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Cry for the moon 06


ミゲルは目の前で起きた出来事を理解することができなかった。

何が起きたのか、正直よくわからない。
ただ、先程仕留めた獲物の返り血を拭いもせずに、ラスティが次の獲物と定めた男性――いかにも育ちの良さそうな上質なスーツに身を包んだ青年へと刃を振り下ろそうとした、まさにその瞬間。
ラスティの身体が炎に包まれ、断末魔の叫びを上げる間もなくラスティが灰燼と化したのだ。
炎が消えた時、そこに男性の姿はなかった。
残されたのは呆然と立ち尽くすミゲルと、ラスティであったモノ。
そして、静寂に包まれた夜の風景だけだった。



ミゲルがラスティを密かに追尾していたのは、ここ数日のラスティの変貌ぶりにある種の警戒心を抱いたからだった。
人間とヴァンパイアという、どうあっても相容れない種の違い。
闇の世界に生きる彼らが行動を起こすようになったのは、一族の筆頭であるアスラン・ザラが決起の声があってのこと。
一族の目的はハンターの根絶と、王家の末裔である少女の行方の捜索。

『一族の秘宝』と呼ばれた少女、キラ・ヤマト。

今度こそ彼女を探し出し――そして彼らの王国を再び建立することが彼らの目的であり使命であった。
3年前に滅びてしまった闇の王国。
荘厳にして華麗な白亜の宮殿。
建物はすでに修復が完了している。
ただ、その中央に座す存在が空位のまま。
その至宝を探すために派兵されたミゲルを始めとする騎士達の使命は、あくまでもキラ・ヤマト捜索がメインであり、ハンターの掃討は二の次だ。

五大公の決定は絶対であるはずだったが、ラスティはある日を境にハンターを狩ることを目的にすり替えてしまった。
闇の一族の天敵であるハンターではあるが、彼らの脅威になりうるものはハンターと呼ばれる者の中でもほんの一握りで。
彼らのほとんどが何の力もない人間と大差ないことは、闇の一族ならば誰もが知っている常識だった。
だが、ラスティにはそんな事実は関係ないらしく、それこそ何の力も持たない傍流の人間ですら構わずに刃を向けるようになっていった。
その様子は血に酔った獣そのもので、このままでは障害になりかねないという危惧がミゲルの中に生じたのは無理のないことだった。

五大公からの叱責すら聞く耳を持たず、ふらりと出かけてしまうラスティを放っておくわけにいかなかったミゲルが彼の監視を担うことになったのだが、血に酔ったラスティを止めることが果たして自分に可能であろうか。
いざという時には身を挺してでも止めなければと思っていた。

だがそんなミゲルの目の前で繰り広げられた光景は、彼の想像を遥かに超えた出来事だった。

ヴァンパイアとして五大公の跡取りたちには敵わないまでも、それでもその能力にはそれなりの評価が与えられているラスティが、瞬きをする間もなく消されてしまったという事実。
しかもラスティと同じく秀でた能力を持つミゲルを以ってしても、相手の顔すら見ることができなかった現状。
唯一把握できたのは、暗い闇の中でも同化することのない漆黒の髪だけだった。



大きく地を蹴り、ミゲルは飛翔する。
常人ならばおそらくは目で追うことも不可能な速度で、ミゲルは急ぐ。
早く伝えなければ。
思うのは、ただそれだけ。

あれは危険。

あれは――。





   ◇◆◇   ◇◆◇




「『焔使い』だと!?」

その言葉に周囲の空気が一変したのは当然のこと。
背後に追尾の影がないことを何度も確認し、ようやくたどり着いたミゲルの常にない動揺した態度を見れば、その言葉に嘘がないのは明白で。
ミゲルが伝えた事実に不快げに眉を顰めたのが、上座に座するアスラン・ザラ。
そして声を荒げたのが、五大公の1人イザーク・ジュール。
冴え凍る怜悧な容貌をしていながらその実は誰よりも熱い彼は、ミゲルの言葉に思わず立ち上がった。

「どういうことだ! ミゲル! 『焔使い』を前におめおめと逃げ帰るなど!!」

それまで腰を下ろしていた椅子が大きな音と共に後ろへ倒れたことに構う様子もなく、厳しい叱責を浴びせるイザークを前に、ミゲルは頭を下げる。

「仕方ないんじゃない?」

そんなミゲルを擁護するようにイザークに言葉を投げかけたのは、自他共に認める彼の相棒であるディアッカ・エルスマン。
瞬時に沸騰しやすいイザークとは対照的に、常に飄々とした態度を崩さないディアッカは、アイスブルーのきつい眼差しをやんわりと受け止める。

