『本当はお前を手放したくないんだが…』
幼いキラと視線を合わせ、彼は真剣な目でそう語りかけた。
誰よりも厳しくそして優しく愛情を注いでくれた父は、まだ4歳の自分に対しても決して小さな子供扱いなどせずに、きちんと1人の人間として接してくれた。
誰にでも公正で、自らの進む道に誇りを持っている人だった。
厳しすぎると金の髪の少女はよく頬を膨らませていたけれど、彼の行動にはすべて理由があり、叱責1つでさえ溢れるほどの愛情を感じた。
彼の大きな手で頭を撫でられるのがすごく嬉しくて。
セキュリティ上の問題から屋敷から滅多に外へ出ることはできなかったけど、元々活発な性格ではなかったためか、周囲に窮屈だと言われる生活にもそれほど不満も感じなかった。
最も自分と違い、金の髪の少女は活発すぎる性格をもてあまして、頻繁に屋敷を抜け出していたけれど。
事情が変わったのはいつだったのだろう。
ナチュラルとコーディネイターとの関係に亀裂が入りはじめたからだろうか、キラが住む屋敷もブルーコスモスへの警戒が強くなり、以前よりも更に行動を規制されることが多くなった。
それに伴い、政治的な動向も変化が訪れていた。
水面下で起こっていた勢力争いが、ここにきて表面化してきたのだ。
自国の安全と引き換えに大西洋連邦へ与しようとする政敵にとって、コーディネイターの身内を持つ父の存在は目の上の瘤でしかなかった。
幾度となく送られてくる脅迫状の類。日ごとに増える屋敷への侵入者。
当時のキラはまだ4歳に満たない子供で、当然周囲で何が起こっているかなどわからなかった。
ただ昼夜を問わずぴりぴりとしたした空気が屋敷内を取り巻いていて、その原因が自分にあるのだとは薄々感じていた。
それでも、キラは父の言いつけを守って大人しくしていた。
キラにとって彼の言葉はいつでも正しいものだとわかっていたから。
そんなキラに1つの決意をさせたのは、ある事件がきっかけだった。
いつものように窓から庭の様子を眺めていたキラは、視界の端で赤く光る何かを発見した。
それが赤外線スコープの光だとは知らなかったが、見慣れた庭にそのような光があることに疑問を感じて侍女に質問したのだ。
『あの光はなに?』
侍女が血相を変えた刹那、大きな音と共に窓が吹き飛んだ。
次いで聞こえてくる激しい銃声。
ブルーコスモスによる襲撃だった。
徹底したはずのセキュリティをどうやってかいくぐってきたのか、彼らはナチュラル・コーディネイターの区別なく、部屋にいた者すべてに向かって銃を乱射し、駆けつけてきた警備員に取り押さえられた。
侍女に守られたお陰でキラは幸運にもかすり傷だけですんだが、キラを守った侍女は3発の銃弾を浴び死亡した。
他にも数人の死者を出したが、彼らもまたキラを安全な場所に逃がそうとして自らの命を盾にしたのだ。
ショックで数日寝込んだキラは、気分が落ち着くと父に告げたのだ。
『オーブを出る』
子供とは思えない静かな目で父を見上げ、キラは毅然とそう言った。
自分がいなくなれば、これ以上周囲の人を困らせることはないだろうと、幼いながらも必死で考えた結果の言葉だった。
キラが今までこんな無茶を言い出したことなどなかったから、周囲の驚愕は大きかった。
ましてや現在の状況が状況である。
誰もが反対した。
屋敷の奥深くで生活するキラを直接知る者は少なかったが、それゆえその存在がオーブでも特殊なものとして、キラという少女はオーブにとって重要な存在になっていたからだ。
そして、そんな特殊な存在を抜きにしても、その素直で愛らしくあどけない姿は多くの人に愛されていた。
そんな彼女が1人でオーブを離れるなど、彼女を知る者にとっては誰一人として承知できることではなかったのだ。
特に金の髪の少女の怒りはすさまじく、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼしてキラの要求を拒絶した。
『嫌だ嫌だ! お前は私と一緒にいるんだ!』
『カガリ…でも』
『私が守るから。お前を危険な目には遭わせないから』
自分もまだ小さな子供なのに、そう言ってキラの身体をきつく抱きしめた。
離れ離れになりたくない、と何度も言ってくれた。
その気持ちは嬉しかったが、キラも今回だけは譲れなかった。
中立のオーブですら起こるテロ事件が、他の国へ行ったとしてもその危険性を回避できる可能性は低い。
むしろ真綿に包むように守られていた今よりもはるかに危険なのはわかっていた。
それでも、自分のせいで大切な人が傷つくことのほうががキラには耐えられなかった。
今回の襲撃で最期までキラを庇っていた侍女はナチュラルだったが、聡明でとても優しい女性だった。
恋人と家族をブルーコスモスのテロで亡くし、16の年からこの屋敷に仕えていた。
幼いキラを我が子のように可愛がってくれた彼女が、キラは大好きだったのだ。
最終的に折れたのは父だった。
周囲の反対を押し切るという形で、キラは新しい生活の場を与えられた。
『1つだけ、約束をしよう。誰にも見破られてはならないぞ?』
不安でたまらないと顔に書きながらも、幼い自分の意思を尊重してくれた父。
交わした約束は1つだけ。
決して性別を悟られないこと。
キラが少女だと誰にも知られてはならないのだと、真剣な表情で告げた彼に、キラはしっかりと頷いた。
長かった髪をばっさりと切り落とし、少女らしい華やかな色合いの服を少年のものへと変え、出立までの数日で少年らしい行動を学んだ。
そうして旅立ちの日。
自分と同じ遺伝子を持つ金の髪の少女は、最後の最後まで反対していたけど、それでも時間は刻一刻と過ぎていって。
痛いほどに抱きついてくる少女に何度もごめんねと謝りながら、新しい家族と一緒にひっそりとシャトルに乗り込んだ。
出発前に渡された、新しいID。
『キラ・ヤマト』と書かれたそれをしっかりと握り締めながら、小さくなっていくオーブをいつまでも見つめていた。
あの日、キラは決意したのだ。
オーブの綺羅星と呼ばれた自分を捨て、1人の少年として生きることを―――。
- 05.03.10