「なっ…!?」
その言葉を聞いて、イザークは怜悧な双眸を大きく見開き。
「え…?」
ニコルは何を言われたのかわからないというように首をかしげ。
「マジ…かよ…」
ディアッカは信じられないというように呆然と呟いた。
アスランはそんな3人の様子に気付く気配も見せず、ただただキラを見ていた。
オーブ首長国の血に連なる者。
その言葉が何を意味するか分からないほど、彼らは世界の情勢を知らないわけではない。
ましてやオーブは特殊な国だ。
他国を侵略せず、他国の侵略を許さず。
その理念の下、コーディネイターであろうとナチュラルであろうと隔てなく暮らせる、今では唯一の国と言ってもいい。
地球にあるほとんどの国がコーディネイターを排斥せんと連合軍に加盟する中で、自国の理念を貫き通そうとするオーブの姿勢は、平和を願う多くの者にとって唯一残された希望の光である。
おそらくは地球軍からの圧力も少なくないだろう、そんな状況でも彼らは頑としてその意思を譲らない。
オーブに対して、多くのコーディネイターが好感を抱くのは当然のことだ。
『オーブ』と聞けばすぐに連想されるのが、平和の国という代名詞。永世中立国という世界情勢における位置。
そして、オーブの獅子と呼ばれる代表、ウズミ・ナラ・アスハの存在。
ナチュラル・コーディネイターの区別なく世界平和を唱え続ける彼は、プラントで最も有名なナチュラルである。
そしてオーブの獅子が誇る、2人の娘。
姉はナチュラル、そして妹はコーディネイターとして生まれた双子の姉妹は、オーブの理念そのままに王宮で仲睦まじく暮らしている。
警備上の理由かそれとも古くからの慣わしのせいか、成人するまでは表舞台に出ない掟になっているために、彼女らの情報はほとんど入ってこないが、それでも年に一度の建国祭にだけはその姿を見せる。
優しく慈悲深い微笑みを浮かべる双子姫の人気は絶大で、特に天使のように美しいと称される妹姫の人気は、一部では現代表のウズミ・ナラ・アスハをも上回るとも言われている。
今となっては数少ない一世代目のコーディネイター。
それも女性となれば数はさらに減少し、プラントでもその数は片手に足りるほどしかいない。
ましてやオーブともなればコーディネイターの数は激減し、オーブ国籍を持つ10代の第一世代女性コーディネイターは、アスランの知る限り唯1人だけだ。
オーブの獅子が慈しんでいる掌中の珠。
光の姫と呼ばれる姉に対して、オーブに存在する唯一の一世代目コーディネイターである彼女の呼称は…。
「キラが…オーブの綺羅星…」
ぽつりと呟いたアスランの言葉に、キラは寂しそうに笑った。
今思えば、アスランの手を取った時に、すでに運命は回り出してしまったのだ。
アークエンジェルにいる間はまだ虚勢を張れた体調は、戦闘終了後から悪化の一途を辿るばかりで、したたかに蹴り上げられた肺の周辺は時間が経つにつれ赤黒く腫れあがり、あの艦を離れる時には息をつくのにも強い痛みを生じていた。
眠ることを忘れた身体は泥のように重く、食べ物を受け付けなくなって久しい胃は、固形物はおろか水すら拒絶するようになっていた。
そんな状態でアスランの元へ来たのだ。
もしあの時倒れなくても、遅かれ早かれ事態は今と変わらない状況になっていただろう。
アスランがキラの変調を、それこそほんの些細なことすら見逃すはずはないのだから。
そんなアスランに、どうして自分の秘密を隠しとおせるなどと思ったのだろう。
たった一言で、キラの素性を見抜いてしまうほどの知識と洞察力に、いっそ感心すら抱いてしまう。
精密な機械のように豊富な知識。
多くの時を一緒に過ごしてきたはずなのに、自分には彼ほどの着眼力はなくて、そんな幼馴染を頼もしいと思える反面、その勘の鋭さが今は哀しかった。
オーブの姫については、噂話に疎いアスランですら聞いたことがある。
最もプラントにいる誰一人として実物を見たことはなく、先行する噂話だけでは彼女の実態を窺い知ることは何一つできなかったが。
公正で快活な姉姫と、思慮深く繊細な妹姫。
姉姫のほうは度々国民の前に姿を見せることはあったが、内気だという妹姫は滅多に姿を現すことはなく、国民のほとんどが彼女の顔を知らないと言っても過言ではないだろう。
年に一度しか姿を現さない彼女のことを、暗殺対策だとか実は病弱なのだとか、果ては家族の溺愛が深すぎて一切の外出を許されないのだとか、様々な憶測が飛び交っていた。
最もアスランは、その真偽について興味を抱くほどには、その話題に関心はなかったが。
歌姫ラクス・クラインとはまた違う、プラントで有名な少女。
繊細で儚く、誰よりも慈悲深い奥ゆかしい姫君。
それが、アスランの知る『オーブの綺羅星』であった。
誰もが知りたくて、それでも知ることのできない高嶺の花。
それが、目の前にいるキラなのだ…。
