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Cry for the moon 20


『トリィ!』

甲高い声と聞こえてきた羽音に視線を向ければ、闇夜に輝く緑色の小鳥の姿。
上空をくるりと旋回して肩に止まった小鳥が嬉しそうに囀る声を耳にして、キラの心が高揚する。
初めて見る鳥だ。
少なくともこの3年の間にキラが見た記憶はない。

すり、と頬に触れてくるその柔らかい感触、髪をついばむ愛らしい姿。

どれも見たことがないのに、何故自分の肩にいるのが自然だと思えてしまうのか――。
どうして口元がほころんでしまうのか、キラにはわからなかった。

「まあ、トリィですのね。お久しぶりですわ」
「トリィ?」

目の前の桜色の髪の少女が驚いたように呟いたその名前に首を傾げれば、少女はおっとりと微笑んだ。

「えぇ、アスラン――あちらの藍色の髪の男性ですわね――の使い魔ですわ」

そう言いながら指差す方向に視線を移せば、バルコニーに佇む4人の人影が見えた。
先程カナードの前で会った、彼の客人だ。
ラクスの同胞であり、カナードにとっても何かしらの意味を持つ大切な人物達。
その4人がバルコニーから自分達の姿を食い入るように見つめている。

その中心にいる藍色の髪の少年――彼がラクスの言う『アスラン』なのだろう。
そういえば対面の時は時間がなくて個人的に会話もできなかった。
どういう人物なのだろうと気にはなったが、緊張していたのだろうかどこか遠慮がちな様子で、キラは挨拶こそしたもののそれ以上の会話をするのが躊躇われたのだ。

向けられた視線の先で、アスランが小さく微笑んだ。
柔らかな――ひどく幸せそうなその笑顔に、思わずキラの頬が熱くなる。
最初に見た時はどこかつらそうで、どういう理由があってこの地へ来たのかわからなかったが、浮かぶ表情に隠しようのない絶望と悲嘆が見えていたせいもあって、キラは声をかけることができなかった。
それはアスランだけでなく一緒にいたラクスや他の少年も同様で、きっと彼は何か大切なものを失くしてこの地へ来たのだと推察して、立ち入ったことは何一つ聞けなかった。
何かを聞けば彼らの張り詰めた緊張が壊れてしまうのではないかと思ったのだ。

だが、彼らの表情にはその絶望は綺麗に消えていて。
わずかに浮かんでいる笑顔はとても嬉しそうで、何かが彼らの中で整理がついたのだろうということが窺えた。

そんな客人の変容に思わず安堵の笑みを浮かべれば、視線の先の彼らの笑みもますます深くなる。

「あらあら皆さんってばお行儀が悪いですわ」

思い余ったのだろう、バルコニーから我先にと身を躍らせる彼らの様子を眺めながらラクスがくすくすと笑う。
慌てるキラの前で彼らは皆ふわりと地面に着地して、そのまま足早にこちらに向かってくる。
キラが飛び降りたら間違いなく怪我をするであろう高さだが、彼らにとってはほんの段差でしかないように何事もなく歩いてくる。

「先程まで皆さんひどく沈んでいたのですよ。ふふ、わたくしに抜け駆けされたのがよほど悔しいのでしょうね」
「抜け駆け?」
「えぇ。ほら、わたくしだけこうしてキラと一緒に遊んでいますでしょう。彼らにはそれが面白くないのですわ。特にアスランにとっては」

ラクスの言葉の意味がわからずきょとんと首を傾げるキラの様子に、ラクスはますます笑みを深くする。
独占欲の塊のようなアスラン。幼いころから自分以外の人物がキラと2人きりでいることをひどく嫌っていた。
いつも冷静沈着なアスランではあったが、こと相手がキラになると面白いほど表情が変わって、ラクスはよくそんなアスランをからかって遊んでいたものだ。
本来ならばアスランもイザークもそんな無作法なことはしないのだが、やはり目の前にいるキラにはどうあっても抗えないらしい。
玄関から出てくるというわずかな時間であってもキラの姿を見失いたくないのだろう。
キラの兄分を自称するだけあって、イザークのキラへの関心はアスランに劣らない。
そしてアスランに負けじとバルコニーから飛び降りてきたイザークとディアッカ、ニコル。
2人のやりとりを面白そうに見ているのがディアッカで、1歳年下のニコルはラクスとともに傍観者に徹していることが常だった。
そしてその中心で唯1人状況もわからずぽかんとしているのは――キラだ。

そんな幼い頃からの相関図が何一つ変わらない光景を前にして、ラクスの胸に温かいものがこみあげてくる。
勿論状況は以前とは違っていて、子供同士の姿を遠くで見守っている大人たちの姿は既になく、目の前にいるキラは自分達に関する記憶をすべて失っている。

