完全に声をかけるタイミングを失ってしまった。
それがディアッカの心の声だった。
彼女の目が覚めるのを今か今かと待ち望んでいたのはアスランだけではなかったが、どうやら彼女が望んでいたのは幼馴染の姿だけだったらしい。
狭い室内にひしめきあう5人の中から、たった一人だけに向けられた菫色の瞳。
どこか甘えるようなキラの口調、そして今まで見たこともないほど蕩けきった同僚の笑顔。
うっとりと目を細めるキラの髪を優しく梳くアスラン。
声をかけることすら躊躇うほどの、切なく温かい空気。
そんな様子は幼馴染というよりもむしろ恋人のようで、2人の間には自分達が入り込むことのできない親密な空気が流れているのを感じた。
ようやく話が聞けると思っていたのに、こんな2人だけの世界を繰り広げられてしまっては、残された者として面白いはずがない。
だが、何故か邪魔しようという気にはならなかった。
どうやらそれは隣にいるイザークも同様だったらしく、目の前に繰り広げられている幼馴染の再会にしては些か行き過ぎの感も否めない2人の様子にも、珍しく口を挟まなかった。
最も純情な彼は、面白いほどに真っ赤になっていたのだけれど。
ニコルはようやく目を覚ましたキラの様子が、意外にもしっかりとしているのに安心しているのか、幼さの残る顔を和ませているものの、それでも恋人同士にしか見えないような2人の様子を見て居心地が悪そうだ。
ラクス・クラインが2人の間に入ってくれたことは、少なくともイザークとニコルにとっては救いだっただろう。
だが、目覚めたばかりの眠り姫は、自分がどれだけ熱烈な再会シーンを披露していたのかまったく自覚がなかったらしい。
きょとん、と見上げられた瞳はどこまでも無垢で。
「誰?」
形のいい唇がゆっくりとそう紡がれるのを見たディアッカは、目の前の少女から確かに歌姫と同類のものを感じていた。
別に忘れていたわけではないが、キラが目を覚ました途端彼らの存在に気を止める余裕などなくなったのは事実なわけで。
アスランは振り向いた先にあるであろう冷ややかな視線を想像して内心で苦笑した。
「アスランの友達?」
同じ赤服を着ているからそう思ったのか、それとも室内に詰め掛けているからそう感じたのか。
先ほどより僅かに緊張した様子で問いかけてくるキラに、おそらく背後ではキラの言葉を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をしているだろうイザークを思い浮かべ、アスランは複雑な笑みを浮かべた。
「ただの同僚だよ」
そう言いつつ振り返れば、やはり自分の予想と寸分違わないイザークと、含みのある笑顔で自分を見ているディアッカ、そしてどこか嬉しそうなニコルの姿があった。
最初に行動を起こしたのは、心配も深かった分喜びを隠すことのできなかったニコルで、笑顔を浮かべてキラへ近づいた。
それに続くようにディアッカが歩みより、イザークもわずかに歩を進めキラとの距離を縮めた。
「初めまして、キラさん。ニコル・アマルフィーです」
「よろしく、姫さん。ディアッカ・エルスマンだ。ディアッカって呼んでくれ」
「…イザーク・ジュールだ」
「皆さん、軍人…なんですよね…」
「彼らは俺と同じMSのパイロットだよ」
アスランがそう告げると、キラの身体が小さく震えた。
「キラ?」
「…もしかして…デュエル、バスター、ブリッツ…?」
「……あぁ、そうだよ」
キラはひどく複雑な表情を浮かべ、それを隠すように俯いた。
数日前まで敵として戦っていたのだから無理はないのだろう。
本当ならキラの体調がもう少し安定するまで知らせないほうがよかったのかもしれないが、自分のことにはとことん鈍いくせに、他人の感情や周囲の状況などには驚くほど鋭いキラだから、たとえ隠したとしても僅かな布石から彼らがパイロットだと感付いてしまうだろう。
そう思ったからこそ、アスランは真実を告げたのだ。
勿論彼らがキラに危害を加える可能性がないと判断したからこそなのだが。
「キラ? キラ? 彼らは敵じゃないよ?」
俯いたまま布団を握り締めるキラの手を自分の手でそっと包み込んで、アスランはそう告げる。
キラの表情が強張った理由がわかったニコルは、アスランの言葉で彼女が自分達と戦っていたのだということを今更ながらに実感した。
今まで彼女の境遇を同情していてすっかり失念していたが、自分達はキラの生命を奪おうとしていたのだ。
その素性を何1つ知らないまま、ただ敵軍のパイロットというだけで。
自分達の中で「敵」という認識がなくなったからと言って、彼女が同じように思っているとは限らなかったのに。
細く頼りない肩がわずかに震えているのは恐怖のせいだろうか、それとも…。
「……なさい」
「キラ?」
「謝って許してもらえることじゃないのは分かってるけど…でも…」
「キラ、さん…?」
何故彼女が謝るのだろうか?
