ひとしきり泣いてようやく気持ちの整理がついたのだろう。
やがてキラは幼馴染の胸から顔を上げた。
その瞳はまだ潤んでいたが、表情は穏やかだ。
「落ち着いた?」
「うん…」
人前で泣いたことが恥ずかしいのか、うっすらと目元を染めながらキラは小さく頷いた。
「無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう。大丈夫だよラクス」
ラクスがキラと知り合ったのは、わずか数日前のこと。
それでもキラが繊細な人物であるということは、交わされる会話や浮かぶ表情から十分にわかる。
おそらくは自分よりもずっとずっと弱い少女。
そんな彼女がどうして性別を偽って、おそらくは誰よりも大切なアスランと敵対してまであちらにいたのか、ラクスはその理由に薄々気付いていた。
地球軍の戦艦にいたキラの様子を知っているのは、ここではラクスだけだ。
あの艦にいたキラの友人達。そしてキラが救助したという民間人。
自分を守る術すら持たない彼らを放っておけなかったのだろう。
ザフトでは足つきと呼ばれているあの艦――アークエンジェルが、通常の軍艦であったならキラは戦わずに済んだだろう。
だがあの艦で戦力にあるのは正規の軍人は1人しかおらず、最大の戦力となるMSはナチュラルには到底扱えるものではなくて。
偶然にそのMSを動かしてしまったキラ以外に操縦する者がいなかった。
だから、なのだろう。
傷つきながらもその手に銃を握ったのは。
ラクスはベッドの横に膝をつき、キラの手を取った。
白く細い、自分と変わらない手。
こんな小さな手で多くの人を守ろうとしたキラがいじらしく、そしてその高潔な魂が好ましかった。
一目見て宝石のように澄んだ瞳に目を奪われ、会話をしてその優しい人柄に惹かれた。
ザフトへ連れて行くと言われたとき、危険を冒してまで自分をザフトに戻そうとしてくれた気持ちが嬉しかった反面、ここで別れたら二度とキラに会えないのだと思うと何故か哀しかった。
もっとゆっくり色々なことを話してみたい。
出会ってから哀しそうな顔や困惑した顔しか見たことがなかったから、笑った顔も見てみたかった。
できることなら友達として、これからもずっと交流を持ちたかったのだ。
だからアスランの言葉に便乗した。
彼女がアスランと戦いたくないことは聞いていたし、何よりもあの艦にいることが彼女にとって良策だと思えなかったから。
彼女が本来あるべき場所へ返してあげたかったのだ。
それはアスランの隣かもしれないし、生まれ育ったオーブかもしれない。
どちらを望むかは彼女の自由だが、少なくともあの艦が彼女の場所ではないことだけは確かだと思ったのだ。
「貴女には私がついておりますわ。それにアスランも」
そう、彼女は決して1人ではないのだから。
少なくとも、この艦にいる者は全員キラの味方だ。
ラクスの言葉にキラはアスランを見上げ、アスランはそんなキラを安心させるように笑顔を浮かべた。
「ラクスの言う通りだよ。キラは俺が守る」
「ありがと…」
ある意味愛の告白とも取れなくない言葉に、キラは思わず赤面する。
小さい頃から言われ慣れていた言葉だが、年頃になってから聞くと気恥ずかしいものがある。
アスランにしてみれば3年前と同じく、頼りなくぼーっとしている自分が心配なのだろうが、事情を知らない人が聞いたら誤解されるに決まっている。
ただでさえ、この体勢である。
婚約者の目の前で別の女性を抱きしめて、腕の中の女性にうっとりと微笑みかけ、あまつさえ「俺が守る」なんて発言は、ラクスに失礼ではないか。
そう思って、キラはアスランの肩から身体を起こそうとしたが、それはラクス本人によって遮られてしまった。
「あまり動いては傷に障りますわ。どうぞそのままで」
「えっ…でもあの…」
