ラクスの半ば強引とも言える説得の甲斐あってか、キラ・ヤマトの身柄はヴェサリウスにおいて『拘束』ではなく『保護』という形がとられた。
最終的な裁決は本国の評議会に委ねられたが、キラが民間人だということもあり、おそらくは足付きに関する情報提供と引換に本人は無罪放免という形になるだろう。
だが、それはあくまでも暫定的な結論で、そのことにラクスは不満の声を漏らしたが、キラ本人と会話していないクルーゼにしてみれば、これでも破格の待遇と言える。
何しろキラ・ヤマトはこの艦にいる中で唯一足付き――地球軍の新造艦の内部事情を知っている人物であり、連合唯一のMSパイロットという肩書きも持つ人物。
たとえそれが本人の望むにしろ望まないにしろ、キラ・ヤマトが地球軍の為に同胞であるコーディネイターに刃を向けたのは紛れもない事実である。
この件に関して本人からの話を聞かなければ判断が難しいが、事情を知らない一般兵から見ればキラの行動は同胞に対する裏切り以外の何者でもない。
クルーゼ個人で判断できる内容ではないのだ。
『裁決が下るまでキラ・ヤマトを捕虜扱いしない』
クルーゼがそう言明したことで、ラクスはようやく納得したようだった。
嬉しそうに顔をほころばせる歌姫と、安堵の息をついたアスラン。
そんな2人の姿は、すでにこの部屋にはいない。
キラを不安がらせないようにと、話が終わるとすぐに退出していったのだ。
「微笑ましいものだな」
普段クールだと言われていたアスランの、あのように嬉しそうな顔を見たのは初めてだった。
パトリック・ザラの1人息子として、ザフトのエースパイロットとしての優等生顔が、『キラ』の名が出るたびに面白いほど表情が変わった。
その顔を見て、彼もまた16歳の少年なのだと思い出した。
クルーゼは目の前のパソコンを操作する。
手馴れた仕草でキーボードを叩くと、画面に文字の羅列が表示される。
流れていくそれらを眺めながら、すでに冷めてしまったコーヒーを口に含む。
「ふむ…」
本来ならば、いくら父親が評議会委員長だと言っても、ラクス個人の願いなど、戦艦の中で通るはずがない。
それでもクルーゼが彼女の願いを聞き入れたのは、様々な事情が交錯した結果に過ぎない。
何しろ、キラ・ヤマトには不明な点が多すぎる。
軍人ではないと言いながら、戦闘経験がないにも関わらず、軍人と戦って自分と戦艦を守り抜くだけのMSの実力。
稚拙なOSであったはずのストライクを、瞬時に書き換えるだけのプログラミング能力。
アスランから渡されたIDを見る限り、ヘリオポリスの学生ということに間違いはないのだろうが、それ以外の情報は皆無に等しい。
オーブ本国に問い合わせようにも、現状ではそれも難しい。
クルーゼがキーボードに指をすべらすと、それまで文字に埋め尽くされていた画面が一瞬で切り替わる。
小さな機械音と共に浮かび上がる簡潔な一言。
『ERROR』
再度入力してみるものの、画面の文字は変わらない。
「該当人物なし、か…」
クルーゼは小さく呟く。
記されている情報に間違いはない。
それなのに、コンピューター上で導き出される結果は、依然として『ERROR』の文字。
先ほどアスランから手渡された1枚のカードを、すい、と持ち上げる。
光にかざすようにそれを眺め、優雅な仕草でそれを軽く指で弾く。
偽者なのか、と一瞬疑うもののすぐにその可能性を否定する。
IDの改竄ということは、確かに難しいことだが、やってできないということはない。
寸分違わずというわけにはいかないが、それでもある程度のものはできるはずだ。
だが、これはどう見ても正式に発行されたIDカード。
「偽造というわけではないだろうが…、さてどういうことか」
クルーゼはひっそりと、だがどこか楽しそうに呟いた。
◇◆◇ ◇◆◇
慣れない無重力空間での移動は難しいだろうと、部屋まで送ろうと差し出したアスランの手を、ラクスはやんわりと押し戻した。
『私は大丈夫ですわ』
先ほど見せた威圧感など夢だったように、ラクスは可憐な仕草でアスランを見上げる。
その様子はまさに『プラントの歌姫』らしい姿で。
訝しげに見つめるアスランにふわりと微笑み、
『それよりもアスランは、キラ様についていてください』
柔らかい笑顔のまま、そう告げた。
『キラ様はお1人なのでしょう。きっと寂しい思いをしているはずですわ。それでなくてもキラ様は少しお疲れの様子。キラ様のお気持ちを和ませるためにも、貴方がついていてあげてください』
そう言うと、ラクスは偶々通りかかったクルーに案内を頼むと、アスランに手を振りつつ自分に割り当てられた部屋へと戻っていった。
反論する間もなく姿を消したラクスを追いかけていくのも躊躇われて、アスランはラクスの好意に甘えてキラの待つ部屋へと急いだ。
