人生って時々とんでもないことが起こるのだな、とシン・アスカ(16)はしみじみと実感していた。
数時間前には死闘を繰り広げた相手と同じテーブルで茶を飲んでいればそんなこと考えても無理はないだろう。
周囲にはブリザード。
対面から向けられる冴え冴えしく凍った視線も、これはまあ仕方のないことだろうなと思う。
むしろよく騒ぎ立てないものだと感心しているほどだ。
時折見える眉間の青筋に、彼の我慢も限界なのだろうとわかる。それはもう嫌というほどよくわかる。
もし逆の立場だったら絶対怒りまくっている自覚はあるし、敵と仲良くお茶なんて状況は自分だったらきっと耐えられない。
何か本当にもう居心地悪いよなぁと思うのだが、それは対面の銀髪の男性に関してだけで、両隣から美女2人に甲斐甲斐しく世話を焼かれれば嬉しいのは男として正直な感想だ。
「シン様、レモンタルトをもう一切れいかがですか。甘さは控え目になってますよ」
「あ、いただきます」
「シン、紅茶のおかわりどうぞ。ミルクとレモンどっちがいい」
「ミルクでお願いします」
「やはり甘いもの好きな男性がいると楽しくていいですわね。アスランは甘いものを好まないし、イザークとニコルはご一緒してくれますけどあまり召し上がってくれませんもの」
「ミゲルは甘いもの好きだけど忙しくてあまりいないからね。シンが沢山食べてくれると作り甲斐があるよ。人数も増えることだし、これから毎日が楽しみだね」
「えぇ」
何やらいつの間にかシンの滞在が決定しているのだが、勿論キラに反論なんてできるはずもないし、そもそもしようと思わない。
仲間が心配だと思う気持ちはあるけれど、キラと一緒にいられればいいかななんて思ってしまう自分はどこか間違っているだろうか。いや、ないはずだ。
第一シンの仲間と目の前の彼らでは悲しいが格が違いすぎる。
仲間の中でも髄一の実力を持つシンが手も足も出なかったのだ。
現に目の前のイザークとディアッカが帰宅した時には、まるで手土産のようにディアッカの両肩に担がれたルナマリアとメイリンの姿。
軽く当て身を食らわしたという言葉の通り見事に気絶していて、現在2人は客室のベッドで眠っている。
すぐに食べられるものを用意しておいたという言葉の通り、彼女達が目覚めればキラが甲斐甲斐しく世話を焼いて、多分この2人も確実にキラに落ちるだろう。
そのときにまたもや一波乱あるのは間違いない。
勿論バトルの相手ルナマリアやメイリンでないことはシンの例を見ても明らかだ。
アスランは基本的にキラの行動を咎めることはないし、ラクスにいたっては盲目的にキラを援護するだろう。
ディアッカの動向は不明だが、イザークが彼女達に対して何のお咎めもなく許すとは思えない。
今にもシンを糾弾しようとしている姿を見てもそれは明らかだ。
まあ、イザークがどう反論しようとキラが保護すると決めている限り、彼女達2人がシンと同様この屋敷に保護されるのはほぼ決定だろう。
目の前にはこれでもかという数のスイーツ。
闇の一族は人間と同じ食物を食べなくても大気のエネルギーで生きていけるはずなのだが、キラはこうして皆と一緒に食事をすることを楽しんでいるらしく、普通の人間のように食事をするのが日課なのだと言う。
勿論食べてもきちんとエネルギーに変換されるから食事自体が無駄な行為ではないのだが、2年前から行動を共にしている仲間とはこうして食卓を囲むことがなかったので違和感が拭えない。
ただ、こうして他愛無い会話と食事という姿は失われてしまった家族との日々を思い出させて懐かしくも切なくなる。
思わずしんみりとしてしまったシンの様子に気づいたキラが首を傾げた。
「どうしたの? 甘いものはもういらないかな。ミートパイがあるけど食べる?」
「…いや」
ミートパイは母親の得意料理だった。
台所でパイ生地を練っている姿をよく見ていた。
マユが手伝うと言って小麦粉をひっくり返したことをよく覚えている。
今まで封印していた懐かしい記憶が鮮明に思い出される。
駄目だ。この場所は優しすぎる。傷を抱えた者にこの安らぎはつらい。
失くしてしまった大切なものをまざまざと感じてしまうから。
思わずじわりと涙が浮かびそうになって席を立とうとしたが、それは突然手を握られてできなかった。
細い白い手。それは記憶の母のものとよく似ている。
「…キラさん?」
「これからは皆がいるからシンは独りじゃないよ」
握りこまれた手からぬくもりが伝わってくる。
瞬時にふわりと軽くなる心。これが長の力なのだろうか。
それとも母となる人物の持つ慈愛の力なのだろうか。
キラが身篭っていることを知ったのはつい先程。
キラだけハーブティーだったことを不思議に思って聞いた時だ。
子供がいるからカフェインはあまり摂らないようにしていると言いながら笑った顔がとても印象的だった。
新しい生命を生み出す。それは長命な一族の中では最も難しいことだった。
キラは長だから次代の長を産まねばならない。
だがそういう使命以上に腹部に添える手は慈愛に満ちており、キラが心から子供の誕生を願っていることが窺えた。
その姿はとても美しく、改めてキラに危害を加えなくてよかったと実感したものだ。
――父親がアスランだという事実は衝撃だったが。
そんなこんなで急激に変わった自分の状況に戸惑いつつも堪能しているシンの耳に、不意に扉をノックする音が響いた。
顔を出したのは確かミゲルと言っていたか。
外見は派手な優男。だがアスランが全幅の信頼を置く男なのだと言われた以上、その実力は相当なものなのだろう。
ルナマリア達の見張りを頼まれたということはそういうことだ。
「お楽しみのところ悪いんだけどさ、あの姫さんたち目覚めたみたいだけど、どうする?」
「あ、本当。じゃあ着替えと何か軽く食べられるものを持っていかないと。う〜んと、男の人は駄目だから、ラクス。一緒に来てくれる?」
「えぇ。勿論ですわ」
そう言って部屋を出て行く2人を止める者はいない。
一応捕らえたとは言えルナマリアとメイリンは敵だが、ラクスが同行するのならばキラに危険はないはずだ。
他の連中もそれがわかっているから大人しくキラを向かわせたのだろう。
ラクスの実力は、シンも身を持って体験している。
望むべくはルナマリアが短慮を起こしてラクスの怒りを買わないことだ。あれはつらい。
「さて、そこの小僧」
硬質な声が部屋に響いた。
視線を向ければやはり敵意を浮かべた蒼い瞳。
なるほど、キラが席を外す機会を待っていたのか。
やはり彼女には聞かせたくないらしい。まあそれは自分にとっても同様なのだが。
「貴様がこちらに加わることに不満がないわけではないが、キラの指示なのだから異は唱えまい。ただし、いくつか質問に答えてもらう。勿論、拒否は認めない。我々の使命はキラを守ること。敵となるべきものを見定める義務がある」
「…いいだろう。俺にわかることだったら何でも答えてやるよ」
仲間を売るつもりはない。
だが、それが最初から仲間でないのなら――。
ミーアとレイ。
あの2人の本当の目的は一体何なのか。
シンにはわからなかった。
- 09.07.16