診察が終わり、キラは1人部屋に残された。
怪我の経過は良好だった。
レントゲンを撮ったわけではないから骨折の経過までは断言できなかったが、顔色や表情そして怪我の治癒状況を見て、移動に問題はなしということだった。
確かに当初に比べればその痛みは雲泥の差だ。
当初は本当にひどい状況だったようで、あのままの状態が続けば遅くとも数ヶ月のうちに生命の危機に陥っていただろうと告げられ、さすがのキラも深刻に事態を受け止めた。
そしてそれだけひどかった自分の体調がここまで復帰しているということは、一体どれだけ長い間自分は眠っていたのだろうか。
キラが訊ねると彼女は小さく笑って、
「貴女の身体が休息を必要としただけの日数よ」
何とも微妙な言い回しでかわされてしまった。
順調に回復しているとは言っても、それでも骨折しているキラがふらふらと歩き回ることは歓迎されるはずもなく、何もしないでいるのは心苦しいとベッドから起き上がろうとするキラは彼女に安静を言い渡され、喉の渇きを覚えたキラに代わってラクスが食堂へ飲み物を調達に出てくれた。
プラント最高評議会議長の娘であるラクスにそんなことをさせるのは申し訳なかったのだが、ラクス本人が嬉々としてキラの世話役を買って出てくれたので、無下に断るのも悪いような気がする。
ラクスの好意に甘えると、ラクスはひどく嬉しそうに微笑んで部屋を出ていった。
検査が終わると女医も用事があるということで部屋を後にし、残されたキラは何をするでもなく半身を起こした体制のまま、ぼんやりと室内を見回していた。
最初に感じた印象と何も変わらない殺風景な部屋。
1枚の写真だけが、この部屋の所有者が誰かを教えている。
フレームの中で微笑む優しい女性。
その顔はキラとは似ていない。
10年以上も母と慕ってきた女性だが、本当の母親ではないのだ。
この写真を撮った父親も、実の父ではない。
公式の父親――ウズミ・ナラ・アスハの異母妹であるカリダと、その夫ハルマ。
キラを実の子供同様に育ててくれた大切な家族だ。
「父さん、母さん…」
ヘリオポリス崩壊以来消息がつかめていないが、おそらくは無事避難しているだろう。
今頃はオーブに戻っていて、ウズミと共に行方不明の自分のことを心配しているかもしれない。
ましてやあの日、あの場所にはカガリがいた。
キラの双子の姉で、正真正銘オーブの次期代表であるカガリ・ユラ・アスハが。
救助された彼女の口から、キラがあの場所にいたことが知られているのは確実だろう。
そして、過保護な姉のことだ。あの時の彼女の様子からして、彼女がキラを捜索するためにどのような手段を用いているか、想像すると少し怖いものがある。
幼いころから平気で屋敷を抜け出していたカガリのことだ。
「無茶してないといいんだけど…」
多分無理だろうと思い、キラは大きくため息をついた。
離れて暮らしていたとは言っても、それでも双子だから彼女の性格はよく分かっている。
無断でヘリオポリスへ行ったことを咎められ、父に反抗して国を飛び出してはいないだろうか。
そのうえ持ち前の正義感でどこかのレジスタンスに参加しながら、行方不明になっているキラの消息を追っているかもしれない。
まさか双子の姉が自分の予想通りの行動を取っているとは夢にも思わず、キラは正義感に溢れる姉を思い出して苦笑した。
「調子はよさそうだな」
不意に声をかけられて顔を上げると、開いた扉の先にクルーゼが立っていた。
「セリカから診察は終わったと聞いてね。入ってもよいかな?」
了承がなければ室内に入らないと言わんばかりに、クルーゼが立っているのは部屋の外、通路側だった。
少しおどけたような問いかけがキラを緊張させないためだということがわかって、キラはわずかに表情をゆるめた。
「どうぞ」
「では失礼するよ」
クルーゼはそう言うと、悠然とした足取りで部屋へ足を踏み入れた。
軍人らしい隙のない身のこなしはしなやかで、それがひどく彼に似合っている。
「怪我の回復は順調だと言っていたが、痛みのほうはどうだね?」
