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藍よりも深く 13


ニコルがその部屋へ足を踏み入れると、そこには昨夜と同じ光景があった。
簡素なベッドの上で昏々と眠る少女と、その傍らで不安そうな顔のまま少女の手を握り締めている藍色の髪の同僚。
おそらく一睡もしていないのだろう、秀麗な顔には疲労の色が濃く、鮮やかな緑柱石の瞳は常の光を失い、その下にはうっすらと隈ができていた。

「アスラン、また寝ていないんですね」

曖昧に笑ってごまかそうとするアスランに、ニコルは小さくため息をついた。
先日の話で、アスランがどれだけこの少女――キラ・ヤマトを大事に思っているかよくわかった。
アスランとの付き合いはアカデミーからだが、いつも落ち着いていてそれこそ完璧な優等生を形にしたような彼が、ここまで表情を変えるのを見たことがなかった。
髪を撫でる手も、細い指を握る繊細な指も、寝顔を見つめる端整な横顔も、大切で大切で仕方ないと告げているほどに、アスランにとってこの少女の存在は大きなものなのだろう。
戦争は残酷だ。
こんなにも強い絆の2人すら、戦わせてしまうのだから。

「少し休んだほうがいいですよ」

キラ・ヤマトを連れてきてからのアスランの心労は計り知れない。
薬のせいで眠り続けるキラの傍から片時も離れようとせず、睡眠も食事も必要最低限しか摂っていないのだ。
日に日に憔悴していくアスランの様子に、さすがに心配を隠せなくなったニコルがそう言うが、アスランは苦笑して小さく首を振るだけだ。

「眠れないんだ…」

そっと、キラの前髪をかき上げてアスランは呟く。
倒れた当初は蒼白だったが、数日が経過した今その顔色は少しずつよくなっている。
苦しそうに喘ぐような呼吸もすでになく、穏やかな眠りについている。
だが、それでも時折うなされているのを、ニコルは知っていた。

『…父…さ……、みんな……』

哀しそうにそう呟いたキラ。
ヘリオポリスが崩壊した際、オーブに住んでいたキラの両親が巻き込まれたことは間違いなく、だが地球軍に拘束されたままの彼女には両親の安否を探ることなどできるはずがない。
更にアスランの手を取ったことで、あちらにいる友人達を見捨てた形になっている現状は、夢の中でもキラを追い立てているのだろう。
この小柄な身体に、一体どれだけの哀しみを背負っているのだろうか。
だがアスランの心痛はニコルのそれの比ではなかった。

「キラが泣いているのに、俺にはどうすることもできなくて…」
「気持ちはわかりますが…」
「俺が代わってやれたらいいのに」

切なそうに握り締めた手を自分の額に押し付け、アスランは祈るように呟く。
その様子は見るからに痛々しく、だがどこか侵しがたい神聖さを感じさせた。
遠い時代。今から何千年もの昔から崇められていた神という存在。
プラントではそういう信仰は薄れてきたものの、伝えられる文化や教えは未だに人々の心に根付いている。
聖なる神に祈りを捧げる罪人のように、また、すべての罪を背負って亡くなった神の子の復活を祈る使徒のように。
アスランは目を伏せ、ただ祈っている。

その姿がただの親友に向けたものとは到底思えなくて。

「彼女が…好きなのですか?」

気がついたら、そう訊ねていた。
ニコルの問いにアスランは一瞬怪訝そうに顔を上げ、それから何か思索するように視線を彷徨わすと、やがて小さく首を振った。

「アスラン?」
「好きとかそういうことじゃないんだ…」

今にも泣きそうなその表情。
アスランは眠るキラの頬をそっと撫でて呟く。

「キラは、俺の『すべて』だよ」

そう、自分と敵対していたことも、かつて自分よりも友人を選んだことも、そして長い間自分を偽っていたこともすべて気にならないほどに。
自分に向けられる笑顔。それだけで何もかも満ち足りた気持ちになる。
自分の半身と呼ぶだけでは足りない。
すべてを捧げてでも守りたい人。
それが、キラだった。

想像していたよりも更に深い感情に、ニコルは言葉を失う。
それだけの相手とめぐり合えたアスランが羨ましくもあり、またそれほどの相手と敵対しなければならなかったことが哀しい。
どういう経緯で彼女がストライクのパイロットになったのか知らないが、アスランがこれほど大切に思っているのだから、この少女にとってもアスランは大切な存在なのだろう。
アスランのために、全てを捨ててザフトへ来てしまうほど。
そんな相手に銃を向けなければならなかったというのは、どれほどつらかっただろうか。

