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Moon Child 06


夜は更けた。
すべての生き物が眠りにつく時間。それでも人間たちは宴をやめない。
煌々と灯る明かり、華やかに光り輝くシャンデリア、色とりどりの衣装。
世界が己を中心として回っているかのような傲慢な笑顔が、シンは大嫌いだった。
異なる種族を認めず、貴族以外の人間を認めず、選ばれた特権階級の上に胡坐をかいて他者を踏みつける。
己の分をわきまえず尊大な夢を望み、強者に与して弱者から搾取する。
そんな卑劣で矮小な貴族という生き物。
無力で脆弱な人間のくせに、世界の覇権を握っているのは自分たちだと言わんばかりに傲慢な振る舞いで自然を破壊し、神の定めた摂理すら無視する。
何よりも厭わしくて汚らわしい存在。
それがシンの知る人間という生き物だった。

シンは人狼だ。
小さな集落ではあるが一応長として人望を集めていた父と、優しく時には厳しい母、そして皆から甘やかされて育ったせいか少々我侭なところはあるが無邪気で愛らしい妹と、森の奥深くで静かに暮らしていた。
待望の跡継ぎということで妹と同様過分に甘やかされた傾向にはあるが、それでも将来自分が担うはずの重責は幼い頃から叩き込まれて育ったせいか、正義感と責任感の強い子供であった。
自分が一族を率いていくのだという意識は、今後の目標でこそあれ周囲が心配していたほどの重責にはならなかった。
さすが長の息子と言われれば誇らしかったし、将来が楽しみだと言われるたびに胸にくすぐったい感情が生まれていた。
守るのだと決めていた。
尊敬する父の後を継いで、この小さな集落の民の生活を、自分が守るのだと。
小さな誇り、それを打ち砕かれる日がくるとは欠片も想像していなかった。



シンの一族が滅ぼされたのは2年前の新月の夜だ。
闇の一族は昼間よりも夜の方が力を増す。
だが、月の満ち欠けで能力が変化する人狼にとって新月の夜だけは無力だった。
それを知っての犯行だろう。
圧倒的な数の差に抵抗など無意味だった。
抵抗らしい抵抗もできないまま、1人また1人と殺されていった。
周囲は一瞬にして地獄と化した。
あれほど残虐な光景をシンは知らない。
生きながら火あぶりにされた者、全身を刺し貫かれて絶命した者、家族を守って殺された者。
シンの妹マユも命を落とした。
我侭で甘えたがりで調子がよくて、でもいつだって自分のことをを慕って後をついてきてくれて。
まだたった12歳だった。
500年以上の寿命を持つ人狼の中では赤子のような年齢だった妹は、シンの目の前で首を刎ねられて殺されたのだ。
差し伸べた手は間に合わなかった。

数が多いわけではなかった一族。
自分たち家族と親類縁者を混ぜても、おそらく百に満たない程度しか存在していなかっただろう。
残されたのはシンただ1人。
元々子孫を残しにくいのだ。
長命であるが故に新しい生命を生み出すことが難しいのだと以前聞いたことがある。
それは闇の一族に総じて言えることではあったが、その中でも人狼は圧倒的に人口が少ない。
出生率が低い上に、選んだ伴侶に一生涯添い遂げるためである。
シンとマユが生まれたのも数百年ぶりだった。
同族意識の強い一族だった。
次に仲間が生まれるのはおそらくシンの子供だろうと、随分気の長いことを話していた長老達の姿が忘れられない。
森の生き物を統べていた長老達。侵入者には容赦がなかったが子供たちには優しくて、好々爺のような慈愛に満ちた眼差しでいつも見守っていてくれた。
子供ならではの潔癖さで人間を毛嫌いしていたシンに、無知のまま他者を批判するのは恥ずべきことだと諭してくれた。
光には光の闇には闇の摂理がある。闇の一族の領域に人間が入ってこないように、人間の世界に闇の一族が関与してはならない。
神が定めた自然の摂理に反しないよう、シンが納得するまで根気良く説明してくれた。
世界は光と闇が共存しているからこそ成り立っているのだと、ようやくシンが納得したときはとても嬉しそうに笑っていた。
誰もが家族だった。大切でかけがえのない、大好きな――。
そんな彼らが人間に滅ぼされた。
自然界の摂理、それを人間が破るのならシンが大人しくしている必要はない。
彼らがシンから全てを奪ったのなら、シンだって彼らから奪ってもよいではないか。

