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Cry for the moon 08


一枚扉がゆっくりと開き、銀髪の少年が姿を現した。
怖い程に整った美貌は間違いなく幼馴染のそれで、幼いながらも怜悧さを窺わせるその姿にアスランは思わず瞠目した。
5〜6歳ぐらいだろうか。今ではすっかりと青年らしい面立ちへと変化している彼ではあったが、目の前にいる幼馴染はまだ少年特有のふっくらとした頬の丸みも残っており、呆然と見つめるアスランの視線の先で、外の様子を窺うように開いた扉の奥から様子を窺っていた。

きょろきょろと視線を彷徨わせるその姿は何かを警戒しているようで、そうではない。
どこか不機嫌なのは、もしかしたらその行動が彼自身不本意なのかもしれない。
やがて何かに納得したのか、するりと扉から抜け出してきた少年はその扉を幼い身体で支えながら、扉の奥へと手を差し伸べた。

『来いよ』

ぶっきらぼうではあるものの、その言葉には優しい響きが含まれていて。
向けている穏やかな視線に、アスランはその手の先に誰がいるか、すぐにわかった。
排他的と言えるほどに他人に執着しないイザークが率先して世話を焼く相手はキラ以外になく。
王家を支える五大公ジュール家の嫡男というだけでなく、大切な妹分をすべてのことから守ることを自らの使命だとでも言うように、彼は常にキラの動向に気を配っていた。
キラが怪我をしないように、キラが不当に傷つけられることのないように。
尊い立場のキラを一切の危険から遠ざけるように、大切に大切に守ってきたイザーク。
その気持ちに恋情が含まれていないのが信じられないほどにキラに向けられる視線は優しく、そのせいもあってかアスランとイザークの仲はお世辞にも良好とは言えなかった。
もっともお互いその実力だけは確かに認めていたのだけれど。

『ほら、キラ』

声に応えるように、イザークの手の上に小さな手のひらが乗せられた。
幼いイザークの手にすっぽりと隠れるほどの小さな手のひら。
だが、扉の奥から姿が見えることはない。
何やら話しているのだろうか、ややしてイザークが苦笑するのがわかった。

『大丈夫だって言ってるだろう。――嫌ならお前は部屋に戻るか?』

呆れたようにそう呟けば、小さな手がピクンと揺れた。

『――だから、行くぞ』

声と共に小さな手をぐい、と引かれ、扉の奥から現れた幼い姿。
もつれるようにバランスを崩した少女の身体を支えるのは、少女の陰から姿を見せた幼いディアッカだ。
前につんのめる身体を背後から支えてくれた一つ年上の幼馴染に嬉しそうに微笑んで、少女――幼いキラはイザークの手に引かれるまま階段を下りてくる。

ふわりと風になびくのは、背を覆うほどに伸びた亜麻色の髪。
少女らしい春色のドレスは幼い子供ならではの踝までの長さで、ちょこんと覗く黒い靴は愛らしいほどに小さく。
物珍しそうに菫色の瞳を輝かせて外の世界を見上げているのは、これが彼女にとって初の子供だけの外出になるからで。
両親の愛情を一身に浴びて育ったキラは、その可憐な外見とはほど遠いほどに行動的で、宮殿の中だけでも十分過ぎるほどに騒動を起こしていたために、外に出した時の騒動を懸念した両親及び一族の者によって単独の外出を厳重に禁止されていた。
だが、好奇心旺盛なキラがそれを甘受できるはずもなく、他の幼馴染が楽しそうに庭を駆けている様を窓から見ているだけという現実に、とうとう我慢ができずに泣き出してしまったのは、アスランの記憶が確かならこの数日前。
 結局のところ一族の誰もがキラを哀しませ続けることなどできるはずもなく、晴れて子供達だけの外出を認められたのがキラが4歳の誕生日を迎えた日のこと。
父親からプレゼントされた春色のドレスは、それまでのものよりも動きやすさを考慮されたデザインになっており、イザークの母エザリアからプレゼントされたのは、多少動き回っても脱げることのないようにと、可愛らしい革靴ではなくしっかりと編み上げるブーツだった。

