薬の力で眠っているとは言っても、いつキラが目を覚ますかわからない。
事実、先ほどキラは目を覚ましたのだ。
目が覚めて自分がいないことで心細い思いはさせたくなかったが、何も知らないイザーク達を部屋に入れて口論にでもなったら大変だ。
4人は無言のまま、ブリーフィングルームへ場所を移した。
幸いそこには誰の姿もおらず、ニコルは最後に部屋に入ると扉にロックをかけた。
おそらくは重大な話になるに違いない、とアスランの顔つきを見て察したのだ。
今までのようにクールな態度とは違う、どこか感情を押し殺したような顔をしているが、その内面に渦巻く激情が見えるのではないかというほど、複雑な表情をしていた。
怒り、哀しみ、喜び、後悔、そして不安。
それらが複雑に入り混じった、なんとも形容しがたい顔。
それほどまでに、先ほどの『キラ・ヤマト』が心配なのだろう。
他人と深く付き合おうとしないアスランが、命令違反を犯してまで連れてこようとした人物。
ストライクに対しての執着はイザークのほうが強いように見えるが、アスランもまたストライクに対しては執拗に執着していた。
単なる敵同士という言葉では説明がつかないほどに。
自分達を相手に互角とまでは言えなくても、十分自分と艦を守るだけの実力を持ったストライクのパイロットとは果たしてどんな人物だろうと興味があったが、まさかその素顔があれほど弱々しい人物だとは思わなかった。
眠る姿はひどく稚く、整った容姿は精巧に作られた陶磁器の人形のよう。
話す声はまだ幼さを残しており、アスランにだけ向けられた紫の瞳は、最上級の宝石のように綺麗だった。
どういう関係なのだろうか。
他人のプライバシーを詮索するなど失礼なことだとわかっていたが、それでもアスランの執着とストライクのパイロットの素顔を知ってしまっては、好奇心がうずくのは無理のないことだ。
おそらく目の前の2人も、自分と同じく興味があるのだろう。
普段ならとっくに癇癪を起こしてアスランに突っかかっているイザークですら、今は大人しくアスランの正面に座ってアスランが話し始めるのを待っており、ディアッカはそんなイザークの隣で悠然とソファーの背もたれに身体を預けている。
言い逃れなど許さないというようにきつい眼差しで睨みつけるイザークと、どこか楽しそうな視線を向けるディアッカ。
ニコルは扉の前から動こうとせず、少し離れた場所から3人を眺めていた。
「何から話せばいいんだろう…」
どこか困惑した様子で、アスランはそう切り出した。
話すことがないというよりも、話すことが多すぎて自分の中でも整理できていないような、複雑な表情を浮かべたまま、アスランはイザークとディアッカへ視線を向けた。
「まずは、あいつの正体だろ」
「あぁ、そうだな…」
ディアッカに促されるまま、アスランは小さく頷いた。
「あいつの名前はキラ・ヤマト。お前らも知っているストライクのパイロットで、俺の…」
アスランは少し視線を伏せて、
「大切な、親友だ」
そう呟いた。
3対の瞳が大きく見開かれるのを、アスランはどこかぼんやりとした様子で眺めていた。
◇◆◇ ◇◆◇
クルーゼが医務室を訪れた時、セリカは1枚のレントゲンを前に、柳眉を顰めていた。
「セリカ、少しいいかね」
「クルーゼ隊長…、何故このような場所に?」
「ストライクのパイロットを診察したのは君だと聞いたのでね」
訝しそうにクルーゼに視線を向けるのは、ヴェサリウスに搭乗する軍医の1人、セリカ・ランフォード。
ザフトでも指折りの名医である彼女は、以前はフェブラリウス市にある医療機関で、タッド・エルスマンの右腕として働いていた人物だ。
若年ながら優秀だった彼女がザフトに仕官すると決めた時には、タッド自ら引き止めたと言うほどの実力の持ち主である。
セリカは小さくため息を吐いて、クルーゼに椅子を勧める。
