その声に気付いたのは少女ではなくラクスだった。
「キラっ?!」
愛らしい表情に珍しく焦りの色を浮かべて突然現れた少女を見る。
その隣に無邪気に飛び跳ねる己の使い魔の姿を認めて、ラクスは己の失態を悟った。
キラの言葉を聞かないようにとだけは告げておいたが、キラのことが大好きな使い魔が大人しく聞くはずなかったのだ。
ラクスの顔色を見てミーアもゆっくりと視線を移す。
炎のせいで視界は良く見えないが、それでも目に飛び込んできた亜麻色の髪の少女。
まるで淡く輝いているように見えた。
紫水晶の瞳がミーアをしっかりと捉えている。
誰だろう。誰でもいい。どうせ全員殺してしまうんだから。
そうして自分も滅んでしまえばいいのだ。
こんな自分なんて消えたところで誰も悲しんでくれないのだから。
自嘲気味に笑ったミーアに、だが少女は哀しそうに首を振った。
「駄目だよ、そんな哀しいことを言ったら」
ミーアには少女が何故そんなことを言うのかわからない。
それは生まれてからずっと言われ続けてきた台詞だ。
自分の名前よりもずっとずっと多く耳にしてきた言葉。
いらない、不要だ、消えてしまえ。
言われない日なんてなかった。
言葉じゃなくても目線がそう伝えてきた。
そう、目の前の若草色の髪の少年のように。
「だって、みんないらないのよ。本物がいるから偽者が苦しむんだもの。だったらどちらも消えてしまえばいいの」
「偽者なんていないよ。みんな本物なんだから。いらない人なんていないよ」
「嘘……。だってミーアはいらないのよ。誰からも必要とされてないもの」
「ミーアって君のこと?」
こくんと頷く姿から邪気が消えていてラクスは驚いた。
ラクスがミーアから感じていたのは、一貫して怒りの波動だった。
恨み・妬み・僻み・怨嗟。
どうしたらここまでと思えるほどの負の要素に包まれていた少女。
だからこそラクスは本気で対峙できなかったのだ。
同じ姿、同じ声。
自分と良く似た姿なのに、彼女が育ってきた環境はあまりにも違いすぎた。
同情したわけではない。
そんな傲慢なことはできない。
だが、敵だからと非情になりきることを躊躇したのは事実。
本気ならばミーアなど一瞬で消し去ることだって可能だというのにそれをしなかったのは、少しでも良いから話をしてみたかったのだ。
勿論ミーアが利用されているという可能性も捨てきれなかったが、同年代の女性として分かり合えるのではないかと思った気持ちの方が強い。
それほどミーアという少女は世の中の全てを恨み、その恨みをラクスにぶつけることで何とか理性を保っているように見えたのだ。
結果として本気にならなかった対決はミーアの自尊心をより傷つけることとなり、決着をつけようとしないせいでニコルの乱入を許し彼女の激昂を煽ることとなってしまったのはラクスの過失だ。
手に負えないと思ったミーアの激情を、だがキラはたった一言で鎮めてしまった。
驚かないわけがない。
これが長の力なのかと思ったラクスは、すぐにその可能性を否定した。
長の力は万能ではない。
それは5年前の叛乱を思い返せば良くわかる。
キラの父親は先代の長だったが、その命は臣下である男によって討ち取られてしまった。
長だから闇の一族が無条件に従うわけではないのだ。
だから、これはキラだからできることだ。
誰よりも優しいキラだから、ミーアの孤独を感じとり理解しようとした。
そしてそれをミーアが気付いた。それだけのこと。
憑き物が取れたようなミーアの姿を見て、ラクスは僅かに警戒を解いた。
キラならば彼女を救えるのではないか。
ラクスはその可能性に賭けた。
◇◆◇ ◇◆◇
「初めまして、ミーア。僕はキラ・ヤマト」
「キ、ラ……」
「うん」
「キラ…」
ゆっくりと噛みしめるようにその名を呟く。
初めて聞く名前なのに何だか懐かしい。
たった2文字なのにそれが大切なもののように思えるのは何でだろう。
宝石のような瞳がミーアを見ている。
その視線に自分が映っているのがわかる。
涙に濡れた醜い姿。
自身の力すら制御できない哀れな女。
少女の前に見せるには何ともみすぼらしい姿に、ミーアの瞳からまたもや涙がこぼれ落ちた。
ラクスに感じた劣等感は、不思議と目の前の少女には抱かなかった。
抱くまでもなかったのだろう、彼女と自分では違いすぎる。
「ミーアは何が哀しいの?」
キラと名乗った少女の問いかけに答えようとしてミーアは考えた。
哀しかった。何が?