「もうほとんど痛みはないです。動き回ることもありませんし…。ご心配をおかけしました」
「いや、気にする必要はない。もし君が大丈夫なら、この艦はプラントへ移動しようと思ってるのだがいいかな?」
「はい」
ラクス及びキラをプラントへ送るための移動なのだろう。
友人を、そしてヘリオポリスの民間人を守りたくて、そのために戦っていた自分だけが安全な場所で保護されることに疑問を感じないと言ったら嘘になるが、それでも彼らがキラの身を案じてくれての結果だということがわかっているから、キラが異を唱えることなどできるはずもない。
本来なら敵軍の兵士として処刑されるはずなのに、クルーゼを始めとしてアスラン達の尽力で本来の自分としてプラントで保護されるのだから。
ヘリオポリスの民間人は、アスラン達が必ず助けると約束してくれた。
もしここに残っていても、キラには何もできないのだ。
軍人でないキラは、ここにいても何一つできることはないのだから。
「浮かない顔をしているな」
「いえ…」
「ナチュラルの友人達が心配かね?」
「……」
キラは答えることができない。
図星、だからだ。
「心配する気持ちはわかるつもりだ。だが、今の君がしなければならないことは、まず自らの怪我を治すこと。そしてオーブに生存を報告すること。この2つだと思うが」
「わかって、います…。でも…」
「我々が信じられない?」
「そんな……っ!」
弾けたように顔をあげたキラは、急激に身体を動かしたせいだろうか、胸部に痛みを感じて小さく呻いた。
「あぁ、すまない。落ち着きたまえ」
「……っ…」
完治したわけでない傷は動かなければそう痛みを感じることはないが、咄嗟のことで怪我のことを失念していたキラは思い切り声をあげ身体を動かそうとした。
衝撃に息がつまったキラを落ち着かせるように制して、クルーゼは困ったように苦笑した。
「何も君を責めようと言うのではない。頭では理解していても感情がついていかないことは、誰しもあることだ。だが、気ばかり急いても成功するとは限らない。気持ちは分かるが、今は君の幼馴染を信じて待つしかあるまい。彼も、そしてイザーク達も決して約束を違えたりしないはずだ」
「……はい」
意外なほど優しい声に、キラは頷いた。
相変わらず仮面を着けているのでその表情はわかりにくいが、キラは彼に対して警戒する気はなかった。
仮面越しに向けられる視線、語られる口調、自分と接する態度。
それらを顧みても、クルーゼがキラに何かを含んでいるようには感じられなかった。
ましてや彼は自分を保護すると確約してくれたのだ。
ともすれば自らの立場を危うくするかもしれないのに。
そんなクルーゼにキラが警戒できるはずもなかった。
それに、何故だろう。
彼の声を聞いていると、どこか安心するのだ。
安心するというか、どこか懐かしいというか…。
柔らかそうな金の髪。軍人らしいしっかりとした身体つき。優雅な仕草。
顔のほとんどを隠しているが、その造作が整っていることは明白で。
自分が知る人の誰かと似ているのだろうかと考え、すぐにその考えを否定する。
外見や年齢だけで似ている人物となると、アークエンジェルで知り合ったムウ・ラ・フラガだが、飄々としたフラガと目の前の泰然としたクルーゼとは、醸し出す雰囲気があまりにも違っている。
では、どこかで会っているのだろうか…。
記憶力には自信があったが、それでも覚えがない。
この仮面さえなければ、多少は思い出せるのかもしれないが。
「……」
あまりにも見ていたからだろうか。
「この仮面が珍しいのかね?」
クルーゼが苦笑しながら訊ねてきた。
「すっ、すみません!」
相手の顔をじろじろ見るのは失礼だとわかっていたのに、それでも無意識のうちに凝視していた自分に気付いて、キラは慌てて視線を逸らした。
真っ赤になって俯くキラを見て、クルーゼは面白そうに笑みを浮かべた。
「…君は、本当に『彼女』によく似ている」
「…え?」
「…いや、単なる独り言だよ」
クルーゼはそう言うと、どこか寂しそうに笑った。
- 05.04.18