そうして初の子供だけの外出を認められた日。
嬉しさ半分緊張半分で扉から出てきたキラの姿を、よく覚えている。
イザークがキラの手をしっかりと握っているのは、エスコートするというよりはキラが単独で走り出さないように拘束しているためで。
きょろきょろと視線を彷徨わせながら階段を下りる様は、子供達以上に窓から様子を窺っている大人をやきもきさせているようで、普段は眠りについている時間帯であるにも関わらず大人達がこぞって窓から様子を窺っている様子が何だか微笑ましい。
何度かバランスを崩しそうになるのを、幼い子供が2人がかりで抑えながらようやく階段を降りたキラは、何かに気付いたのかほんの一瞬の隙をついてイザークの手を振り解くと、噴水のそばにいるアスランに向かって走り寄ってきた。

「!?」

見えているはずないのに、それでも満面の笑顔で走ってくるキラの姿に錯覚を抱きそうになる。

『アスラーン!』

彼女がそう叫びながら駆け寄ってくるのは、当然ながら自分のことではなく。
キラの視線の先にいるのは、自分ではない。
キラが駆け寄ろうとしている先にいるのは、先程からずっと噴水の前から動こうとしない、幼いアスランの姿だった。

『キラ!』

アスランは自分に向かって走ってくるキラの姿に、驚愕とも歓喜ともつかない表情を浮かべ、だがよたよたと走ってくる愛らしい姿を前に慌てて立ち上がった。
彫像の肩を蹴り、宙へと身を躍らせる。
3メートルほどの高さをものともせず跳躍したアスランは、身軽な仕草でふわりとキラの前に降り立った。
生まれたのはキラよりも数ヶ月後ではあるが、五大公の筆頭パトリック・ザラの嫡男として生まれながらに突出した才能を発揮していたアスランにとって、空を翔ることなど造作もないことだ。
それはイザークにしろディアッカにしろ同様で、彼らは普通の子供ではない。
だがキラだけは別だった。
一族の要として生を受けたキラではあったが、彼女に一族の異能は受け継がれていなかった。
空を翔ることもできず、姿を闇に溶かすこともできない。
吸血鬼の特徴とも言える牙でさえ、少女の可愛らしい口元には見当たらなく。
だがそれでも彼らを魅了しひきつけてやまない少女は、間違いなく彼らの主であった。

『急に走り出したら危ないだろ!』

嬉しそうに抱きついてくる身体をしっかりと抱きとめながら、しっかりと釘を刺すことだけは忘れることなく、アスランは腕の中のキラにきつい視線を向ける。
だがその視線はにこにこと笑顔を浮かべるキラには欠片も通用せず、きつい光を浮かべる碧の瞳を嬉しそうに見上げてきた。

『アスランがいるから大丈夫だよ』

きらきらと輝く菫色の瞳は、光の角度で輝きを変える宝石のよう。
甘えるように抱きつかれてしまえば、アスランの怒りも腕を払われたイザークの怒りも長続きすることはなく。
結局誰よりもキラに甘いアスランには、無邪気に笑う少女の顔を曇らせることはできなかった。
諦めたように苦笑して、キラを促して幼馴染の元へと歩いていく。
小さな手をしっかりと握れば、嬉しそうにほころぶ愛らしい口元。

『アスラン、鹿さんいるかな? 前にアスランが話してくれた真っ白い鹿さん。』
『多分いると思うよ。彼らもキラに会いたがってたし』
『背中に乗っても怒らない?』
『落ちなければいいけど』
『むうっ、そんなことしないもん』

手を伸ばせばすぐ届きそうな距離にいる幼い2人の姿。
だが、実際に手を差し伸べれば、アスランの手はするりと2人をすり抜けて。
この幸福だった時間が過去の遺物でしかないことをアスランに教えている。

「キラ………」

懐かしく甘美なこの時間。
今はもう、遠い過去の出来事でしかない。


  • 06.01.11