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Cry for the moon 02


彼女が生まれた日のことを覚えている。
次代の希望を一身に背負って生まれてきた幼子は、まるで宝石のように輝いていた。
母親譲りの亜麻色の髪、父親譲りの紫水晶の瞳。
ふくふくとした小さな手のひら、その桜色の爪の先まで記憶に鮮明に残っている、大切な少女。
一族の要となる存在。
何よりも護るべき存在だと両親から教えられるまでもなく、母親の腕の中で安心したように眠る少女を護りたいと思っていた。
護れると思っていた。

あの、忌まわしき事件が起きなければ――。






「――ク、イザーク!」

突如大きく肩を揺さぶられて、イザークは眠りの淵から引き戻された。
目に入る光彩に、元からよくなかったイザークの機嫌が更に下降を辿る。
開かれた天窓から差し込む鮮やかな朝陽。
ヴァンパイアである自分達にとって光は確かに忌避すべき存在ではあるけれど、だからといって伝承に伝わるように陽光を浴びたからと言って灰になるということはない。
だが網膜に突き刺さる光線はやはり好ましいものではなく、イザークは険しい視線を目の前の男に向ける。
二重にかけられたカーテンを全開にしたのは、間違いなく目の前の褐色の少年だ。
吸血鬼――それも純血種でありながら昼間から活動する彼のことを酔狂だと言う者が多いが、イザークもまた同意見である。
最も長い付き合いから彼が昼間に出歩くのにはそれなりの理由があってのことだとはわかっているが、だからといってイザークがそれに付き合う理由はない。
眠りについてからまだ数刻。
ただでさえ浅い眠りだというのに、ようやく訪れた微睡を邪魔された恨みは大きい。

「ディアッカ……」
「おいおい、怒るなよ。魘されてたみたいだから起こしてやったってのによ」

おどけたように肩をすくめる姿は相変わらず飄々としたもので。
だがその紫紺の瞳に気遣わしげな光が浮かんでいるのを見逃すほど、2人の付き合いは浅いものではなかった。

「――何か、言ってたか…?」
「いーや、いつも通りさ」
「……そう、か……」

いつも通りということは、また自分は呼んでいたのだろう。
あの少女の名を。



「――で、折角起きたんだから、一緒にメシでもどう?」
「…貴様と一緒だと周りが五月蝿くてかなわん」

褐色の肌に黄金の髪をした幼馴染は非常に精悍な顔立ちをしており、一緒に行動をすると周囲から視線が集中してしまうために、雑多な雰囲気の苦手なイザークとしては人込みで一緒にいたい相手ではない。
不躾に見られているという不快感は、何度経験しても慣れることはない。
自身の突出した美貌が原因の一端だとは露ほども思っていないイザークは、周囲から向けられる視線のすべてはディアッカのせいだと信じて疑っていない。
それを知ってか知らずか、ディアッカはわずかに苦笑する。
ディアッカは目の前の幼馴染に視線を向ける。
自分とは対照的に透けるように白い肌は、闇の中において淡く輝く月のよう。
輝く銀糸と星のように瞬く蒼瞳は、一族の中でも高位に属する証である。
五大公の一家であるジュール家の嫡子。
自尊心が高く、一族の純血種であるということに誇りを抱いているイザークは、他の仲間に比べても人間に対する嫌悪は激しく強い。
それが選民意識だけでないことは嫌と言うほど知っているが、だが3年前からさらに排他的になってしまっている彼を何とかしたいと思っているものの、頑なな彼の態度を軟化させることは意外にも難しかった。



「腹が減った」

イザークの声に、ディアッカは小さく笑う。
いくら吸血鬼と言っても不死ではない。
食事を摂らなくても生きてはいけるが、だからといって空腹にならないわけではないのだ。

「だから外でメシでも調達――」
「人間は嫌いだ」

ぽつりと呟いた一言。
普段から癇癪持ちのイザークにしては珍しく抑揚のない声。
激昂するでもなく、嫌悪を浮かべるでもない。
ただ事実のみを宿したその声音に、彼の――決して消えることのない拒絶を感じ、ディアッカはわずかに目を細める。
白い腕が身体を抱き寄せるのも、その唇が自分の首筋にそっと触れるのも、止めなかった。
わずかに食い込む牙の感触に一瞬だけ眉を顰めながらも、ディアッカは自分と対して差のない幼馴染の身体に手を回し、あやすようにその背中を叩いた。

どれだけ血を求めても、それでも彼の渇きを癒すことができないことなど、自分も――そしてイザーク本人ですら嫌というほど知っている。
彼が餓えているのは、物質的なものではない。

3年前のあの日――。
誰もが幸せだったあの春の夜。
白亜の宮殿と謳われたあの美しい建物は、一瞬で炎の中に消えた。
襲い来る殺戮者に対して、ただ逃げるしかなかった幼い自分達。
目の前で灰と化した両親や多くの仲間。

そして、一族の要となる少女――キラ・ヤマト。

妹のように慈しんできた菫色の瞳の少女の喪失が、イザークを餓えさせているのだ。
生死すらわからないままの彼女を見つけない限り、彼も――また憎らしくも放っておけない、あの年下の幼馴染も――この空虚の檻からは抜け出せないのだろう。



断崖へと吸い込まれていった少女の行方は、3年経った今も不明のまま。
どれほど手を尽くしても、その行方は杳として知れなかった。


  • 05.09.27