスハの実子となっており、その母親の名は明らかにされていない。
普通に考えればウズミの妻がキラの母親ということになる。
ましてや何の事情も知らない国民なら、ほとんど公式の場に出てこないオーブの王妃が産んだ子供だと信じて疑わないだろう。
たとえ真実がどうであれ…。
だが、大切に大切に育てられてきたのだと分かるキラに、わざわざそれを告げようとは思わなかった。
彼女の生き写しのようによく似たキラ。
優しくてまっすぐで、そして慈愛に満ちているキラの純粋な姿は、まさに記憶の中の彼女そのもので、クルーゼはそこに確かに2人の血の絆を感じていた。
たとえ公式発表がどうなっていようとも、たとえキラが何も知らなくても、自分は知っているのだから。
彼女がどれだけ双子の誕生を待ち望んでいたか。
子供達をどれだけ愛していたか。
そして、子供達と共に過ごす未来をどれだけ楽しみにしていたか。
結果としてその未来は叶うことはなかった。
ヴィアは凶弾に斃れ、そしてキラは地球軍下でその身を拘束され望まぬ戦闘へと駆り出され、さらには守るべき仲間から謂れのない虐待を受けていた。
幸せな人生をと願っていた彼女の望みとは、まったく正反対の方向へと事態は動いていた。
アスランが彼女を連れ帰ってきてくれたよかったと心底思う。
そうでなければ遅くない未来、他でもないクルーゼが彼女の命を奪っていただろう。
地球軍に味方する、裏切り者のコーディネイターとして。
想像するだけでも厭わしい状況にならずにすんだことは、どれだけ感謝しても足りない。
遠い昔に失われてしまったかの人の面影そのままに成長していたキラ。
懐かしい姿に、今こうしてめぐり会うことができるとは思っていなかった。
「これも運命かね、ヴィア…」
我が子の幸せを願っていた彼女。
あの時には何の力もなかったが、今は違う。
自分には力がある。
地球軍に利用されていた民間人の1人を守るには十分なほどの力が。
「君の望みは、私が叶えてみせる」
血の繋がりのない自分に大切な子供を託そうとしてくれたヴィアのためにも。
キラの笑顔が翳らないように。
これ以上キラが戦争に巻き込まれないように。
そのために自分ができることなら、どんなことでもしよう。
それが、唯一心を許した女性の最大の望みなのだから。
- 05.05.07