雑然と賑わう都市。
煉瓦造りの建物と舗装された道路。
すっかり日が落ちた今でも夜道を照らす街灯は煌々と輝き、ここ数年で格段に進歩した技術が窺える。
高名な科学者が開発した瓦斯灯は、それまで自身の足元を照らす程度の役にしか立たなかった燭台や松明の明るさとは比べ物にならない。
試験的に設置された瓦斯灯は、わずか10年弱の期間で多くの都市に設置され、夜の帳を照らすものは月光だけではなくなった。
しかし、最先端の技術は水脈のように細かく分散されている路地裏や都市から少し離れた街道までは行き届いておらず、大通りから一歩路地に踏み入れてしまえばそこは以前と変わらぬ闇の世界が存在していた。
どれほど技術が発達しようと、王侯貴族がどれだけ贅を尽くして夜通し屋敷を照らしていようと、自然が作り出す光と闇の均衡はそう簡単に崩れることはないと証明するかのように、そこには鬱々とした静寂と混沌に満ちていた。
だが光を手にしたからか闇の存在を忘れたように、日が落ちても尚人々は活動的だ。
贅を尽くした豪華な馬車に優雅に乗り込む淑女と、それをエスコートする紳士然とした男性。
きらびやかな宝石で全身を飾り立て、有名デザイナーを急かして作らせた豪華なドレス。
一見華やかに見えるそれらだが、その本質の腐敗の色は隠しきれない。
煉瓦造りのアパートメントの屋上から見下ろしていた少年は、その虚飾の世界を嫌悪するかのように眉を顰めた。
技術の発達とともに廃れていく人の心など少年にはどうでもいいことだが、夜が更けても明るい世界というのにはどうも馴染めない。
ましてや、夜は彼らの領域だというのに、それすら忘れて我が物顔で闊歩する人間の姿は目障りこの上ない。
「チッ…」
忌々しそうに舌打ちをする少年の藍色の髪を、一陣の風が舞い上げた。
月光に照らされて露わになる秀麗な顔立ち。
深い藍色の髪は、まるで宵闇の色。
同年代の女性から見れば羨望の的でしかないだろう、白磁の肌。
最高級の輝きを持つ宝石ですらその輝きを失うであろう、深い深い碧の瞳。
身に纏う雰囲気は凄絶に美しく、どれほど精巧な技巧を誇る画家ですら彼の持つ美を写し取ることは不可能だろう。
その絶対的な美貌は今不愉快そうにゆがめられており、この少年の機嫌の悪さを如実に表していた。
「こんな奴らが……」
忌々しそうに吐き捨てる声は、一度聞けば忘れられない響きがあった。
自分達一族を世界の片隅へと追いやり、異端と蔑み、そして彼から何もかもを奪い去った。
――そう、何もかも。
実際に手を下したのはほんの一握りの人間――ハンターと呼ばれる憎き存在ではあるが彼らを庇護し、またすべてにおいて優れていた少年の一族を忌避し排除しようとしていたのは明白であり、彼らもまた同罪だ。
「何の力も持たない脆弱な生き物の分際で、随分大それたことをしてくれたものだ」
抑えきれない憎悪の念が、少年の周囲にゆらりと燃え立つ。
そこだけ確実に変わった空気の色。張り詰めんばかりに研ぎ澄まされたそれは、眼下に広がる世界すべてに向けられた少年の憎悪がどれだけ深いかを証明していた。
強い波動に周囲のアパートメントの窓が軋んだ音を立て、数枚が少年の放つ波動に耐え切れず大きな亀裂が走る。
いっそすべてを破壊し尽くしてやろうかと思い、だがそれを寸でのところで思いとどまったのは――まだ期は熟していないから。
決して足下の彼らに同情の念を抱いたからではない。
不意に喉に渇きを感じ、少年はわずかにタイを緩めた。
「間もなく刻限――か」
何がとは言わない。
彼らにとっての食事の時間が、すぐそこまで迫っていた。
「後悔するには、もう遅い」
増えていく同属の気配に、少年は小さく呟く。
黒衣に身を包んだ少年は足下に広がる光に彩られた虚飾の世界を一瞥し、すぐに興味をなくしたようにその身を空中へ躍らせた。
落下していく身体は途中でくるりと回転し、軽やかな動作でアパートメントの壁を蹴って上空へと飛翔した。
まるで羽でも生えているかのような跳躍力は、だが彼らにとっては別段珍しいことではない。
そう――闇の世界に生きる彼らにとっては。
少年は輝く月を見て、大切な相手を思い浮かべる。
泣き虫で甘ったれで、でも誰よりも大切だった存在。
3年前に奪われてしまった、たった一つの宝物を――。
(キラ――…)
一族の秘宝とまで謳われた、彼の少女。
その姿は、どこにもない――。
- 05.09.25