これは一体どういうことか。
目の前には数刻前に対峙していた反逆者。
敷地内に侵入しただけならまだしも、屋敷内に招き入れた挙句看病して食事まで出している献身ぶりに、思わず怒鳴り出さなかったのはアスランの努力の賜物だ。
屋敷の周辺には不審者が侵入できないように強固な結界が施されている。
それは確かにハンターや人間を対象に張られたものだけれど、だからといって人狼には該当しないというふざけたものではなかったはずだ。
「シンはね、人狼なんだ。すっごく綺麗な毛並みなんだよ。さらさらのつやつやなの」
「…そう」
目をキラキラと輝かせて告げるキラの様子を見て、あぁこれはもうものすごく気に入ったんだろうなと推測する。
キラは動物が大好きだ。
特に自分よりも大きな動物を殊のほか気に入っていて、現在キラのお気に入り第一位にいるのは黄金に輝く牡鹿。彼の腹部を枕に昼寝をするのが最高なのだと言う。
ちなみにトリィとハロは別格だ。
つい冷ややかな眼差しを向けてしまうのは、間違いなく嫉妬である。
尤も相手には敵であった人物に対する警戒心としか見られていないだろう。
アスランは心が狭い。これはラクスはおろかイザークやミゲルにすら指摘されるほどで、本人も自覚しているが治す気は更々ない。
アスランの心境に気づいているのは、この場にいる中ではラクスだけだ。
そんなラクスは事の次第を楽しそうに見守っている。
「今はもうほとんど治ってるけど、僕が見つけた時はすごい怪我をしていたの。誰かにいじめられたのかな。可哀相だよね」
「…そうだね」
まさか怪我を負わせた当の本人ですとは到底言えるはずもなく、アスランは沈黙を貫いた。
幸い目の前の少年は怪我について何一つ話していないらしい。
確かに、ラクスを騙る一味と行動を共にしていて本物の仲間から襲撃を受けましたなんて、とてもじゃないが言える内容ではないだろう。
アスランはゆっくりと視線を歌姫へと向ける。
優雅にハーブティーを飲んでいる歌姫に事の次第を細かく説明してほしいのだが、当の本人はソファーに腰掛けたまま悠然と構えている。
キラ特製のメープルマフィンを味わっているラクスをどうしてくれようかと物騒なことを考えてはみたものの、何を言ってもどこ吹く風と聞き流す歌姫にはアスランの心中など知ったことではない。
「シン様。お食事がお済みでしたら、お茶はいかがですか。キラの作ったマフィンは絶品ですのよ」
「あ…いただきます…」
敬称呼びに慣れていないシンはくすぐったくて仕方ないが、どうやらラクスは初対面の相手が誰であれ敬称をつけるのが癖なのだろう。
そういえばミーアも同じだった。
尤も彼女はラクスを真似していたのだから同じで当然なのだが。
「じゃあ、アスランも一緒にお茶しようか。いいよね」
「勿論」
「そうするとお茶は何がいいかな。アッサムのミルクティーか、セイロンでキャンブリックティー。ダージリンのセカンドフラッシュも捨てがたいし…」
「ニルギリなんていかがでしょう。マフィンの味を邪魔しませんわ」
「あ、それいいかも。じゃあちょっと準備してくるから座って待っててね」
アスランの戸惑いなど無視して少女2人は楽しそうだ。
救いは目の前の少年もどうしていいかわからず戸惑っているところか。
アスランの賛成を得たため新しい紅茶を用意してくると席を立ったキラの背を見送る。
本当ならばキラの手助けをするべく後を追うのだが、今は火急且つ速やかに処理しなければならない案件が目の前にあるのだ。
アスランは眦を吊り上げる。
勿論相手は黒髪の狼などではない。
戸惑っている姿は共感できる。
おそらく彼自身もこの状況は釈然としていないのだろう。
昨夜アスランに見せた生意気な様子は見られない。
それどころかラクスに対して気後れしている様子を見ると、もしかしたらラクスから何か仕置きを受けたのかもしれない。
まさしくその通りなのだが、そこまでの事情はアスランにはわからない。
とりあえずキラに向ける視線を見ても敵視しているように見えないから、まずは今すぐここで止めを刺す必要はないと判断する。
となれば目下アスランが問い詰める相手は、薄桃色の髪の魔女だ。
「ラクス、説明してもらいたい」
「あら、怖いお顔。キラ以外には冷たいんですのね。女性に嫌われましてよ」
「キラ以外に好かれようと思ってないから構いません。どうして、ここに、この男がいるんです」
「キラが拾ってきたからですわ」
「森には貴女の施した結界があるのでは」
「壊された様子はありませんから、どこかから入ってこられたようですわね」
「最強の結界とやらも随分と役立たずのようだ」
「あらいやだ。敵を侮って手傷を負われたうえに逃げられたどこかの誰かさんよりは、余程役に立っておりますわ」
視線だけで人を射殺せそうなオーラを発しているアスランに、ラクスはころころと笑いながら答える。
室温が3度は確実に落ちただろう。
確か歌姫とこの男は婚約者同士ではなかっただろうか。
シンは自分が当事者であることも忘れて呑気にそんなことを思う。
ヴァンパイアの中でも最高の血統を誇るザラ家とクライン家は、両家の関係を更に良好なものにするために婚姻を結んだと、確かそう聞かされていたような気がしないでもない。
だがこの力一杯牽制しあう2人の姿を見ていると、お世辞にも仲が良いとは思えず、むしろアスランは先程の少女に対して強い想いを抱いているように見えるのだが。
否、本人の発言を考えればアスランの最愛の相手はキラということになる。
「貴女にはキラの身辺警護をお願いしておいたはずですが」
「はい。ですからいつもと同じ、キラにお変わりはありませんわ」
「ものすごく変わりあるような気がするのはどうしてですかね」
「気のせいでしょう」
不毛な会話が続く。
それに比例するように室温がどんどん急降下しているように思える。
寒い。思わず両手で自分の身体を抱きしめる程には。
昨夜自分と対峙してたアスランよりも数段怖いのはどういうことか。
これはやはり自分は対等に見られていなかったということなのだろう。
めちゃくちゃ怖いからそれでよかったと思うのは内緒だ。
そしてそんな背筋が凍る会話は、キラが戻ってからも止まることなく、笑顔で牽制しあう2人に対して、あの2人って仲いいよねという一言で終わらせてしまうキラはやはり大物なのだと、シンは認識を新たにするのだった。
- 09.04.13