Sub menu


Moon Child 05


夜の帳が下り、周囲が漆黒の闇に覆い尽くされてからが彼らの時間だ。
伝承のように陽光を浴びても灰燼に帰すようなことはないが、彼らの属性は闇であり、明るい日の光を受けることは好まない。
それでも必要あれば昼間だろうと気にせず外出するが、彼らの突出した美貌は否応なく周囲の視線を集めてしまうため、やはり好んで外に出ようとは思わない。
何よりも陽光は彼らの持つ異能を鈍らせてしまう。
天敵と呼べる存在がいる以上、そして彼らの脅威を身を持って体験している以上、敢えて危険を冒すような真似をするつもりはない。

夜も更けた深夜と呼べる時刻、アスランはゆっくりと目を開けた。
眠るつもりはなかったが、どうやらほんの少しだけ転寝をしてしまったらしい。
寝台の中、己の腕の中で安らかな寝息を立てる少女を見つめ、翡翠色の瞳をわずかに細める。
悲劇の中で一度は手放してしまった大切な主で――アスランの何物にも変えられない愛しい存在、キラ・ヤマト。
愛しい少女はあどけない表情で夢の中だ。
抱きしめた身体は細く華奢で、腕に感じる素肌は絹のようになめらか。
伏せられた睫は長く繊細で、わずかに開いた唇は花びらのように小さく愛らしい。
一族の中で唯一異能を持たない少女だが、その外見は一族の誰よりも繊細で美しい。
内包する能力と外見の美醜が比例する闇の一族で、異能を持たない少女がこれほどまでに整った容姿をしているということは明らかに異例ではある。
それでもその美しさこそが彼女が長である証とでも言うかのように、彼女が長であることに異を唱えるものはいない。
空を翔ることもできず、闇に身を溶かすこともできない。
一族の誰もが有する犬歯もなく、吸血の欲求も皆無。
そんな――異端としか思えない少女であるが、彼女は確かに長の血を持つ唯一の人物であり、五大公のみならずすべての一族が認める紛れもない長であった。
むしろ視線1つ微笑み1つで一族を従える彼女こそが、誰よりも異能を持っているのではないだろうか。
誰もが彼女の前では膝を折る。
敬愛するべき主君として。
だが、アスランにとって彼女は主君であると同時に愛しい妻でもあった。
政略ではなく、当人同士が望んで交わした婚姻だ。
キラのために、キラが笑っていられるように、それだけを願っていた幼い頃。
幼い思慕が恋慕に変わったのはいつのことだったか、今はもう思い出すことができない。
それほど長い年月アスランはキラを想い続けてきた。
今は亡きキラの両親が己をキラの伴侶として選んでくれたことが、アスランにとって最大の僥倖だと言えるだろう。

眠る少女の髪を一房掬い口付けをする。
以前は腰まで届く長さだった髪は、肩にかかるかどうかというほど短い。
もう一度伸ばす気はないのかと聞いたけれど、短いほうが楽だと言っていたから伸ばすつもりはないらしい。
彼女の髪が風になびくのを見るのが好きだったアスランには少々残念な気もするが、今の小さな顔を強調する今の髪型もよく似合っているので不満はないのだが。
腕の中の少女は起きる気配がない。
眠りが浅いわけではないが、深夜と呼ぶにはまだ少々早い時刻にアスランが身じろぎしても起きないというのは少々珍しい。
無防備に身体を預けて眠る少女から離れるのはいつものことだけれどやはり心苦しい。
ほんの少しでもこの腕からぬくもりが離れていくのが辛いなんて、相当溺れているのだなと思う。
自覚もしているし、それに慣れようとも思わないが。
幾度肌を重ねても、こうして腕に抱きしめて眠っても、愛しさは尽きることがない。
むしろその鼓動を肌で感じれば感じるほどに愛しさは募っていく一方だ。
3年という年月を離れて暮らしていたころ、一体自分はどのようにして生きていたのだろうか。
この大切な宝を手放して、絶望と憎悪と復讐に身を落としていた時期に思いを馳せて自嘲した。
ラクスに愚かと称された3年間。
今思い返せば確かに何と無駄な歳月を過ごしていたのか。
あの時もっと早く動き出していれば、この少女はもっと早くに己の腕に取り戻せていたというのに。
いつまでも寝顔を眺めていたいけれど、そろそろ刻限が近づいている。
長の伴侶として、又、五大公の1人として一族を統べる立場である以上、いつまでもこうしているわけにもいかない。