そして白い軍服姿のクルーゼが腰を下ろしたのを確認してから、彼女は数枚のカルテをクルーゼに向かって差し出した。
「こちらに目を通していただければ、現在の状況がおわかりになるかと思います」
「ふむ…」
受け取ったカルテをざっと眺めて、クルーゼはわずかに目を細める。
医療の専門用語としてドイツ語を使用するのは古くからの慣わしで、それは時代が変わった今でも変わらない。
秀麗な文字が、模様のようにカルテに並んでいる。
語学に通じている者であっても、医学の専門用語を解するのは難しい。
だが、クルーゼは難なくそれを解読しているのだろう。
仮面に隠されてその表情を伺えることはできないが、纏う空気が冷たくなったような気がして、セリカは椅子から立ち上がった。
備え付けの棚からカップを取り出し、いくつか並んだティーパックから鎮静作用のあるラベンダーティーを選び、クルーゼに差し出した。
「セリカ、私は紅茶よりコーヒーの方が好みなんだが」
「生憎ここにコーヒーはないんです」
読み進んでいくにつれ明らかに機嫌が悪くなっていくクルーゼに、セリカは短く答えるとテーブルの上にカップを置いた。
医務室に置いてある飲み物は、嗜好品ではない。
それはあくまでも診療の一環なのである。
前線に赴く兵士たちの中には、戦争への恐怖と緊張からか不眠を訴える者が少なくない。
そんな彼らの心を少しでも和ませようと、セリカが用意したのが棚に並ぶ様々なハーブティーだった。
クルーゼは視線をカルテに向けたまま、柔らかい香りの紅茶を飲んだ。
ふわりと鼻腔をくすぐる香り。
「さすが、女性らしい細やかな気遣いだな」
「ありがとうございます」
セリカは簡単に礼を言うと、先程のレントゲンへと視線を戻した。
そこに記された異変を示す箇所を持っていたペンの先でたどる。
「ひどいこと…」
目の前にあるのは、患者の胸部のレントゲン。
おそらくと危惧していたことだったが、いざ目の前で現実をつきつけられると、さすがに怒りを抱かざるをえない。
「それは、キラ・ヤマトのかね?」
「……えぇ」
「ということは、やはり間違いないということか…」
持っていたカルテを読み終わったのか、テーブルの上に投げ出したクルーゼがセリカに問う。
セリカは小さく頷いた。
「そちらに書いてある通りですよ。上腕部・腹部それから胸部と背部に計10数箇所に及ぶ打撲痕。特に二の腕の怪我が多かったのは、おそらく頭を庇っての結果だと思われます。致命傷に至る傷がないのは、ストライクのパイロットという立場から殺害するわけにいかなかったという理由ではないかと」
「なるほど…」
クルーゼは低くそう呟いた。
カルテを読めば読むほど、あの艦にいるクルーへの心象は悪くなっていく一方だ。
記されている通り、個々の怪我は命を奪うほどのひどいダメージにはほど遠い。
だが繰り返し行われた暴行や精神的負担は、蓄積されればされるほどに大きな負荷となることは間違いない。
あの艦の人間は、確かにキラ・ヤマトを殺害するつもりはなかったのだろう。
だが、キラが死んでも構わないという見解があったであろうことは、怪我の程度から考えても否定できない。
「単なる暴行でも、度を過ぎれば致命傷になるのではないかね? 殺意がないからと言って、キラ・ヤマトを死なせたくないと思っているようには、私には思えないのだが?」
「私も同感です。結果、キラ・ヤマトの身体は極度の衰弱と疲労、それから外傷から来る発熱を起こしているのですから。それに…」
一旦言葉を区切って、セリカはレントゲンへと視線を向ける。
セリカの瞳が痛ましそうに細められた。
「肋骨を損傷した人間を戦闘に駆り出すなんてことは、通常では考えられません」
レントゲンには白く反転した肋骨に、はっきりと2箇所の亀裂が見られていた。
つい先日の先遣隊との戦闘で、ストライクは戦闘に参加したと聞く。
