「其方が知る『キラ・ヤマト』は、もう存在しない」
無情に響いた言葉に、誰一人言葉を発することはできなかった。
唐突に告げられた台詞。
それを嘘だと言い返すには、目の前の男性の表情は固く。
最愛の少女と同じ輝きを放つ紫水晶の瞳には、どこか憐れむような光が浮かんでいた。
ようやく掴んだキラの行方。
それが間違いではないと確信したのはつい先程のこと。
傷つき倒れていたキラを救い連れ去ったのは間違いなくこの場にいる茶髪の女性で、あの時の状況を考えれば――多少の怪我は負っていたものの――生命の危険までには及んでいないことは明白で。
「…う…っ…嘘だ…!」
自身の知り得た情報からくる結論なのか、それとも先程の精霊王の言葉を信じたくないだけなのか、力なく首を振ってその台詞を否定することしかできなかった。
「嘘、とは?」
剣呑に響く声はアスランの言葉に不快感を抱いたことの表れで。
人間や他の種族と違い、精霊族は偽りを言わない。
彼らの矜持からなのかそれとも種族としての性質なのかは分からないが、戯れに他者を騙して楽しむ妖精族とは違い、彼ら精霊族の口からは真実のみが紡がれる。
ましてや精霊王ともなればその言葉一つに意思が宿り、不用意に偽りを告げることなどありえない。
それを失念していたわけではないが、だがたとえ彼の言葉が真実であろうとなかろうと認めるわけにはいかなかった。
キラが存在しない、など。
ヴァンパイア一族にとってキラこそが未来への希望。彼女こそが導く光。
その唯一無二の存在を二度も失うことなど、あってはならないのだ。
鋭い光を宿した視線を受け止めながら、アスランはきつく拳を握り締める。
「キラは…生きてる。そしてここに匿われているはずだ」
「何故、そう言い切れる」
「見たからだ」
自身の確固たる信念を伝えるように、譲れない想いをぶつけるように、アスランは口を開く。
「3年前のあの日、崖下に落ちたキラを救ったのは、彼女だった」
精霊王の傍ら、金髪の青年の隣に立つ茶髪の女性へと視線を定め。
「貴女は俺に言ったはずだ。キラが大切ならば迎えに来い、と。だから俺達はここへ来たんだ。それなのにキラがいないなど、あるはずがない」
あの時の彼女はキラに危害を加える様子はなかった。
傷ついたキラを案じ、その身を大切に抱いて姿を消した彼らが、キラを手放すはずなどない。
迎えに来い、ということは彼女を手放すつもりがないことを示している。
ならばキラがこの場所にいないことなどありえないはずだ。
そう告げれば目の前の女性は困ったように笑みを浮かべ、カナードの眼差しはほんのわずかだが和らいだ。
「そういう意味ではない。確かにキラはここにいる。だが、それは其方達の知る『キラ・ヤマト』ではない、とそういうことだ」
「俺達の知るキラではない…?」
告げられる言葉が理解できず僅かに首を捻る。
すると――。
「つまり、キラはあんた達のことを何も覚えていないということよっ」
先程の――フレイと呼ばれていた少女が不機嫌を隠そうともせずにそう告げた。
艶やかな美貌を不快そうに歪め、白いたおやかな指で自らの紅蓮の髪を乱暴にかきあげたフレイは、その――強い意思の宿る瞳をぴたりとアスランに定め、なおも言葉を続ける。
「確かにマリューさんはキラを連れて帰ってきたわ。それが精霊王の思し召しだったし、彼女はあたし達精霊族にとっても大切な子だもの。でも、目覚めたキラは何も覚えていなかったの。あんた達は勿論、自分の名前も何もかも!」
ぎりぎりと睨みつけてくるフレイからは、隠すことのない嫌悪と憎悪が向けられてくる。
精霊族の中でも多種族を厭い矜持の高い炎の精霊なので、自身の領域にアスラン達が入ってくることが気に入らないのだろうが、目の前の少女からはそれ以上の感情が窺える。
何よりもフレイの敵意は背後にいるイザークやラクス達には向けられない。
存在を認識するつもりがないのか彼らのことは気にならないのかわからないが、出会った当初から彼女の意識はアスランにだけ向けられている。
それが何を意味するか、今のアスランにはわからない。
その言葉が気にならないわけではないが、今彼女の喧嘩を買うわけにいかないのも事実で。
「フレイっ!!」
どう返答をしようか考えあぐねているアスランよりも先に、先程と同様にミリアリアが隣に立つ少女を窘める。
「この人達に罪はないでしょう。さっきからつっかかるのやめなさいよ。大人げない」
「だって、嫌なんだもの。ヴァンパイアなんて! 何で今更来るのよ! あんた達なんて来なければよかったのに!」
その台詞に背後に立つイザークが気色ばんだ。
確かに精霊族にとって闇の一族であるヴァンパイアは格下に見えるのだろう。
自身の血に誇りを抱いているイザークのことだ。
彼女の態度からヴァンパイアの存在を侮られた感じてもおかしくない。
だが、イザークがいきり立つよりも早く、会場に乾いた音が響くのが先だった。
「いい加減にしなさい、フレイ!」
先程よりも強い感情のこもった声は、明らかに怒りを含んでいて。
何が起こったのかわからないといった様子で頬を押さえるフレイに、ミリアリアはきつい眼差しを向ける。
「子供じみた独占欲はやめなさい。そんなことしてもキラは喜ばないわよ」
「だって…」
「貴女、自分がどれだけ失礼なことをしてるかわかってるの。少し冷静になりなさい。キラはあたし達の友達だけど、あたし達だけのものじゃないのよ」
「…わかってるわよ…」
「じゃあ、いいでしょう。どうするか決めるのは貴女じゃないわ。キラよ」
くしゃり、と歪んだ顔をアスラン達から隠すようにミリアリアの肩に顔を埋めたフレイを軽く抱きとめながら、ミリアリアはアスランへと視線を向ける。
「ごめんなさいね。フレイはキラと仲がいいから。キラ、あたし達の前では隠してるけど、本当は記憶がないことをすごく気にしてるの。フレイはそれを知ってるから、昔の話をされてキラを困らせてほしくなかったのよ」
申し訳なさそうに告げるミリアリアに、アスランは小さく頷いて了承する。
誰からも愛されるキラ。
記憶がなくてもそれは変わらないらしい。
カナードがキラは存在しないと告げたのも、おそらくは中途半端な感情でキラを混乱させても困るというカナードなりの配慮だったのだろう。
試されていたのだ、アスランは。
カナードの台詞に少しでも躊躇いを見せたら、彼はキラに会わせることなく自分達を追い出しただろう。
大切にされているとそれだけで十分にわかる。
だが、彼女を大切に思っているのは彼らだけではない。
ラクスもイザークもそしてアスランも、何よりもあの惨事を生き抜いた同胞すべてが彼女の生存を祈っている。
記憶がなくても『キラ』という本質は変わらないはずだ。
同胞である自分達がそんな理由でキラを否定することなどありえない。
だから、アスランの答えは決まっているのだ。
揺るぎない視線をカナードに向け、アスランは告げる。
「キラに、会わせてください」
- 06.05.28