後ろ髪を引かれる思いで寝台から下りると、それまで眠っていたはずのキラが小さく身じろぎをした。
無意識に隣にあるはずのぬくもりを探している右手が視界に入り、思わず笑みが浮かぶ。
自分と同じように彼女も自分を求めているのだと分かって嬉しくないはずがない。
ぱたぱたと動いていた手がシーツの上を動き、ややして形のいい眉がわずかに顰められた。
ふるり、と長い睫が震えて姿を見せたのは見事なアメジスト。
ぼんやりとした視線が自分を捉えるのを感じて、アスランは微笑む。

「おはよう」
「…おはよう」

時刻を考えればそぐわない挨拶。
だがアスランにとってこれからが本格的な活動の時間であるため間違ってはいないのだろう。

「これから出かけるの?」
「あぁ。ちょっと問題が起きたらしくてね。たいしたことはないから、キラはゆっくり寝てて」
「う…ん」

不安そうな瞳は自分が離れることからだろうか。
シーツで身体を覆ったまま身体を起こしたキラの身体をそっと抱きしめる。

「食事…?」
「まさか。さっきキラから美味しく頂いたからね。必要ないよ」

途端に赤くなって首筋を押さえる可愛い妻に、アスランは愛しさを募らせる。
ヴァンパイアの食事と言えば吸血だが、何も人間を襲うばかりではない。
同族同士でも珍しくないし、むしろ純血種の血の方が何よりの栄養になる。
アスランはここ2年キラの血しか飲んでいない。
勿論普通の食事はキラと一緒に摂っているし、花や大気の栄養素を摂取することもあるが、ヴァンパイアの本能と呼べる吸血の欲求はキラにしか抱いていない。
最初こそキラを怯えさせるのではないかと思ったが、意外にもすんなりとキラが了承した。

『君が他の女の子の血を吸うより全然いいから』

おそらくは嫉妬なのだろう。
単なる食事、獲物の1人でしかない見知らぬ少女にすら触れてほしくないと言外に言われてしまえば、アスランに否はない。

「ちょっと不穏な噂を耳にしたから、杞憂とは思うけど様子を見てこようと思って。多分こちらには何の影響もないはずだけど、あまり外出しないようにしてもらえると助かる」

真実に嘘を混ぜて話す。
キラに嘘をつきたくはないが、嘘も方便と言うではないか。
仲間を大切にしているキラのことだ、真実を話せばきっと傷つく。
ミゲルからもたらされた事実。
それは明らかに同族の仕業であり、且つラクスに敵意を持っている人物の仕業に相違ない。
気になるのはそれだけの敵意を持たれる理由がラクスにはない。
五大公という地位は一族の誰もが羨む地位ではあるけれど、実力が伴っていなければすぐに引きずり落とされる。
クライン家は代々五大公を務めている家系ではあるが、それは彼の家が一族の中でも突出した実力を持つ家系だからだ。
特にラクスはその中でも有数の能力者であり、その実力はアスランですら及ばない。
現在の五大公の筆頭とも言えるラクス。
その彼女の名を貶める数々の行為は、一族へ――ひいては長であるキラへと危害が及ばないとも限らない。
だからキラには伝えるつもりはない。
特に今のキラには、ストレスが何よりも大敵だ。
その腹部へとそっと腕を伸ばす。
細い身体は何の変化も見えないが、その身体には新しい生命を宿している。
次代を担う希望であり、アスランとキラの愛の結晶とも呼べる子供が。
欠片ほどの危険もあわせたくないと思うのは当然だろう。

「いいね、キラ」

ゆっくりと言い含めるように告げれば、腕の中で小さく頷いた。
その額に軽く口付けを落として、アスランは部屋を出て行く。
扉の外には歌姫の姿。

「キラを頼みます」
「お任せください」

ひらりと外套を翻して去っていく姿に、ラクスは一礼した。


  • 08.09.20