「いくらミゲルでも『精霊使い』は荷が勝ちすぎる。ましてや焔使いともなれば俺達でさえ苦戦する相手だ。ラスティで歯が立たないとなれば、ミゲルの判断は正しい。俺達はハンターの情報を正確に掴んでおかないといけないんだからな」

『ハンター』とはヴァンパイアを狩る一族の総称であり、個々の能力はそれぞれ違う。
遥か昔には大勢いた純粋なハンターは今やすっかりとその血を薄め、現在残るハンターの多くはは通常の人間の能力と大差ない。
純血のハンターと比べようがないほどに能力を失った彼らは、たとえ何人束になってかかろうとヴァンパイアの敵ではなく、彼らが葬ることができるのは亜種――俗にサーペント(下僕)――と呼ばれる、ヴァンパイアの能力によって吸血鬼化した人間のなれの果てのみである。

だが、そうして薄まっていく血の中でも、今もなおヴァンパイアの天敵と称するに足るだけの実力を持つ者は少なからずいる。

3年前、ヴァンパイアの村を急襲し壊滅的打撃を与えた彼ら。
彼らが持つ能力――それは四精霊を操る力であり、その能力の前にはほとんどのヴァンパイアが敵わない。

世界を二分する2つの世界――光と闇。
それは何よりも近く、そして遠い存在。
相反する世界でありながら、その資質は限りなく同質に近く。
まるで絶対の掟のように、闇は光を害することはできない。
だが、自然界の皮肉なのだろうか、闇は光に手を出せないが、光は闇を払拭することができる。
ヴァンパイアは永遠にも等しい寿命があるが、決して不死ではない。
闇の一族を唯一害することができるのは、光の精霊の力を得た人間――すなわちハンターの中でも『精霊使い』と呼ばれる存在だけ。
それゆえに四精霊の力を持つハンターは、彼らヴァンパイアにとっては天敵なのである。

「――なるほど」
「アスラン?」
「とうとう奴らが本気になったということか」
「だが…」
「相手にとって不足はない。どうせハンターなど根絶やしにするつもりだったんだからな。早いか遅いかの違いだ」
「だが、アスラン。精霊使いは俺らじゃ駄目だ。力が違いすぎる。お前らだって勝てるかどうか――」
「なら、その男は俺が相手をしよう」

ミゲルの言葉にアスランは暗く笑う。
ぞっとするほど冷ややかな笑みは、今までのアスランを知るミゲルから見ても背筋が冷たくなるもので。
彼の――永劫に消すことのできない深い闇の一端を垣間見たような気がした。



静謐な空気を払拭するほどに明るい声が響いたのは、その時だった。

「随分と物騒なお話ですのね」

玲瓏とした、どこまでも無邪気な声。
一度聞いたら忘れられない妙なる声の持ち主は、彼らが知らないものではなく。
むしろあくまでもマイペースな姿勢を崩さない彼女は、突然現れては状況を混乱させて帰っていく不思議な存在で。
今回の来訪は吉と出るのか凶と出るのか。

「ラクス!?」
「はい」

黒衣の外套から現れたのは、華やかなピンクの髪。
サーモンピンクのドレス姿の少女は、暗鬱とした空間に紛れ込んだ妖精のようで。
こんな状況でありながら、思わずその存在に目を奪われてしまうのは仕方のないことだった。
社交界の華と呼ばれている歌姫。
だがその正体は、アスランと同等の地位を持つ、ヴァンパイア。
闇の一族を統べる五大公の1人、シーゲル・クラインの愛娘。
王の片翼となるべく生まれた、最高の吸血姫だ。

「ここ最近、社交界では満月の通り魔の話で持ちきりですのよ」
「…世間話をするために来たのですか?」

誰もが目を奪われる歌姫ではあるが、アスランには彼女の魅力は通用しないのか、突然の来訪を快く思っていない様子でアスランが問えば、そんな彼の態度には慣れていると言わんばかりに艶やかな笑顔をラクスは浮かべた。