アスランは真剣な眼差しでキラを見つめた。
端整な顔は不特定多数の視線に晒される機会の多かったせいか、ポーカーフェイスが標準装備されている。
怜悧な瞳が瞬き、形のよい唇に先ほどまで浮かんでいた笑みはすでに消え、その姿からは彼が何を考えているのか察することはキラには不可能だ。
見ようによっては怪訝そうにも見える視線を受けて、キラは唇を引き結ぶ。
覚悟はしていたことだが、やはりアスランに拒絶されたくはなかった。
アスランの視線に耐えるように、キラはシーツを握る手に力を込め、わずかに視線を落とした。
ほんの数秒の沈黙。だがそれは今のキラにはひどく長く感じられた。
やがて。
アスランが小さくため息をついて、宵闇色の髪をくしゃりとかきあげた。
そして漏れる声――。
「噂ってのは、本当に信憑性がないんだな」
呆れたような困惑したような、それでいてどこか温かみの感じる声に誘われるように、キラは顔を上げた。
そこにはいつもの様子のアスランがいて、キラを見つめていた。
「噂は噂のままにしておいたほうがいいかもしれないな。プラント国民のためにも、オーブ国民のためにもね」
「え……?」
言われた内容が理解できなくて、キラはわずかに首を傾げる。
菫色の大きな瞳を不思議そうに瞬かせて自分を見上げる仕草は、幼いころと変わらず可愛らしい。
天使のように美しいオーブの妹姫。
確かに外見だけなら噂通りだろう。
繊細で慈悲深いということも、あながち間違いではない。
だが、アスランは知っていた。
目の前のこの『天使』は、おっとりしているくせに芯は強く、そのくせ事態が収拾つかなくなると決まってアスランに泣きついてくる、思慮深さなど欠片も感じさせないほど強引で楽天的な性格の持ち主なのだということを。
「もしかして、キラ。オーブでは猫を被ってるのか? そうじゃなきゃ、キラが思慮深いなんて噂、どこをどう間違っても出ないはずなんだけど…」
「…何気にひどくない、それ…」
「だってお前、我侭で意地っ張りで、やりたくなことは徹底的にしない奴じゃないか。俺はお前に付き合って何度徹夜したかわからないぞ。それなのにキラは横ですやすや寝てるし。結局キラの課題のほとんどは俺が作ったようなものじゃないか」
呆れたようなアスランの声に、堪え切れなかったのか誰かの笑い声が小さく漏れた。
キラが声のした方を振り向くと、肩を震わせているディアッカと、口元を押さえているニコルの姿があった。
「…もうっ、昔のことはいいだろう! 僕だって公私の区別くらいつくんだよ!」
今更掘り返されるとは思わなかった過去を、よりによって初対面と言ってもいい人たちに暴露されて、キラは顔を真っ赤にさせてアスランを睨んだ。
「あら、噂なんてそんなものですわ。気にすることはありませんよ、キラ。アスランなんてクールビューティーと呼ばれていますのよ。沈着冷静な王子様なんだそうですわ」
「…そんなの、アスランじゃない…」
少なくとも、アスランが自分の前で沈着冷静だったことなど、ただの一度もない。
「噂とは、えてして当人の本質とは違いますもの。キラがそれだけ人々から好意をもたれているということですわ。よろしいことじゃありませんか。そう思いませんか皆様?」
「まあ、確かに…」
「噂など、本人の意思とは無関係だからな」
ラクスが視線を向ければ、何やら思い当たる節があるのかディアッカとイザークが同意した。
「噂より本物のキラさんの方が随分と可愛らしいですしね」
まだ幼さの残る顔に、人好きのする笑顔を浮かべてニコルが笑う。
「それに、お前がどんな身分だろうと、『キラ』であることは変わりないだろ?」
ふわり、と優しい仕草でキラの髪をかきあげ、アスランは笑う。
キラは再び目頭が熱くなるのを感じながら、それでも涙が溢れるのを耐えるようにわずかに頷いた。
一度だってキラが『キラ』でなかったことなどありえなかった。
どこにいても、誰といても。
アスランが『アスラン』であることと同様に。また、ラクスが『ラクス』であるように。
オーブの姫だろうと、一世代目のコーディネイターだろうと、ヘリオポリスの学生だろうと、キラはいつだってキラでしかなかったのだ。
「では、訊ねよう。君の名は?」
クルーゼの声に、キラは迷いのない視線を向けた。
「僕は、オーブのキラ・ヒビキ・アスハです」
アスランの手が優しく髪を撫で、ラクスが微笑みかける。
ディアッカとニコルが嬉しそうに笑みを浮かべ、イザークは目が合うと少し照れたように視線を逸らした。
そして、穏やかな微笑を浮かべる軍医の隣で、クルーゼはひどく満足げに頷いた。
自分が自分でいるということがどれほど素晴らしいことなのか、キラは長い間忘れていた。
思い出させてくれたのは、自分と同年代の彼らと、大切な幼馴染。
数日前には互いに銃を向け殺し合っていた、かけがえのない同胞だった。
- 05.04.01