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Cry for the moon 10


押し寄せてくる人の声。
屋敷を取り巻く松明の数は時間が経過しても減少する兆しを見せず、むしろ闇が深くなっていく時刻だというのにそれは着実に増え続けていた。
きっかけは何だったのか、それは今もってわからない。
ヴァンパイアと人間との間にある見えない確執はもはや修正不可能なほどに深刻なものになっていたわけではない。
100年以上昔ならいざ知らず、彼ら一族には人間を滅ぼすつもりなどなく、人間達もまた自分達とは違う領域に暮らすヴァンパイアとの接触を避けて暮らすことに慣れていたはずだ。
時折彼らが狩りをしても、だからと言って無闇に生命を奪うようなことはなかった。

なのに何故、彼らは憎悪に身を包んで森を――一族の繁栄を誇る白亜の宮殿に火をかけようというのか。
それも、ヴァンパイアの能力が最大限に発揮される満月の夜に。

炎に巻かれた館の中で当主が下した決断は、一族を――そして長を守る騎士達にとっては承諾し難いものだったに違いない。
それでも結果として不平の声すら上がらずに命令を実行したのは、彼らなりの思惑があってのことなのだろう。

応戦すればおそらくは勝てただろう今回の襲撃に、だが長が下したのは戦わずにこの宮殿を放棄することだった。
四方を囲まれている状況で、正門を突破されたという報が入ったのはつい先刻。
ヴァンパイアの能力を以ってしても消すことのできない炎から、失われて久しいと言われていた純血のハンターの存在を察知した大人達によって、子供達だけが逃がされた。
先日成人の儀を迎えたばかりのイザークやディアッカは血気盛んに応戦するとその決意を告げてはいたが、返ってきたのは否の言葉。
憤慨する彼らを強引に宮殿から連れ出したのは、常日頃長の護衛として彼の傍らに必ず控えていた騎士だった。
普段は物静かながら、だがその実力は一族でも屈指と言われるほどの男に押さえつけられれば、いくら次代の五大公と言えどその腕から逃げられるはずもなく、ましてやまだ幼いキラの後見を長直々に頼まれてしまえば彼らには断ることができない。
歯噛みしながらも結局その場を去ることしかできなかった。
どうにか切り開いた血路の代償として目の前で失われた多くの同胞の命。
目の前でまるで玩具のように飛ばされた五大公の首。
銀の剣に貫かれた美しい母の姿。
抵抗らしい抵抗を見せず、宮殿と命運を共にした偉大なる一族の姿を、アスランはただ見ていることしかできなかった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





どれだけ走っただろうか。
結界の森を抜け、追いやられるように進んでいった先にあったのは深い渓谷へと続く細い道。
普段から人通りのないその道は予想外に脆く、馬を駆るには不可能なほどに心許無かった。
本来臆病な生物である馬が怯えた様子を見せるのを何とか宥めつつ慎重に進む。
成人にはまだ早い子供ではあるが、それでも基礎体力は人間と比べ物にならない彼らでさえ若干の疲労の色は隠せないのだから、何の力もないキラやか弱いラクスの疲労はアスラン達のそれとは比べ物にならない。
気丈な2人だから弱音を吐こうとはしないものの、月光に照らされる顔色は明らかに悪く、結果2人だけは馬上に留めたまま。
ラクスが乗る栗毛の馬の手綱はイザークが、そしてキラの乗る鹿毛の馬の手綱はアスランがしっかり握ったまま、周囲にハンターの気配を探りながら逃亡を続けていた。



どこまで逃げればいいのか、そして何故逃げなければならないのか自問自答しながら進んでいたその時――。

月光に照らされた小さな光が見えた。

それがどこかから放たれた矢だと認識した時、それはすでに鹿毛の馬の喉を貫通していた。
悲鳴と共にぐらりと傾いた白い姿。
その背に乗っていたのは、空を翔ることなどできない幼いキラで。
菫色の瞳が驚愕に見開かれるよりも先、アスランの心臓が凍りついた。

『キラ!』

ラクスの泣きそうな声が渓谷に木霊し、咄嗟に伸ばされたアスランの手は虚しく空を切る。
深い闇に奪い去られたかのように闇に消えていく最愛の少女の姿を、アスランは僅かな差で掴むことはできなかった。。



 ほんの一瞬の出来事だった。





   ◇◆◇   ◇◆◇





凍りついたように佇む子供達を無視して、アスランはその身を渓谷に躍らせた。
あの当時にはできなかったが、今のアスランには造作もない。
過去の無力な自分と対峙することはそれなりの痛みを伴うものではあったが、だがこの時になってようやくアスランは何故ラクスが自分を時空の中へ飛ばしたのかを理解した。
頭を冷やすためではない。
勿論ラクスの言葉に耳を傾けることのできなかったアスランへの仕置きも多分にあったのだろうが、おそらく最大の目的はそれではなく他にあった。
それに気付いたのが、今この時だということが情けない。


冷静に考えればわかることだ。
転移術――それも時間を遡るとなれば消費する魔力は甚大で、たかが仕置きのためだけに自らも危険だと承知の禁忌の術を行使するようなラクスではないのだ。
キラを喪ったあの場所で、そのキラの行方を掴んでくるようにというラクスの思惑に、アスランは自嘲の笑みを浮かべる。
確かに、自分は冷静さを欠いていたのだろう。
行方の掴めないキラの身を案じるあまり、自身から最愛の少女を奪った人間への憎悪に身を委ねるようになり、捜索よりも復讐へと視点がずれていったのは間違いない事実だ。
それをキラが喜ぶはずなどないと知っていながら。



断崖に呑まれていった小さな身体。
それでもまだ希望は捨てていない。
確かにキラ自身には何の能力も備わっていない。
普通の人間と変わらない、無力な少女だ。
だが、キラは闇の一族を統べるヴァンパイアの長であり、精霊王の加護を受けた唯一の少女だ。
自然界に生息する人間以外のすべてのものから守られてると言っても過言ではない。

ふわりと降り立った先にあったのはなだらかな渓流と、常緑樹の数々。
結界の森と同様、むしろそれよりも豊かな緑に覆われた自然に溢れるこの場所なら、もしかしたらキラの身は守られているかもしれないという新たな希望が湧いてきた。

無傷ですむとはさすがに思えないものの、だが思い描いていた最悪の事態にはなっていないと、そう願いつつキラが落ちたであろう周囲に視線を彷徨わせ――。

「――!」

アスランは老成した樹の枝に絡まっている亜麻色の髪を発見した。


  • 06.02.22