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Moon Child 11


人前で泣いたのなんて何年ぶりだろう。
子供の頃から矜持は高い自覚があって、無茶をしすぎて父親に怒られた時も涙を見せたことはなかった。
それでも悔しくて1人で泣いたことはあったのだけれど。
慟哭、というのならば2年前のあの日。
家族を、すべてを失ったあの日の涙がシンが流した最後の涙かもしれない。
復讐と怒りに捕われて、それからシンは泣くことを止めた。
泣いても誰も助けてくれないし、亡くなった家族が生き返ることもないのだ。
闇の一族とは言ってもヴァンパイアと人狼は根本的に違うのが生命力だ。
ヴァンパイアは不死に近い生命力を持つ。
方法は不明だが、彼らには生命を絶たれても復活する術があるのだと言う。
勿論そう簡単に行えることではないだろうし、復活させることが出来る人物も限られているらしいが、それでもその生命を永遠と呼べるほど永らえることが出来るのだ。
だが、人狼は違う。
多少の怪我ならすぐに回復する程治癒力は闇の一族でも髄一だろう。
それでも失った生命を取り戻す方法だけは人狼にはない。
その話を聞いた時は、死んでも生き返るなんて不自然だと思っていたのだけれど、大切な人を失った今ではどうして自分達にその方法がないのかと思うことは少なくない。
同じ一族なのにこの差は何だというのだ。
長を戴いている特権とでも言うようではないか。
それなら自分がすべて壊してやると決めた。
長もヴァンパイアも、闇の一族全て自分が殺してやる。
何度でも生き返ればいい。
その度に自分が地獄に叩き落してやる。
そう決意してからシンは人前でも1人でも泣くことを止めた。
泣きたいほど哀しいことなんて、もうこの先ないのだから。

そう思っていたのに…。



手渡されたカップには琥珀色の液体。
温かいそれを一口飲めばハーブの香りが鼻腔をくすぐって。
柑橘系の爽やかな香りでようやく感情が落ち着いてきた。

「落ち着いた?」

柔らかな笑顔で言われてシンは羞恥で頬を染めた。
見知らぬ女性の膝で泣いてしまった自分が恥ずかしくて仕方ない。
今まで初対面の相手に心を許すことなんてなかったのに。
ルナマリアにでさえ笑顔を向けることすらなかった。
況してや膝枕をされて小さな子供みたいに頭を撫でられるなんてこと、想像するだけで憤死ものだ。
それなのに、どうして自分は目の前の少女の膝で号泣してしまったのか。
キラと名乗った少女は普通の少女にしか見えない。
紫の瞳は今までに見たことがないほど綺麗で、桜色の唇も白磁のような肌も、今まで見てきた誰よりも美しい造作をしているけれど。
総じて美形が多い闇の一族よりも美しい人間の少女なんているのだろうかと思うが、キラからは闇の一族が持つ独特の魔力を感じることがないのだから多分ただの人間なのだろうと思う。
善良で無力な少女。
怪我をしていた自分を運んで介抱してくれただけでなく、シンの心に長年沈殿されていた憎悪すらも昇華させてしまうような、優しい微笑み。
シンの身体の異変にすら気づいていながらも何も言わない。
包帯の下の傷は、おそらくもうほとんど癒えているはずだ。
砕かれた左肩以外はほとんど痛みもないのだから。
そんな自分の状況に気づいているキラが、少しも気にした様子もないことに訝しむことすらなく安堵している自分がいるなんて、とても信じられないことだ。
彼女は一体何者なんだろう、とシンはようやく思い至った。

「あのさ…」
「ん、何?」
「…いや、何でもない…」

問いかけようと思って、それでも向けられた邪気のない笑顔に言葉を続けることができない。
話したらこの緩やかで優しい時間が終わってしまいそうな気がするなんて、そんなセンチメンタルなことを考える日がくるなんて想像もしたことがなかった。
俯いたまま紅茶を飲むシンをどう思ったのか、キラは笑顔を浮かべてシンの頭を撫でた。
子供扱いをするなと普段なら突っぱねるところなのに、どうしてだろう、キラが触れてくれると思うだけで恍惚とした感情が胸に溢れてくる。
まるで飼い犬のように馴らされているようで、でもそれが不快でないのが不思議だった。

