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Cry for the moon 16


それを予感、と呼べばいいのだろうか。
朝から何故か落ち着かなかったが、それを立証するかのように今日はいつもと違っていた。
いつもなら食後のティータイムを一緒に過ごしてくれるはずのフレイは何故か用事があるとかで傍におらず、ややしてキラの世話役を自認しているミリアリアも姿を消した。
更にはカナードから告げられた外出禁止令。
普段からキラに対して猫可愛がりな傾向にあるカナードが、キラの行動を規制することなど引き取られてから今まで一度もなかったために、さすがにおっとりしているキラが現状を訝しんでしまうのも無理はないだろう。
知らずため息が漏れてしまうのは、単に退屈だからという理由だけではない。
確かに通常ならば3人で他愛のない話や庭を散策して過ごしている時間ではあるが、キラの表情が浮かないのはそのせいではないのだ。
1人きりで部屋に籠もっていることが楽しいとは言えないが、だがそれも無理のないこと。
いつもならば傍にいる友人が、どうしても外せない用事があるからと、珍しく2人揃って出かけていったのだから。

『ごめんね、キラ』
『あたしは本当はすっごく行きたくないのよ。でも仕方ないんだもの』

ミリアリアが申し訳なさそうに両手を合わせ、フレイが不承不承という感じでため息とともに吐き捨てる様子を見てしまえば、キラが引き止めることなどできるはずがない。
精霊族の一員であるフレイとミリアリアには、多種族のキラにはない一族のしがらみというものがある。
我侭を言えば2人を引き止めることはできただろう。実際キラにはそれだけの権限はあるのだから。

だが、それは他でもないキラ自身が許せなかった。

たとえキラが精霊王カナード・パルスの親愛を得ていおり、彼が義妹と呼んでくれていても――いや、だからこそキラの我侭で大切な友人を困らせることはしたくなかったのだ。



3年前、キラは不慮の事故で記憶と故郷を失った際に引き取ってくれた精霊王カナード。
すべての記憶を失ったキラを大切に世話してくれたのがフレイとミリアリアで、多種族を厭い異空間に居を構えている精霊族の中でも特に排他的なフレイが、怒ったような泣きそうな顔で右も左も分からない自分の看護をしてくれたことをキラは覚えている。
きつい言葉は愛情の裏返しで、何も分からないキラに根気強く様々なことを説明してくれた。

自分が何故記憶を失ったのかという問いかけだけはどうあっても教えてくれなかったものの、それ以外の事実は包み隠さず教えてくれて、義務ではなくキラの傍にいてくれる2人のことを、キラは大好きだったのだ。

失ってしまった記憶が気にならないと言えば嘘になるが、そんなキラの心を軽くするようにと努めてくれた彼女達のお陰でそれほど悩まないで済んだのも、また事実だ。
ともすれば堂々巡りの思考の渦に嵌ってしまいそうな自分を、気分転換と称して様々な場所へ連れていってくれたのはフレイとミリアリアに他ならない。

遠出と称して森の奥にある泉に連れていかれたのは、キラの怪我が完治してから10日後のこと。
一角獣、天馬、サラマンダーなどといった伝承上のみの生物も、精霊族と行動を共にしているらしく、しばしばキラの前にも姿を見せてくれたし、その背に乗せてもらったことも少なくない。
気位高い聖獣が誓約を結んでもいないキラを背に乗せてくれることなど、通常ではありえないことなのだろう。
だが、彼らは特に嫌がる様子もなく――むしろ率先してキラに近づいてきてくれた。
それが地の精霊であるミリアリアの力によるものであることは間違いなく。

傷つきすべての記憶を失ったキラの、他人には言えない心の空虚を埋めようと労力を割いてくれる2人に対して感謝の気持ちは何よりも大きい。
義務でも義理でもなく、キラを友人と呼んでくれる2人の優しい精霊。
そんな彼女達を困らせることなどキラにはできないし、またするつもりもなかった。

『悪いけど、少しだけ大人しくしててね』

そうミリアリアに言われてしまえば、聞かないわけにはいかなくて。
もしこれが他の人物の願いであったなら――そう、これがカナードだけの言葉だったらすんなりと聞き入れていたかどうか怪しい。
精霊族の最高位に位置する精霊王ではあるが、キラにしてみれば妹を溺愛する兄のような存在で、時にはフレイやミリアリアよりも我侭を言いやすい相手なのだから。
本来好奇心旺盛なキラの性格を知っているせいか、カナードがキラの行動を規制しようとすることはほとんどない。
だから今朝いきなり外出禁止令を言い渡された時、キラはどうやって抜け出そうかと不穏な計画を巡らせたのだが、さすがにキラの行動を熟知していたカナードの手回しによってキラの計画は実行されることはなかった。

だが、先程から何やら騒がしさを増していく一方の館内の様子に疑問を抱いてしまうのはどうしようもなく、落ち着かない様子でバルコニーに出て様子を窺ってしまうのは無理もないことだろう。

(バルコニーなら外出たうちに入らないよね?)

