オーブの姫としてキラが望んだのは、アークエンジェルの捕獲と乗員すべての助命だった。
元よりラクスとアスランによってその件はすでに最高評議会へは要請済みであり、また評議会からもオーブの民間人を解放することは優先すべきだという判断が下されており、キラの望みは彼らが叶えられる範疇のものだった。
プラントにとっても現時点で地球軍に与していないオーブは無視できる存在でなく、穏健派強硬派の両派ともオーブを敵に回すつもりはなかった。
最もラクスとアスランが評議会へ働きかけた最大の理由は、キラがそれを望むであろうと思われたからなのだが。
ましてやキラの素性が明らかになった現在、キラの要請を断ることなどありえない。
キラ・ヒビキ・アスハはオーブの賓客としてヴェサリウスに滞在、そしてその身柄はオーブと連絡がつくまで本国にて保護することが決定した。
「本当に、身も心も綺麗な方ですね」
要請が聞き入れられた時のキラの笑顔を思い出して、ニコルがうっとりと笑みを浮かべる。
それまでに何度か見せた儚い笑顔とは違う、小さな蕾がそっと花開くような綺麗な微笑み。
内面の美しさが表情に表れているような笑顔は、ニコルだけでなく一目見れば誰でも目を奪われてしまうだろう。
本当に綺麗な人だと思う。
だからこそ、こんな世の中ではひどく生き難いのではないかとも思ってしまう。
傷つき虐げられ、それでも他人を思いやる気持ちを忘れないキラは、まさに奇蹟のようだった。
あの後診察のためラクスを除く全員が部屋から追い出され、クルーゼは本国への連絡のため自室へ戻り、若きパイロット達はいつまでも扉の前に突っ立っているわけにもいかず、今後の作戦を練るため場所を移動した。
本来ならブリーフィングルームにて行われるべきはずのそれが食堂で行われているのは、キラの意識が回復するまで碌に食事を摂らなかったアスランへの配慮だった。
食事の時間には少し早いせいか食堂に人の姿は少なかった。
「姫さんには後で消化のよさそうなものを持ってくとして、俺らは少し早いけどメシの時間にしようぜ」
ディアッカの言葉に異を唱える者がいるはずもなく、トレイを片手に4人は奥の席に腰を下ろした。
何しろアークエンジェルへの命令が撃破から捕獲に変更してしまったので、やるべきことはそれこそ沢山ある。
ただ敵を撃てばいいだけの戦闘とは違い、相手の損傷は最小限にして且つ敵艦を投降させなければならないのだ。
それは普段の戦闘よりも遥かに難易度が高かった。
ストライクという戦力を失ったとは言っても、それでもあの新造艦は油断ならないほど強力な火器を備えている。
そして手ごわい『エンデュミオンの鷹』の存在。
それらを回避しつつ作戦を成功に導くためには、綿密なミーティングと卓越したコンビネーションが要求される。
個々の能力はトップクラスだがチームワークという言葉とは無縁だったクルーゼ隊にとって、今回の作戦が厄介なことであることは確かだった。
だが、やらなければならないのだ。
あの少女のために。
「足つきが第八艦隊と接触するのに、あとどれくらいかかると思う?」
「早くて3週間。遅くてもひと月のうちには合流してしまうだろう」
「ということは、それまでに決行ってことか。…正直、厳しいな」
イザークが僅かに眉を顰める。
ラクスとキラを乗せている以上、現時点での総攻撃は不可能だ。
ましてや彼女達を本国へ送るために、ヴェサリウスは一時戦線を離脱する。
その際にクルーゼとアスランも一旦本国へ戻るため、ガモフだけでアークエンジェルを攻撃するにはやや戦力に欠ける。
双方に犠牲を出さないと決めた以上、万全の体制で挑まなければならなかった。
現在のポイントからプラントまでは片道で5日。
その後報告やら何やらで、おそらく戦線に復帰できるのは、早くても2週間後。
そしてキラの容態如何によっては、プラントへの移動がいつになるのかわからない。
残されたわずかな日数で、アークエンジェルが地球軍と合流しないことを祈るしかない。
「とりあえず、こっちはあいつらが地球軍と合流しないよう、進路を妨害しておく。ヴェサリウスは一刻も早く戻ってくるんだな」
「勿論だ」
短く応えたアスランの声は低く、ディアッカはそこに隠しきれない憎悪を見た。
傍で見ていてもアスランがキラに対して執着しているのはよくわかる。
宝物のように大切に慈しんでいたのは友情か、それとも愛情なのか。
さすがに観察する期間が短すぎてそこまでは把握できないが、おそらくはラクスよりも大切な存在であることは間違いない。
(まあ、確かに…)
あれだけの美少女と一緒に育てば、自分でもアスランと同じことをしただろう。
そこまで大切にしていた幼馴染が不当な仕打ちを受けていたのだから、アスランにとってアークエンジェルはどのような手段を用いても滅ぼすべき仇敵である。
本音を言えば、いくらキラの望みだからと言って彼らを処罰せずにはいられないだろう。
むしろあの時のアスランの怒りを知る立場からしてみれば、彼らの助命を聞き入れるとは到底思えなかった。
だが、自らの怒りがどうであれアスランが最優先するのは、あくまでもキラの望みなのだ。