「そう、最初に手を出したのはあいつらだ」

己のしでかした愚行をせいぜい後悔するがいい。
物を言わぬ躯と成り果てて。



「俺は」



決して許さない。





   ◇◆◇   ◇◆◇





「時間よ、シン」

声をかけられてシンは目を開けた。
ほんの少し眠っていたらしい。
額には僅かに汗。相変わらず眠りはシンを安らげてはくれない。
無意識のうちに握り締めていた拳を開き、汗をぬぐう。

「大丈夫?」
「何が」

質問の意味がわかっていながらはぐらかすシンに、ルナマリアが一瞬だけ眉を潜めたけれどあえて気づかないふりをした。
彼女はシンの事情を知らない。
理由を訊かれても話すつもりはないし、おそらくルナマリアもそこまで踏み込んでくるつもりはないはずだ。
彼女にとってシンは仲間ではあるけれど友人ではないのだから。
利害が一致するから一緒に行動するだけ。
深く立ち入らせるつもりはないし、余計な詮索をさせるつもりもない。
ルナマリア自身もシンが他者を拒絶していることは承知している。
理由が気にならないわけではないけれど、仲間として拒絶されているわけではないし、元々自分たちはそういう馴れ合いの関係ではないから、下手に聞き出そうとすれば関係を悪化させるだけだとわかっていた。

「あんたが大丈夫ならいいのよ、別にね。それよりそろそろ時間だって。ラクス様があんたを呼んでいたわよ。行きましょ」
「ラクス様、ねえ…」
「何よ。あんたは確かにラクス様に引き合わせてくれた恩人ではあるけれど、ラクス様への無礼は許さないわよ」

ラクス・クラインはルナマリアにとって主も同様の人物だ。
末席とは言えルナマリアはれっきとした吸血鬼の一族。当主に対面するだけの身分でないルナマリアにとって、大公家の当主であるラクスの言葉は主の言葉と変わりはない。
彼女の命令は何よりも遵守しなければならない言葉だ。
貴族の末席でしかないルナマリアは一族が襲撃された時は辺境の地に住んでいたため被害を受けていない。
それでも情報はすぐに伝わるもので、知らされて事実は残された一族にとって俄かに信じられるものではなかった。
当主が殺害され五大公も滅んだと聞かされて目の前が暗くなった。
信じることはできなかった。だが確認する術はなくて。
大人たちがこぞって様子を伺いに出かけたが、彼らは誰一人として戻ってこなかった。
情報は事実なのだと知るのはそれほど時間がかからなかった。
要を失い統治する人物すらいない一族の行く末など哀れなもので、ほどなくしてルナマリアの住んでいる地域でも吸血鬼狩りが始まり、わずかに残った一族もほとんど殺された。
ルナマリアが妹のメイリンと共に逃げ切れたのは幸運でしかない。
ひっそりと闇にまぎれるようにして生きてきた。
惨めで哀しくて、何よりも人間を恨んだ。
5年の月日を経て大公家の筆頭であるラクスが散り散りになった一族の生き残りである自分を探しにきてくれたと聞いたとき、ルナマリアは一も二もなく彼女についていくことを選んだ。
初めてみる高貴な姿。明るい桃色の髪、湖水のように綺麗な青い瞳。美しく整った姿。
噂以上の美しさだった。
無事でよかったと紡がれた言葉は妙なる楽の音よりも耳に優しく、共に参りましょうと差し出された手を断る理由はなかった。
彼女のために。
ルナマリアにとって大切なことはそれだけだった。

シンはそんなルナマリアの心境をわかっているのだろう、別にいいけどと呟いて長椅子から立ち上がった。
彼女のラクスへの敬愛は本物だ。
吸血鬼という一族は忠誠心が篤いのだと聞いていたが、それは決して誇張ではなかった。
各集落で長を選ぶ人狼と違い、吸血鬼は王に絶対の忠誠を誓い、その腹心の部下である五大公の言葉を遵守する。
人間の貴族社会のようなそれはシンには馴染めないが、種族が違うのだから無理もないだろう。
ラクス・クラインは確かに五大公の筆頭なのだろう。
闇の一族を統べる吸血鬼。
その王を補佐するクライン家の名は種族が異なるシンですら耳にしたことがある。
盲目的なルナマリアが彼女を信じるのは当然だ。

彼女が本物のラクス・クラインかを知る術は、ルナマリアにはない。

(哀れだな)

シンはひっそりと呟いた。


  • 08.09.27