もし自軍の兵士だったら、セリカは何としてでも止めていただろう。
戦闘中にかかるGはいつ肋骨の亀裂を深めるか分からず、万一折れた肋骨が肺に刺さりでもしたら、パイロットの生命の保証はできないのだから。
「多数にわたる外傷と、それらに治療の形跡が皆無なことから、キラ・ヤマトがあちらでどのような待遇であったかは想像に難くないかと」
「……」
セリカとて医者である。これまで数え切れないほどの怪我人を診ている。
だが、それでも思わず目をそむけてしまうほどの痛ましさだった。
驚くほど細い身体。白い肌にはいたるところに残されていた赤黒い痣。
紛れもない暴行の痕だった。
一見した箇所には傷1つなかったものだから、逆にその凄惨さは際立って見えた。
様子がおかしいからと、アスラン・ザラから緊急の呼び出しを受けたセリカが駆けつけた時、キラ・ヤマトはベッドの中で膝を抱え込むように眠っていた。
おそらくアスランに言われて着替えたのだろう。
少しだけサイズの合っていないザフトの軍服は、華奢な身体をさらに頼りなく見せていた。
初めて見るストライクのパイロットが、目の前のアスランと同年代だということにも驚いたが、浅い呼吸を繰り返しているキラ・ヤマトの様子が、ただ眠っているだけだと思えなかった。
持参した診療用具を広げ脈を計ろうと触れた手は、女性のセリカから見ても驚くほど細い。
診察のため軍服を脱がそうとすると、それまで意識のなかったキラが突然目を覚まし、激しい抵抗を見せた。
何かに怯えているかのような必死の抵抗に、仕方なく鎮静剤を使用することにした。
だが泣いて抵抗するキラを押さえることはセリカ1人では難しく、傍らで必死で宥めようと優しい声をかけているアスランの力を借り、2人がかりでキラの身体を押さえた。
体力が尽きたのか、抵抗が弱々しいものになったときに袖を捲り上げて、そこで二の腕に残る痣に気がついた。
薬によって意識を失うまで、キラは涙を流して治療を拒んでいた。
そのときは理由がわからなかった。
アスランの腕の中で力を失ったキラの服を脱がせてみるまでは…。
「何故あのような稚い子供に、あれほどの暴行を行うことができるのでしょうか…」
ぽつりともらした声は、医師としての言葉ではなかった。
1人の人間として、キラ・ヤマトが可哀想でならなかった。
ナチュラルの中にいるただ一人のコーディネイター。
それが理由なのだとしたら、何と愚かなことだろうか。
たった一人のコーディネイターの子供を痛めつけたところで、戦争は終わらない。
まして、キラ・ヤマトは足付きにとっては主戦力であるMSのパイロット。
感謝こそされ、迫害することなどありえないだろうに。
「今、キラ・ヤマトはどうしている?」
「医務室に置いていてもよかったのですが、アスラン・ザラがあまりにも心配してましたので、今は彼の部屋にいます。衰弱が激しかったので、ある程度怪我が良くなるまで安定剤を服用させております。とりあえず眠れば体力は多少回復するはずなので。今の体調では食事は受け付けないでしょうから、しばらく点滴で栄養補給という形になるかと思います」
「早くよくなってもらいたいものだ」
「ですが、彼女が性別を偽っていたのは、今回幸いでした」
「ほう…?」
「体型を隠すためのプロテクターがなければ、おそらく肋骨の損傷はこれだけではすみませんでしたし、それに…これだけの非道な行いを平気で行える者たちに、もし彼女が女性であることを知られたら、一体どんな目に合わされていたかと思うと…」
女性であるが故の暴力は、彼女には加えられていなかった。
本当に、それだけが唯一の救いだったのだ。
「命をかけて守り続けた相手に疎まれるとは、あの少女も哀れなものだな…」
クルーゼの言葉に、セリカは小さく頷いた。
- 05.02.11