「キラ様、どうぞそのまま」
やんわりと、だが否定を許さない口調で、ラクスはキラの頭をアスランの肩に押し戻した。
余裕があるのか、それとも本当に気にならないのか。
むしろ2人が親密であることを喜んでいるようにしか見えないのは、キラの気のせいだろうか。
「でも、よろしかったですわ。キラ様がお元気になられて。そしてお2人が争わずにすんで」
「うん…。ラクス…さんにも心配かけちゃったみたいで、ごめんね?」
「気になさらないでくださいな。友達の心配をするのは当然ですわ」
「友達…?」
「ええ。私は貴女とお友達になりたいのです」
「ラクスさん…」
「どうぞ、ラクスとお呼びくださいな。キラ」
「…ありがとう、ラクス」
優しく微笑みかけるラクスに、キラはぎこちないながらも小さく頷いた。
僅かに見える翳りは、あちらにいる友人を思い出してのことだろうか。
幼い頃からずっと一緒にいて、それこそキラの思考回路は知り尽くしているアスランは、そんなキラに気付いてわずかに眉を顰める。
アスランにしてみれば、キラがこれだけの重傷を負っていることにも気付かず、ただ守られる立場でいることを甘受している連中など、キラが気にする価値など欠片もないと思うのだが、キラの性格上それは不可能に近い。
だがそのことを告げてもキラが反論するのはわかっていたので、アスランは敢えて何も言おうとしなかった。
「ところでさ、1つ質問があるんだけど」
不意にディアッカがそう訊ねた。
問いかけられたキラは、聞かれる内容が想像ついたのか、ラクスとの会話で柔らかくなった表情をわずかに強張らせた。
ディアッカはそんなキラの様子に苦笑を浮かべつつ、ひらひらと手を振った。
「あーっと…別に取って喰おうってわけじゃないから、そんなに怯えないでくれると嬉しいんだけど」
「あ…そういうわけじゃ…」
「まあ、これは多分俺達の全員が抱いてる疑問だと思うんだけどさ、皆聞きづらいみたいだから俺が代表して質問ってことで」
相変わらずの軽い口調でディアッカは言葉を続ける。
「あんたさ、民間人なのに何で戦ってたわけ? 民間人が戦闘に参加するなんて、下手すりゃ重罪だぜ?」
「ディアッカ…」
「ディアッカ、無神経ですよ」
アスランは元よりイザークやニコルからも非難めいた視線を向けられ、ディアッカは肩をすくめる。
「あのさぁ、守りたいってのは分かるし、これ以上姫さんを傷つけたくないってのもわかるけどよ。何一つ理由を聞かないで『じゃあ守りましょう』ってことにはできないだろ普通。別に俺だって今更責めるつもりはねえよ。だが、こんなにボロボロになってまで地球軍に味方してた理由が知りたいって思うのは無理ないだろう?」
アスランは幼い頃から一緒にいたため、誰よりもキラの性格を知っている。
そしてラクス・クラインは、あの艦でキラが置かれていた状況を知っている。
だが、自分達はこの少女について何も知らないのだ。
知っているわずかな情報は、医師の下した診断結果と、幼馴染であるアスランの言葉だけ。
彼女が何を思って戦っていたか下手に推察するよりも、本人の口から聞くのが一番正確だ。
ディアッカの視線を受け止めて、やがてキラが口を開いた。
「…あの艦には、守りたい人達がいるんです」
「一緒に拘束されたって言う友達?」
「他にも、ヘリオポリスの避難民の人もいたので…」
「避難民? 何でまた…」
「僕が拾ってきちゃったんです。推進部の壊れた脱出用のポッドを発見して…そのまま見捨てておくわけにもいかなくて…。結果的に戦争に巻き込んじゃったから…」
「だからって、それがキラの責任にはならないだろう」
「うん、でもね…」
アスランの問いに、キラは小さく頷いて。
「彼らを守るのは、僕の…義務なんだ」
弱々しく、だがどこか毅然とした表情で、キラはそう答えた。
- 05.03.21