キラが望むこと。それがアークエンジェルの撃破であるはずがないのは明白であり、そして彼女が喜んでくれるのなら、アスランにとって自らの感情を殺すことなど造作もないのだろう。
(内心はらわた煮えくり返ってるだろうに、しっかり姫さんの前では隠してるところはさすがだよな)
それでもキラのいない場所で彼らに対しての殺意や憎悪を隠しきれないのは、まだ16歳という年齢を考えれば当然のこと。
そのことについて揶揄しようとは思わなかった。
「それにしても」
食後のコーヒーを味わっていたイザークが、不意に何かを思い出したように切り出した。
「クルーゼ隊長があいつの要求を呑むとは思わなかった」
「あぁ…確かに」
「これを好機と見て足つきを攻め滅ぼすかと思ったんだが…」
「隊長らしくないっつったら、らしくないな」
「そうですね…。クルーゼ隊長が情で動くタイプとは思ってませんでしたから、正直僕も驚きました。ですが、隊長がキラさんを利用しようとしているわけではないことは確かだと思いますよ」
4人の中で人の感情に最も聡いニコルが断言すれば、他の3人も頷くしかない。
ザフトでも有能と呼び名の高いクルーゼは、軍の指揮官としてはまだ若年である。
その彼が最高評議会からも信任厚いのは、決して情に流されず勝利のためには多少の犠牲さえも惜しまない、合理的な思考の持ち主だったからだという噂もあるほどだ。
そこまではいかなくとも、評議会の信頼を決して裏切らない人物であることは間違いない。
だが今回クルーゼが取った行動は、結果的には評議会の意向に沿っているものの、キラの要望を全面的に受け入れた当初は評議会には未承諾であり、その独断が非難される可能性もあったのだ。
それすら厭わない行動は、確かに自分達の知るクルーゼとはまるで別人だ。
ラクス返還時にキラを伴って帰艦した当初、クルーゼはキラを国民の士気を煽るための道具として利用するつもりだった。
それはラクスによって阻まれ、そして次に会った時にはクルーゼはキラの味方になっていた。
キラが自らの出自を暴露した時から、いやそれ以前――キラ・ヤマトを『保護』すると決めてから、クルーゼはキラのために様々なことを画策していたようだ。
アスランが眠るキラの傍を離れずにいた時間、彼は着実に行動していたのだろう。
最初はラクスの要望に応えての行動かと思ったのだが、その後のクルーゼを見ているとそれだけとは思えないことが何度かあった。
キラの素性が明らかになってない時期、最高評議会ではストライクのパイロットを無罪放免にするわけにはいかないという判決が下った。
その決定を覆したのは偏にクルーゼの尽力によるものだし、アークエンジェルの処遇がクルーゼに一任されたことも、おそらくは彼が色々と動いた結果なのだろう。
キラの性別がわかってから、クルーゼの態度は豹変したと言っていい。
おそらくはその時からキラの素性について、クルーゼには確信があったのだろう。
今のこの状況下において、オーブを敵に回すのは得策でないと判断したからか、それとも他に理由があるのか。
わずか数日の出来事。
その間に何があったのか。
何を知ったのか――?
アスランには分からない。
だが、少なくともキラにとってマイナスの方向に働かないことは確かだった。
「ま、いいんじゃねえの。姫さんにとっては悪くないんだからさ」
アスランと同じことを考えていたのだろう。
ディアッカがカップに残ったコーヒーを飲み干しながら、そう答えた。
「隊長がどういう思惑なのか知らないけど、俺らがすることは変わらないだろ」
楽観的な言葉だったが、確かにその通りだ。
軍人として上官の命令には絶対服従。
そして議会と上官がアークエンジェルを捕獲せよと言うのなら、それを遂行するのが自分達の仕事なのだ。
ましてやそれがキラの望むことならば、彼らにとっても不服はない。
「あれだけの戦艦を被害は最小限に捕らえるっつーのも苦労しそうだけどさ、姫さんが喜ぶんなら多少の苦労ぐらい何とかなるんじゃねえの? 伊達に赤は着てないんだからさ」
「まあな…」
「そうですね。僕達がしなければならないんですから」
どうやらディアッカとイザークもキラを気に入ったようだ。
彼らだけではない。最初こそ裏切り者だとキラを非難していた艦のクルーも、気付けばキラのことを受け入れていた。
姿さえも禄に見たことがない多くのクルーでさえ、キラの容態を案じているようだった。
誰からも愛されるキラ。それはナチュラルであれコーディネイターであれ変わらない。
キラという人柄を知れば、誰もが彼女を好きになる。
そんな幼馴染が自慢だった。
「………」
だが、何故だろう。
好意を持って艦のみんなに受け入れられたことは、キラにとって喜ばしいことのはずなのに。
特に、イザークやディアッカがキラを仲間として認めるということが、今後のキラにとってどれだけ有利に働くかわかっているはずなのに。
心のどこかでそれを面白く思っていない自分が存在することに、アスランは気付いたのだ。
彼らがキラを褒めれば褒めるほど、アスランは心の奥にもやもやとしたものが蓄積されていく。
今までは感じなかったそれが何を意味するか。
アスランはまだ知らなかった。
- 05.04.14