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Cry for the moon 04


その歌姫がどのような経緯でこの国へ来たか、一切わかっていない。
彼女はある日ふらりと社交界会場へ姿を見せ、その日から『社交界一の歌姫』という地位に君臨することになる。
一度聞いたら忘れられない妙なる声音。
華やかで気品溢れる優美な姿。
誰が見ても高貴な生まれであろうことは間違いないはずの彼女の素性は、だがどれほどの詮索にも、彼女の生まれを証明するものは、それこそほんの僅かな手掛かり一つとして見つけることはできなかった。
実は他国の王族だとか有力貴族の落胤だという噂が飛び交っているが、当の本人はおっとりと微笑んでいるだけ。
否定も肯定もしないその様子に、周囲の好奇心は尚一層深まっていく。
また、そんな下卑た詮索を抜きにしても彼女の歌声は素晴らしく、歌姫の人気は留まることを知らない。

そして今宵もまた、歌姫はその美声を披露する。
その歌声は柔らかく優しく、そしてどこまでも透明で。
『この世で最も綺麗な歌声』と皇太子に冠されたほど、彼女の歌は他者の心を捕らえて離さなかった。
細く、だがそれでも不思議と心に染み込んでくる歌声に彩りを加えているのは、若草色の髪の少年が奏でるピアノの音色。
歌姫の声を消すでもなく、むしろその魅力を最大限引き出している彼の技巧も、また社交界では無視できない存在となっている。
繊細で流れるような指先から奏でられる音楽はどこか哀しさを感じさせ、まだ幼い少年でありながらその実力は国内でも五指に数えられるであろう。
王宮の専属ピアニストの地位を一蹴して歌姫の伴奏者であることを選んだ少年――ニコル・アマルフィーもまたその素性の一切を明かしておらず、だがそれでもこの正体不明の二人組は間違いなく社交界の華であった。

彼らの真意がどこにあるか、知るはずもなく――。





   ◇◆◇   ◇◆◇





用意された控え室に戻ると、ラクスは小さく息をつく。

「疲れましたか?」

その様子を見てニコルが問いかけると、ラクスは相変わらずの笑顔でやんわりと答える。

「この程度の夜会で疲れることはありませんわ」
「そのわりにお顔の色が冴えませんよ」
「気にかかることはいくらでもありますもの。特に、どうしようもない方達のこととか」

くすくすと笑いながら答えるそれが誰を指しているのか十分過ぎるほどに知っているニコルは、何と答えてよいものやら考えて苦笑するだけに留めた。

「それは…僕にもどうしようもありませんね」
「でしょう? まったく、しょうがないこと。嘆いていても事態が好転しないことくらい、この3年で嫌というほど知っているでしょうに」

穏やかな笑顔で辛辣な台詞を吐き、ラクスはニコルが差し出したカップを受け取った。
歌い終えた歌姫を労うように淹れられたのは、鮮やかな色彩が特徴のマロウ・ブルー。
淹れた直後は青色だが時間が経過すると綺麗な紫色に変化するそれは、外見の美しさも然ることながら喉の痛みを和らげる効能を持つ。
連日続くパーティーによる喉の疲労を配慮したこともそれを選択した理由の1つだが、彼女がこのハーブを好んでいることを知っているニコルならではの選択でもあった。

淹れた直後の青はラクスの瞳と同色の色。
そして、少し時間を置いて変化した鮮やかな紫は、大切な友人の瞳の色。
紫水晶とも菫とも称される彼女の幻想的な瞳の色彩は、目の前のそれと酷似していて。
懐かしさと切なさのせいか、ラクスの表情にほんのわずか翳が差した。

「それにしても、珍しいですね」
「何がですか?」
「最後の曲。――まさかあの曲を選択するとは正直思いませんでしたよ」
「…そうですわね」

夜会の最後にラクスが披露した歌は、彼女が生まれて初めて作曲した歌。
まだ幼かったラクスが大切な友人のために作った歌だ。
彼女は音楽が好きで、とりわけラクスの歌う歌が大好きだった。

『天使の歌声だね』

ラクスの歌声を最初にそう称したのは彼女だった。
自身こそ天使のような姿をしていながら、菫色の瞳をきらきらと輝かせてそう笑った少女は、ラクスにとって大切な友人であり大事な主君であった。
その彼女のために作った歌。
何故今日歌うことにしたのか、正直言うと自分でもよくわからない。
長い間歌わなかった想い出の歌を忘れないようにと思ったのだろうか、それともこの歌を歌えば行方不明の友人がひょっこり姿を現すと思ったからかもしれない。
それとも――触れれば消えてしまいそうな自分と彼女の繋がりを再確認するためだったのだろうか。

「縋りたかったのかもしれませんわ。この歌に…」

多くの仲間がどれだけの手を尽くしても探し出せない少女の行方。
また、決して狭くはない自分の情報網にも何一つ引っかからないほどに、彼女の存在だけが掴めない。
普通ならばすでに生命はないものと諦めるものだが、あまりにも完璧に存在を消されてしまったが故に、彼女も――また他の仲間達も――希望を捨てることはできなかった。

多くの仲間が惨殺されたあの一夜。
幼い子供に見せ付けるように目の前で首を落とされた両親。
逃亡を続ける際にも、1人また1人と仲間の姿が灰燼と化していった。
それだけの非道を行った連中が、当時13歳の少女を捕らえて秘密裏に葬るはずがなかった。

だから――。

(キラは、生きていますわ)

形のよい唇をきゅっとかみ締めて、ラクスは自身に言い聞かせるように心の中で呟く。

だからラクスは歌い続けるのだ。



自らの望みを叶えるために――。


  • 05.10.17