「シンの瞳は綺麗だね」
「俺の目…?」
「うん。深紅で澄んでて、とても綺麗。君の黒い髪にとても良く似合うね」
「…ありがと」

面と向かって褒められたことなんて限りないほどあるのに、下心のない純粋な賛辞は初めてだった。
人狼の中でも異質だと言われた深紅の瞳は正直あまり好きではなかったのだけれど、綺麗だと言われてとても嬉しかった。
だから、次いで発せられた彼女の言葉の真意に気づくのが遅れたのは仕方ないだろう。



「毛並みもすごく綺麗だったなぁ。あんなに綺麗な狼見たの初めてだったから、僕どきどきしちゃった」



「…………………………………………………はい?」



髪の毛じゃなくて毛並みですか狼って誰のことってあぁ俺のことしかないかそういえば森に逃げ込んできた時狼に変身してたような気がするあれじゃあ俺って今の身体にいつ戻ったんだっけ覚えてないってことは勝手に戻ったんだよな狼の俺を拾ってきて人間に戻ってた俺を見て感想がそれですかあんた一体何者なんだ。

脳内でぐるぐる思考は回っているけれど、にこにこと笑顔のまま頭を撫でているキラを見るとその手を振り解くことができない。
うんいい手触り、なんて語尾にハートマークがつきそうな笑顔で言われたら男なんてみんな単純なのだ。実際もっと撫でてほしいなぁなんて思ったり思わなかったり。いやいや待て待てシン・アスカ。まずは現状把握が優先だ。

「あの…さ…」
「うん?」
「俺が狼って…」
「知ってるよ。人狼でしょう。とっても綺麗だよね」
「あ、ありがとう。ってそうじゃなくて! あんた人狼って何だか知ってるのかよ! 人間じゃないんだ、闇の一族って言う化け物なんだぞ!」
「知ってるよ。同族だもの」
「…………………………………………………へ?」

今とんでもない爆弾発言をされたような気がするのは気のせいだろうか。
シンの聞き間違いでなければキラは同族という言葉を使った。
同族――それはつまり彼女が人間でないことを示しているわけで、おそらくは闇の一族。
だが彼女からは同族の気配はほとんど感じられない。
――不思議なほどに警戒心を抱かないけれど。
シンは一族の仕組みをよく知らない。
だから一族の長には異能は備わっておらず、一見してわかる外的特徴は見られないことを知らなかったし、彼女に抱いた感情それこそが長への敬愛と思慕だという事実にも当然気づいていない。
重要なのは彼女がシンを闇の一族だと知っていながら屋敷に招き入れたこと。
人狼ではありえない彼女の正体は、では一体何者なのだろうか。

「あのさ、ちょっと聞きたいんだけど」
「うん?」
「あんた…」



「キラ、彼の目は覚めましたか?」



直情的なシンからすれば珍しいくらいに言葉を選びながら聞き出そうとしたのだが、それは開いた扉から現れた少女の声によって打ち消された。
光に照らされて幻想的に輝く薄桃色の髪、海の色をした瞳、透けるような白い肌、濃紺のドレスに身を包んだ少女の姿はシンがよく知るもので。

「ミーア?!」

思わず口をついて出た言葉に、少女がきょとんとした顔をする。
次いで穏やかになる蒼瞳に、自分が知る少女とは違う存在だと認識できた。
驚くほどに似た姿。だけど存在感は明らかに違っていて。
向ける眼差しの柔らかさが、行動の優雅さが、別人だと告げていた。
ミーア・キャンベル。歌姫の名を騙る謎の少女。
彼女と瓜二つの外見を持つ少女と言えば、ただ1人。

「ラクス・クライン…」

本物の歌姫以外いないのだ。


  • 09.03.13