「まあ、私こう見えても忙しいのです。そんな暇ありませんわ」
「では、何故?」
「貴方達の愚かな行動を止めるために来たのです」

柔らかな笑顔で告げる言葉は、だが外見とは裏腹に鋭い棘を含んでいて。
その言葉にディアッカとイザークはわずかに息を呑み、そして面と向かって告げられたアスランの柳眉がぴくんと跳ね上がった。

「愚かな、行動…ですか」
「それ以外にどう言えと?」

青い双眸がひたりとアスランに向けられる。
3年前散り散りになってしまった同胞達。
どうにか行方を捜して1人また1人と集まりつつある中、所在こそ明らかにすれど一向に行動を共にしようとしなかったラクスが、今何故自分の――いや、一族の方針に否を唱えようと言うのか。
アスランの非難の視線を受けて、ラクスはやんわりと首を振る。

「貴方の苦しみを理解できないわけではありません。ですが、今はなりません。キラが見つかっていない今、我々が行動を起こすのは危険すぎます」
「ですが」
「もしキラが彼らに捕われていたとしたらどうします? 彼らがキラに何もしないと言えますか?」
「しかし…」
「キラの危険に繋がるようなことは、今はしてはならないことくらい貴方ならお分かりでしょう、アスラン・ザラ。キラの婚約者であり、五大公の筆頭である貴方なら」

アスランがハンターを滅ぼそうと躍起になっているのは、勿論一族の総意あってのことではあるが、その大半は彼自身の私怨に他ならない。
キラの身柄を確保してからなら、ラクスだとて一族の総意に反論を唱えることはないが、今はまだ時期が早すぎる。
それがわからないアスランではないのに、そんな単純な可能性すら失念するほどに彼の憎悪は深いのだろうと思うと、ラクスはそんなアスランが哀れでならない。

「それに、思い出してください。キラは何よりも争いを嫌っておりました。ですから…」
「説教は沢山です、ラクス!!」

激情そのままに大きな音とともにテーブルに叩きつけた手が震えている。
それはどうあっても押さえることのできない怒りのせいか、未だ消えない喪失の恐怖を思い出したためか――。

アスランは何かを振り切るように大きく頭を振る。

「あいつらが何を奪ったか、わからない貴女じゃないでしょう! なのに、何故、俺の邪魔をしようと言うのです!」
「アスラン…」
「あいつらは俺達からキラを奪った。そして、今もなお彼女の行方は知れない――。その購いを彼らの命でしてもらって、何がいけないと言うんだ!!」

以前からは想像もつかなかったアスラン・ザラの変貌。
沈着冷静で、何があろうと道を間違えないと思ったからこそ、キラの両親は彼を愛娘の伴侶と定めたはずなのに。
キラという要を失った今、彼の行動は一族にとって悪い方向へと向かっている。
何故誰も彼を止めないのだろうかと思い、だが室内に控える五大公の2人――イザークとディアッカの表情もまた固い決意を浮かべており、彼らもまた方向を見誤っているのだということが分かった。

「…言葉は通じませんか」

最早、自分の言葉でさえも彼の決意を変えることはできないのだろう。
そう察したラクスが諦めたようにそう呟き、そして次の瞬間ラクスがひたりとアスランを見据える。
青い双眸がアスランを射抜く。

「ならば、仕方ありません。少し反省してらっしゃいませ」
「な…っ!?」

アスランの瞳が怪訝そうに瞬くよりも早く、ラクスの手がす、とアスランに向けられた。

ぐにゃり、と周囲が歪んだとアスランが自覚した時には、最早すべてが終了していた。

「アスラン!?」
「なっ…おい…!」

ラクスの見据える視線の先、何が起こったか理解できないままアスランの姿が空気に溶けその場から消えた。

「転移術…」

闇の一族でも使える人間はほとんどいないと言われるほどの高位な魔術。
場所も時間も、そして時空すら操れるほどの強大な魔術は、だが使役者の魔力の消費があまりにも多いために、ここ数百年使われることのなかった魔術だ。
現時点でそれを行使できるのは、ただ1人。
目の前の歌姫だけ。

「皆さん、よろしいですね」

強大な魔術の行使による疲労のせいか、蒼白な顔のままそれでも威厳に満ちた表情でラクスは同胞を振り返る。

「アスランが戻ってくるまで、一切の単独行動を禁じます。これは五大公ラクス・クラインの命令です」

彼女の言葉に反論できる者はいなかった。


  • 05.11.09