自分の存在を否定されてきたからだろうか。
だが、それはもう諦めてしまったはずだ。
自分と同じ姿の少女が誰からも愛されていると聞いたからか。
だが、それはもう自分の手に入れたはずだ。
ミーアこそが歌姫だと、女神だと崇めてくれた人だって沢山いた。
勿論それはミーア個人というより『ラクスのふりをした』ミーアだったけれど、受けた賛辞は間違いなく自分に向けられたものだった。
それで満足していたら哀しくなかったのだろうか。
あのまま大人しく『ラクス』として生きていくことだって可能だったのに。
何かが物足りなかった。
それは――。
「あたしは、ただ、愛されたかったの……」
『ラクス・クライン』ではなく『ミーア・キャンベル』として。
「それなのに誰もあたしを見てくれなくて…『ラクス・クライン』だなんて本当は呼ばれたくなかった。あたしは『ミーア・キャンベル』なのに…」
『ラクス』と呼ばれるたびに『ミーア』が消えていくような気がした。
それならいっそ本物になってしまえば良いと思ったけれど、やはりミーアはどうしたって『ミーア・キャンベル』でしかなくて。
自分の存在を認めてほしかった。
ミーアが好きだと言ってもらいたかった。
本当に、最初はそれだけだったのに。
はらはらと流れる涙は自身を灼く熱によって瞬く間に蒸発していく。
暴走した力は自分ではもう制御できなくなってしまった。
無理やり契約した精霊はミーアに使われることを良しとしなかったのか、体内で逃げようと暴走している。
いずれこの身を焼き尽くして逃げるだろう。
それを抑えるだけの力はミーアにはないのだ。
それでも良かった。何だかもう疲れてしまった。
「ねえ、キラ。貴女になれていたらあたしは幸せになれたのかしら」
キラはきょとんと首を傾げる。
彼女は嘘を言わない。
何となくそんな気がして聞いてみたのだが、返ってきた言葉はやはりミーアが望むものだった。
「無理だよ。僕は僕。ミーアはミーア。誰だって自分以外にはなれないもの」
「ふふ、そうよね」
だとしたらミーアが行ってきたことは全てが無駄なことでしかなかったのだ。
何て愚かだったのだろう。
甘い言葉に乗せられて本物を殺してしまおうだなんて。
例えラクスを殺したところで、ミーアという存在が消えるわけではない。
ミーアがラクスを騙ったところで、しょせん彼女とミーアは別の命なのだから。
「馬鹿みたい、あたし」
立っている気力すらなくてミーアは崩れるように地面に座り込んだ。
騙されていたにしろ踊らされていたにしろ、行動したのは自分だ。
彼がどんな思惑だったかなんて知らないが、上手く利用されたのだろう。
どこまで行ってもミーアは愚か女なのだ。
「うん、馬鹿だったね」
「キラ?!」
近づいてくる気配がして顔を上げれば、ミーアを包む熱がキラへと触手を伸ばそうとしているところだった。
「近づかないで! 止められないの、駄目なの。キラまで燃えちゃう」
慌てて後ずさるものの、キラの歩みは止まらない。
慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、熱にも構うことなく手を差し伸べてくる。
白い手。綺麗な笑顔。
何の魔力も感じないキラは、この炎の範囲に入ればたちどころに燃えて灰になってしまうだろう。
それだけは駄目だ。
先程までそれを望んでいたというのに、ミーアは耐えられないと首を振りながらじりじりと後ずさる。
「お願い、来ないで。キラを燃やしたくないの」
「大丈夫だよ」
ふわりと微笑まれて動きが止まる。
「ミーアは僕を傷つける気がないもの。僕はミーアに傷つけられたりしないよ」
「嘘…だって炎が……」
炎はミーアの身体の至る所に火傷を作っている。
もう少し力が弱まったら一瞬にして燃え尽くすはずだ。
それほどの熱量なのに、どうして平気だなんて言うんだろう。
逃げ切れないミーアの頬にキラの白い手が近づく。
抑えようとしても抑えきれない炎にミーアが絶望したように目を閉じようとした――その時。
「まったく、無茶ばかりなんだから」
どこか威厳すら伴う声がミーアのすぐ傍で聞こえた。
初めて聞く声に思わず目を開けた。
すると、キラの傍らに先程までいなかった美しい少女の姿があった。
燃えるような紅の髪、青灰色の瞳。扇情的な美しいラインを描く肢体。
一目で精霊だと分かる少女は、呆れたように溜息をついてキラの肩へと白い手を乗せていた。
驚いたように瞬きを繰り返すミーアは己の灼いていた炎が鎮まっていることに気付いていない。
ただ、突然現れた精霊を当然のように受け入れているキラへと視線を定めたままだ。
キラは傍らに立つ美しい精霊へと笑みを浮かべる。
「ありがとう、フレイ」
フレイと呼ばれた精霊はつんとすました表情でミーアを一瞥する。
キラの肩に乗せていた手とは別の手がミーアへと一瞬だけ翳される。
瞬時に消えた痛みに驚いて自分の身体を見れば、醜く引き攣っていた火傷が跡形もなく消えていた。
「あんたのためじゃないわ。キラが願ったからよ」
「僕の気持ちまで理解してくれるフレイが大好きだよ」
「当然よ」
フレイの腕に甘えるようにすり寄っていたキラは、茫然と座り込んでいるミーアの前へと今度こそ躊躇なく歩み寄った。
白い手がミーアの頬へと滑る。
「ほら、ね。大丈夫」
柔らかいぬくもり。優しい笑顔。
生まれて初めて与えられたそれに、ミーアは泣きながら縋りついた。
- 12.08.07