広い屋敷内の一室にあるバルコニーから周囲を見回したところで何が分かるわけでもないが、だが何もしないよりはましだ。
キラの部屋は2階にある。
南東の角部屋である自室からは、やはり何の様子を窺うこともできない。

「無理…かな」

思い切り身を乗り出せばもう少しくらいは外の様子を窺うことができたかもしれないが、そうするとバランスを崩しかねない。
精霊族のような特殊な力を持たないキラは空を翔けることはできず、もし万が一手を滑らせでもしたら多少の怪我ではすまないだろう。
カナードが何の手も打ってないことはないだろうが、それを立証するつもりはない。
キラが怪我をすれば間違いなくカナードだけでなく2人の友人が心を痛めるだろうから。

となればキラに選ぶ手段は一つしかない。

「おいで」

ふわふわと飛んでいる小妖精を手招きすれば、笑い声とともに嬉しそうに近寄ってくる小さな球体。
高い知能はないものの彼らは好奇心旺盛で、そしてキラに対して非常に好意的だ。
彼らは自由に空中を浮遊し、好奇心の赴くままあちこちと移動している。
何か見ているかもしれない。

――キラ、キラ、アソボ
――アソボ、アソボ

「後でね、兄様に外出ちゃ駄目って言われてるんだ」

嬉しそうにキラの周囲を飛びまわる小妖精にそう答えれば、不満そうな波動が伝わってきてキラは苦笑する。

「それより外の様子がおかしいみたいだけど、何かあったか知らない?」

そう訪ねれば小さな球体がちかちかと点滅する。
キラに告げていいものか悩んでいるようだ。

「お願い、教えて」

――ダレカキタ
――シラナイヒトタチ

「知らない人?」

――イママデ、イナイ、ハジメテ
――コワイ、デモ、キレイ
――フレイ、ツレテキタ

「フレイが?」

ふわふわと漂う小妖精が肯定するのを見て、キラは不思議そうに瞳を瞬かせる。
排他的とも言えるほど他者を嫌うフレイ。
気性の強い火精だということもあるだろうが、そんなフレイが見ず知らずの人を屋敷に招き入れることなどあるのだろうか。。
どうしても外せない用事があると言って姿を消したフレイ。
キラが滞在してから3年間。それまで他人がこの屋敷に招かれたことなど一度もなかった。
屋敷内を取り巻く緊迫した空気はそのせいだろうか。

(誰なんだろう…)

好奇心というよりは、予感。
訪ねてきた人物が誰か知らないが、もしかしたら自分と何か関わりがあるかもしれない。
ざわざわと落ち着かない心。それは何かが変わる予兆なのだろうか。

カナードの言葉も、フレイとミリアリアの不在も、彼らがキラに関わる人物だから、そのために――。

憶測に過ぎない。けれど、単なる憶測と呼ぶには何故かキラの心は乱れていて。
キラは視線を空へと彷徨わせる。

上空に浮かぶ、銀色の月。
静かに照らしている月は一見冷たく感じられるが、だが降り注ぐ光はキラを優しく包み込む。

このところ続いている、この胸騒ぎ。
何故か上空の月が気になって。

何かが変わっていく、そんな予感が消えないのだ。

優しく包み込むこの光のように、安心できる何か。
失われてしまった記憶の一つだろうそれを、今傍に感じるのは何故だろう。



(何故―――)



カチャリ、と開いた扉の先――そこにいたのは見慣れた友人の姿。
だが、その表情は今までに見たことがないほど不機嫌そうだった。

「フレイ?」

元々喜怒哀楽のはっきりした少女ではあるが、だがキラの前でここまで不機嫌な顔をしたことはなかったために、何かあったのだろうかと違和感を抱いても無理はない。

艶やかで華やかなフレイ。何が彼女を憂えさせているのだろうかとその顔を覗きこめば、目の前の少女が大仰にため息をついた。

「……キラ」
「な…何?」
「カナード様が、呼んでるわ」

くい、と視線を向けられてキラは不思議そうに瞬きをした。
カナードに呼ばれることは決して珍しいことではない。
だがフレイがここまで不機嫌だということは、呼び出されたことよりもむしろその内容に問題があるのだろう。

フレイはもう一度ため息をついて、そしてキラを見据える。

「あんたに、お客よ」



その言葉に、キラは自分の止まっていた時間が動き出していくのを感じた。


  • 06.06.29