むしろ非難されるべきは自分達のほうなのに。
「何故、貴女が謝るんですか?」
「守るためとは言え、銃を向けてしまったから…」
「そんな…っ、それは仕方のないことですよ。むしろ貴女は強制されて戦場に出されてたのですから…。謝るべきは僕らの方ですよ。民間人である貴女に銃を向けたのですから」
ニコルの言葉にキラが顔を上げる。
その瞳がわずかに潤んでいる。予想以上に彼女の心の傷は大きいのだろう。
「でも…」
「戦場で敵と戦うのは当然のことだろ。乗ってる相手のことなんてわかんねーんだからさ」
「だって…」
「あの時はそれ以外方法がなかった。気にするな」
「キラ様は出来るだけのことをなさったのでしょう? 彼らもまた同じことですわ」
ニコルだけではなく、ディアッカとイザーク、そしてラクスにもそう言われ、キラは声を詰まらせた。
「……なんでっ…」
今にも零れそうなほど涙を溜め、それでも必死で堪えるようにきつく布団を握りしめて、キラは彼らに視線を向けた。
「…何で…そんなに優しいんですか…?」
僕は『裏切り者のコーディネイター』なんでしょう?
「!?」
告げられた言葉に、アスランだけでなくその場にいた全員がキラを見る。
キラは自嘲するように口の端を持ち上げた。
「前に、そう…言われました。それなのに…優しくしないでください…」
そう言って再び俯いたキラの横顔は、深い哀しみに彩られていて。
優しいキラがそんなことを言われて傷つかないはずがなく、その言葉がキラの棘になっているのは容易に想像できた。
「卑劣な…っ」
誰が言ったか知らないが、その言葉でキラを地球軍に縛り付けておこうという意図があるのは明白だった。
そうやってキラを追いつめて孤立させて、更には最後の居場所さえも奪おうとしていたのだろうか。
「…キラは裏切ったわけじゃないんだろう?」
溢れ出る怒りを必死で押し殺し、アスランは腕の中の少女を覗き込む。
泣いているかと思われたがどうやらそうではなかったらしく、キラは俯いたまま小さく頷いた。
守りたいものがあった。
そのためには戦うしかなくて。
だが、それでも同胞を裏切るつもりなど、微塵もなかった。
「他に…方法がなかったから…」
投降はできないと言われてしまっては、自分に残された方法はそれしかなかったのだ。
「それなら、キラは俺達の敵じゃないよ」
「そうですよ。第一キラさんの意思じゃないんですから」
「むしろお前は被害者だろう」
「誰が言ったか知らないけど、そんな奴の言葉忘れちまえ」
「っ………」
次々にかけられる優しい言葉に、キラの瞳から堪えきれなくなった涙が零れた。
こんなに優しい人達に、どうして自分は銃を向けることができたのか。
後悔と自己嫌悪から、涙は止まることなく頬を伝って流れていく。
彼らの言う通り、キラにとってザフトは敵ではなかった。
元々オーブ国籍のコーディネイターであるキラにとって、彼らは最初から敵などではないのだから。
裏切り者だと、そう自分に告げたのは、『コーディネイター』であるキラの能力を利用しようとした地球軍の一部の人間だ。
その言葉に隠された彼らの野望に気付いていながら、それでもその言葉を否定できなかった自分の愚かしさがひどく情けなかった。
- 05.03.19