だが――。

キラの本質は何も変わっておらず、また自分達のキラへの感情も何一つ変化はしていない。
記憶はないけど昔と変わらず元気で――無垢で純粋な魂の輝きは以前と少しも変わっていない。
誰からも愛されるキラ。おそらくカナードやフレイたちにも大切に育てられてきたのだろう。

だから…。

(焦る必要はないかもしれませんわね)

大切な少女を前に喜びを隠せない彼らを見て、ラクスは心の中で呟いた。

そう、焦る必要はない。

ここは平和なのだから。



もう二度とキラを失うことなどないのだから――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





2度目の対面は予想外の形で打ち切られた。
部屋を抜け出したことに気付いたフレイが鬼の形相でキラを連れて帰ってしまったのだ。

『いい? 外出するなとは言わないわよ。でもね、いくらあんたがぼんやりおっとりしてるからって、夜着のまんましかも裸足で抜け出すことないでしょ! 怪我しないからって、ベッドサイドに置いてある靴は一体何のためにあるかわかってるの!しかも夜着ってどういうこと!? あんた男性の前でそんな姿晒していいと思ってるの? いっくら凹凸が少ないからって一応女なんですからね、たしなみとか恥じらいとかないわけ!?』
『あ…あのねフレイ…』
『問答無用!! 明日からみっちりと淑女としての立ち居振る舞いを叩き込まないと駄目ね! キラ、特訓よ! 覚悟なさい!!』

そのまま強引に部屋に連れ戻されてしまったために、折角の対面は意外にも早く終わってしまったのだが、時刻はすでに夜中を過ぎていることを考えれば丁度よかったのかもしれない。
自分達は闇の一族と呼ばれるだけに夜には強いが唯一キラだけは夜に弱く、おそらくフレイが連れ戻さなくてもあと半刻もすれば眠りについてしまっていただろう。
ましてやいくら温かいからと言っても夜着姿のキラをいつまでも屋外にいさせるわけにもいかなかったのも事実だ。
もっともアスランにしてみれば、そんな夜着姿のしどけないキラを、たとえイザークやニコルにすら見せたくないというのが本音なのだが。

翌日に引き伸ばされた対面は、先日よりも遥かに騒々しく行われた。
というのも夜が明けると同時に何かに気付いたニコルが部屋を飛び出していってしまい、その様子にただならぬものを感じたアスランとイザークが慌てて追いかければ、庭園の東屋で仲良く朝食を食べているキラとラクスの姿があって、彼らの姿に気付いたキラに笑顔で迎え入れられた。

「おはようございます」
「おはようございます皆様。遅かったですわね。お先にいただいてますわ」
「ラクス…」
「何ですか?」
「…いや、いいです。おはよう、キラ」
「うん、おはようアスラン。イザークもニコルもおはよう」
「あぁ」
「おはようございます、キラさん。随分早かったんですね」
「あれ? ディアッカさんは?」
「彼はいつも朝遅いんですよ。放っておいていいですよ。どうせすぐ気付いて駆け込んできますから」

ニコルが部屋を飛び出したことに気付いたアスランとイザークの怒声を思い出せば、あれだけの騒ぎの中でも起きなかったディアッカが悪い。
ましてや抜け駆けをする気で挑んだ今日の朝食。
結局はラクスに先を越されてしまったけれど、それでも誰よりも先にキラに会いたいと思っていたのは誰も同じことで、そんな中出遅れたのはディアッカ自身に責任があるのだ。
にっこりと笑顔で告げれば今ひとつ納得できていないのかキラが不思議そうに首を傾げるものの、この場にいる誰もがディアッカの味方をしようとしないことに、おそらくはこれがいつもの光景なのだろうと結論づけることにしたキラは気を取り直してやってきた3人に椅子を用意させた。

席につけば最初から用意されていたのだろう、目の前にキラと同じメニューの朝食が運ばれてくる。
焼きたてのブリオッシュに胚芽パンとマフィン、半熟のチーズオムレツと付け合せにはブロッコリーと人参のグラッセ、そしてキャラメルポテト。季節のフルーツをふんだんに使ったヨーグルトサラダと、デザートには木苺のムース。
人参以外はどれもキラが幼い頃から好んでいたメニューで、記憶を失くしても好みは同じなのかと思えば微笑ましくなる。

「キラ、人参を残したら許さないわよ」

隣から鋭い声がかかるのも昔と同じで――違うのはそれを告げるのがアスランではなく紅髪の精霊だということだ。

穏やかな、笑顔に包まれた食事の風景。

これをどれだけ夢に見たことだろう。



夢ではない現実が、ここにあった。


  • 06.08.24