途中で食堂に寄り、キラの好みそうな食事をいくつか調達して部屋のロックを解除すると、目に飛び込んできたのはベッドの上で寝ているキラの姿だった。
待っている間に疲れが出たのだろうか、おそらくベッドの上に座っていたのだろうが、睡魔に負けてそのまま倒れこんでしまったようだ。
膝を抱えるように丸まって眠るその姿は、別れる前に比べて少し大人びたように見えるが、それよりも随分と儚くなったように思える。
白磁の肌、桜色の唇、艶やかな栗毛。そして伏せられたままの長い睫。
以前からクラスの女の子よりも可愛らしかったキラだが、年を重ねてさらに綺麗になったようだ。
美形の多いコーディネイターの中でも、おそらくは最上級の部類に入るだろう造作。
どこから見ても、『美少女』である。
見慣れたはずの自分ですら、一瞬錯覚を起こしてしまいそうになるほどに。
サイズの合わない赤い軍服の裾から少しだけ覗く指は白く細く、簡素なベッドに横たわる身体も同じ年齢にしては小柄で、こんな華奢な身体でMSを操縦して戦闘していたのだと考えると感心するよりもむしろ痛々しい。
争うことが嫌いで、誰かを傷つけることなんて到底できないほど優しいキラが、一体何のために戦っていたのだろうか。
そしてどんな思いで自分と敵対していたのか。
キラの性格上、軍に属していたとは考えにくい。
なら、どうしてキラはあの時モルゲンレーテにいたのか。
軍に属する者として聞き出さなければいけないことではあるが、それは目が覚めてからでも十分だろう。
あどけない寝顔を見せる幼馴染の眠りを妨げようとは思わなかった。
それは血の気がないと言えるほど白い顔色のせいかもしれないし、目の下にうっすらと見える隈のせいかもしれなかった。
ドッグで見たときもその白さは気になっていたが、それは軍人に囲まれて緊張しているせいだと思っていた。
そうでなかったのは、依然として白い顔色を見れば明白だ。
眠りの浅いキラが、部屋に入ってきた自分の気配に気付くことなく眠っているのは、それだけ疲労しているからなのだろう。
(だからもっと早く来ればよかったのに)
声に出さずにアスランは心の中でそう呟く。
アスランはナチュラルだからといって蔑視するつもりはない。
幼いころ月で暮らしていたお陰で、多くのナチュラルと接することができた。
彼らも自分たちと同じ人間なのだということを、その時に知ったのだ。
楽しければ笑い、哀しければ涙を流す。
能力の差こそあれ、ナチュラルもコーディネイターも、本質は何も違わないのだから。
だが、地球軍は違う。
彼らはコーディネイターを「人」として認識していない。
もしそうでなかったら、『血のバレンタイン』などなかったし、そもそも戦争など起こっていなかっただろう。
24万3721人というあまりにも多くの命が失われた、あの悲劇。
その数字のすべてが人の命だということに、地球軍は気付いていたのだろうか。
そんな地球軍の中で、誰よりも繊細なキラが傷つかないはずはない。
軍人でもないのに戦いに駆り出されて、辛くなかったはずないのに。
キラの頬に涙の跡を見つけ、アスランは眉を顰めた。
(泣いて、いたのか…?)
濡れている睫をそっと拭えば、キラの身体がわずかに身じろぎした。
起こしてしまったかと思ったが、閉ざされた睫が開く気配はない。
何故、民間人だと言いながら地球軍のMSに乗っていたのか。
何故、キラが頑なにザフトに来ることを固辞していたのか。
何故、今になって自分の元へ戻ってきてくれたのか。
そして何故、そんなに哀しい顔で眠っているのか。
聞きたいことは山ほどある。
だが…。
「今はゆっくりお休み」
起こさないようにそっと栗色の髪を撫でると、無意識なのだろうかその手のぬくもりにキラがすり寄ってきた。
以前と変わらないその仕草に、思わずアスランの口元に笑みが浮かぶ。
誰に対しても優しいキラだったが、甘えてくるのはアスランだけだった。
子猫が甘えてくるような仕草は、寝ぼけたときキラがよく見せた行動だ。
まだ自分の存在がキラの救いになれるのだろうかと思うと、嬉しかった。
ゆっくりと頭を撫でると、キラの表情が少しだけ穏やかになったような気がした。
「ここにいるよ、キラ」
夢の中にいるキラに、アスランは聞こえてはいないだろうと思いつつ囁く。
すると――。
キラの頬を、涙が一筋流れた。
「……ね…」
「キラ?」
「…ご、めん…ね…」
誰に対して謝っているのだろう。
眠りの中で、ただ謝罪の言葉のみを紡ぐほど、キラは何に捕われているのだろうか。
泣きながら謝り続けるキラの手が、わずかに動いた。
アスランはその手をそっと握り締める。
キラの哀しみが少しでも癒えるように。
キラの心が少しでも安らぐように。
幼い頃していたように、アスランはキラの手を握り締め、優しくその髪を梳いていた。
- 05.01.19