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Cry for the moon 24


深い闇。切り立った崖の中を進む一行。
生まれてから一度も遠出をしたことのない子供達ばかりの集団ではあったが、不思議とキラは怖くなかった。
誰もが厳しい表情を浮かべている。
護衛のキサカもトダカも今までに見たことのないほど緊迫した顔で闇を見据えているし、幼馴染の少年達もキラとラクスを取り囲むように位置し、周囲へと険しい視線を向けている。
月光に照らされた表情は誰もが緊迫している。それは隣の馬に乗るラクスも同様で、いくらキラが世間知らずだとは言え、両親から離れ――生まれてから一度も離れたことのない結界の外へと向かっていることから、ただならぬ事態が起こっているのだとわかっている。
キラはふと背後を振り返る。
闇夜を切り裂くように煌々と明るい夜空は、先程までの戦闘の爪痕だ。
炎に呑まれた屋敷――最期まで穏やかな表情で自分を送り出した両親がどうなったか、キラにはわからない。
何一つ異能を持たない自分と違い、キラの両親には絶大な魔力が宿っていた。
直接見たことはほとんどないが、それでもあの程度の炎ならば消し去ることなど容易だろう。
それなのに何故彼らはそれをしなかったのか。
そして何故子供達だけを逃がしたのか。

「父様、母様――」

不安に声を出せば、手綱を握るアスランの腕がぴくりと反応する。

ハンターの仕業だと、エザリアが吐き捨てるように呟いた声が忘れられない。

ハンター――吸血鬼である自分達にとって天敵と呼べるべき存在。
ここ何十年も抗争などなかったはずなのに、何故今になってこのような暴挙に出るのか。

(ひどい…)

一体どうしてこんな目に会わなければいけないのか。
自分達はただ静かに暮らしていたいだけなのに。
ただ、大切な人達と一緒に過ごしたいだけなのに――。

「寒い?」

ぶるり、と身震いをしたキラをどう思ったのか、アスランが気遣わしそうに声をかけてきた。
それに首を振って否定するものの、不安感は言い知れぬ悪寒とともに背筋を這い登り、キラは心細げに外套を握り締めた。
それをどう捕らえたのか、アスランの瞳が痛ましそうに細められる。
自分と同年だがキラよりもずっと大人びているアスランは、常にキラの心情を慮ってくれる。
それが嬉しくもあり、またそこまで気を遣わせてしまうことに対して申し訳なくもあった。

「キラの気持ちはわかるよ。でも、今立ち止まるわけにはいかないんだ。俺達を逃がしてくれた皆のためにも――これからの一族の行く末のためにも」
「…うん、大丈夫」

一族の行く末、それは王族であるキラが無事に逃げ延びることを意味していた。
長であるキラの両親からは残念なことにキラ1人しか子供が生まれなかった。
近い血を持つ従姉がいることはいるのだが、母親が人間だったせいか彼女は長の後継者として認められていない。
結果長の血を引くのはキラ一人だけで、そのため何の能力も持たないながらもキラは次代の長として全員に認められていた。
後継者であるキラに万一のことがあってはいけないと、子供達だけ逃がされているのだが、一族を束ねるべき自分が何もできずに逃げるしかないということは、ハンターと戦い散っていった者に対して申し訳ない気がするのだが、とにかくキラの安全が第一だと主張するアスランやイザークが一切の反論を許さなかった。

何故共存できないのだろうか。
無用な争いなど誰も好まないというのに――。



「!?」



思考を中断されたのは、突然身体が大きく揺らいだせいだった。
放り出される感覚。そして耳に聞こえてくる、愛馬――フリーダムの断末魔の悲鳴。

「キラ!!

普段のラクスからは信じられない切迫した声が聞こえてくる。何故そんなに声を出すのだろう?
隣を振り返ろうとして、異常に気付いた。
前を向いたはずなのに目に映るのは満天の星空で、フリーダムの背中の感触がない。
ふわりと身体が舞い上がっているようだと思ったその瞬間、ガクン、と何かに引っ張られた。

何気なく振り返った視線の先にあるのは――真っ暗な闇にしか見えない渓谷で。

「キラッ!!」

アスランが悲鳴とともに手を差し伸べてくれるものの、伸ばした手がそれに触れることはなく。



(え――?)



現実を理解する間もなく、落下の衝撃にキラの意識は闇に飲まれたのだ。





   ◇◆◇   ◇◆◇





空気の変化を察して振り返れば、目の前でキラがバルコニーから落下する寸前で。
咄嗟に身を挺して庇うことができたのは、過去の忌まわしい記憶の教訓としか言えず。
気を失っているのだろうか、腕の中のキラはぐったりと身動き一つせず、無傷だと分かっているものの落下する前にどこか打ったのだろうかと心配になる。

頬に乱れた亜麻色の髪をそっとかきあげれば、愛しい顔が月光に照らされる。
どれだけ見つめても見飽きることなど決してない整った顔は、長い睫の先までが愛おしい。
二度と会えないかもしれないと絶望していた日々があった。
会えないのなら世界のすべてを滅ぼしてしまいたいと願った日々も、あった。
絶望に支配されながら、それでもほんのわずかな可能性に縋っていき続けた3年という年月。
その期間は無駄ではなかったのだ。

「キラ…」

触れるぬくもりに、涙が出そうだ。

「ん……」

「キラ?」

瞼が震えて見事な紫水晶の輝きが至近距離にいるアスランの姿を捉えた。

「アスラン…」

キラを支えるアスランの腕にそっと自分の手を乗せ、キラは幸せそうに微笑んだ。
逃げるように去った自分が傍にいることを喜んでいるのだろうかと思うが、それにしてはキラの眼差しが違う気がする。
柔らかく微笑むその眼差しが潤んでいるのは何故だろうか。

まさか、と思う。
アスランの淡い期待に答えるように紡がれた名前には、明らかに今までとは違う響きが含まれている。
ほんの一瞬の変化。だがそれはアスランにとって見間違うべきものではなくて。

「アスラン」

うっとりと甘えるような声を、アスランはよく知っていた。

「キラ…、まさか…」
「うん」

菫色の瞳が碧玉の瞳を見つめる。
稀有な輝きを見せる宝石の中にいる自分の姿を認めると、キラは手を伸ばしてその精悍な顔にそっと触れた。
泣きそうに歪むその顔が愛しくて、キラはふわりと笑う。

「やっと、会えたね」


ずっと、ずっと大好きだった人。



「………キラ……っ!!」



万感の想いを込めた言葉とともにキラはきつく抱きしめられた。
思いの丈が込められた抱擁は小柄なキラには痛いくらいだったが、彼がどれだけキラを切望していかということがこの抱擁だけで十分にわかってしまう。

会いたくて会いたくて会いたくて。
ただそれだけを願っていた3年という長い間。
彼はどれだけ自分を探していたのだろう。

「ずっと忘れていて、ごめんね」

だがアスランは肩に埋めた顔を大きく振ってキラの言葉を否定する。

「生きて、いてくれた…それだけで俺は…」

涙に濡れた声に嘘はない。
きつく抱きしめられた身体、肩に触れる濡れた感触、震えた声。
そのどれにも言葉だけでは伝えきれない彼の感情が隠れていた。
肩に埋めた顔を両手で挟んで向き合えば、涙に濡れた眼差しがそこにあった。

再び巡りあえた。

今はただ、その事実だけで十分だった。


  • 06.12.26