「早くキラさんが目覚めるといいですね」
「…あぁ」

体調が安定したこともあり、キラへ投薬されていた睡眠薬は今朝打ち切られた。
おそらく数時間で薬の効き目も切れるだろう。
一度だけ見た紫紺の瞳を再び見たかった。
彼女の目覚めを待っているのは、アスランだけではないのだ。
ニコルは勿論、医師のセリカもクルーゼも、そしてイザークとディアッカですら彼女の目覚めを待ち望んでいる。
それは決して軍人としてではなく、不当に傷つけられた同胞を案じる者として。
彼女の置かれていた状況を知って、それでも尚彼女を捕虜扱いできる者などいなかったのだ。

「僕、何か飲み物貰ってきます。あと簡単な食事も。やっぱり何か食べておいた方がいいですよ。貴方がそんな顔色じゃ、目覚めたキラさんが心配します」
「…ありがとう、ニコル」

ニコルが扉へ向かおうとすると目の前で扉が開き、その先にはイザークとディアッカがいた。

「イザーク、ディアッカ…貴方達まで…」
「眠り姫の様子が気になるって、こいつがうるさいからさ」
「俺はそんなこと言ってない!」
「でも、思ってたのは事実だろ」
「ディアッカ!!」
「はいはい、静かに。病人がいるんだからさ。ほい、手土産」

いつものように軽口を叩きながら部屋に入ってきたディアッカの手にあるのは人数分のドリンクと、おそらくはアスランのためだろう携帯食の乗ったトレイ。
それをニコルに手渡し、眠るキラの枕元へ進む。
イザークは相変わらずの仏頂面で、それでもキラの様子が気になるのだろう、少し離れた距離から寝顔を伺っている。
アスランとは根本的に合わないらしく、顔を会わせれば険悪なムードになっていたイザークだが、キラがこの艦に来てからというものぴたりと小競り合いはなくなっていた。

「まだなのか?」
「あぁ、もうすぐ薬の効き目は切れるんだが」
「疲れてるんだろうよ。気が済むまで眠れば起きるって。焦んなよ」
「わかっている…だが、今のままでは…」

ラクス・クラインを保護した現在、ヴェサリウスには早急に彼女を伴いプラントに一時帰国するよう要請が入っている。
だが、キラの意識は戻らず様々な要因も相まって未だに帰路に着くことができないでいた。
キラ・ヤマトの身柄は本国で預かることが決定している以上、キラの意識が戻るのを待つ必要もないという声も周囲で上がってはいるが、送還されるべきラクス・クラインがそれを良しとしない。
恩人でもあるキラに挨拶もせずに帰るわけにはいかないと、彼女の目が覚めるまで動くつもりはないようだ。
更にはクルーゼ直々にアークエンジェルの情報を何一つ聞き出せないまま、キラ・ヤマトをプラントへ送還するわけにはいかないと言明しては、それ以上強く出ることもできない。
プラントの最高評議会では、この件はクルーゼに一任すると結論を下しており、結果ヴェサリウスとガモフは現在もアークエンジェルと適度な距離を保ったまま宙域に留まったまま。
束の間の静かな時間を過ごしていた。

「キラさんが目覚めないと、何も動けませんしね」
「まあ確かに…。ラクス嬢をプラントに戻すこともできないしな」


「あら、私のことはお気にならさずとも大丈夫ですのよ」


「!?」

声とともにピンクの髪の歌姫が姿を見せたので、彼らは驚きのあまり声もでない。
ハロを手にしたまま、ラクス・クラインはにっこりと笑う。

「あらあら? 驚かせてしまいましたか?」
「ラクス…部屋には鍵がかかっていたはずですが…」
「ピンクちゃんに開けていただきましたの。私もキラ様の様子が気になりましたものですから」

まったく悪びれる様子もないラクスに、アスランが困ったように額を押さえた。
確かにハロにはロック解除機能がついている。
つけたのは他でもないアスラン自身だ。
だがここは仮にも戦艦で、ラクスは確かに保護された民間人だが、そう簡単に艦内を歩き回られても困るのだが…。

「先ほどクルーゼ隊長の元へ伺ったのですけど、間もなくキラ様がお目覚めになられると聞きましたので、お目覚めの時には私も是非ご一緒させていただきたいと思いましたの。仲間はずれは寂しいですわ」
「そういう問題じゃないんだけど…」

のほほんとしたラクスの言葉に、ディアッカが困ったように呟くが、ラクスは気にした様子もない。
ふわふわと漂いながら、ラクスはキラの傍へと近づく。
バランスを崩した身体をニコルが支え、ふわりとベッドサイドへ降りた歌姫は、眠り続ける少女にそっと語りかける。

「キラ様、皆様お待ちになっていますわ。目を開けてくださいませ」

柔らかく優しい言葉は、ラクスの存在そのもののようにふんわりと心に響いて。



「ん……」



見守る5対の瞳の前で、長い睫がぴくりと揺れた。

「キラ!?」
「ア、ス……?」

震える睫の下から覗く極上の紫水晶が捉えたのは、深い深い宵闇の色だった。


  • 05.03.11