「偽者、ですか?」
緊迫した空気にそぐわないおっとりとした様子で不思議そうに首を傾げる目の前の少女に、報告した青年――ミゲルは頷いた。
ここ数日首都で話題になっている事件があった。
地方の領主館で開かれる夜会で惨殺事件が起きている、と。
まことしやかに囁かれる話ではあるが、現場は首都から遥かに離れた田舎であるため、首都に住む貴族には情報はほとんど入ってこないため、それはあくまでも噂でしかない。
犠牲になっているのが地方の成り上がりと言える貴族達のため、首都に住む生粋の貴族達の関心は薄かったが、その被害場所が少しずつ首都に近づいていることもあり、さすがに貴族も警察も警戒をし始めているのだという。
「確かに、最近夜会の招待状があまり届かなくなってきましたものねぇ」
これもその影響なのかしらと頬に手を当てて呟くラクスに周囲は沈黙した。
元々どれだけの金品を積まれても気が乗らなければ招待を受けない上に、最愛の主君と再会を果たしてからは、自分の目的は達成したとすべての招待を蹴っていたのだが、それを口に出すほどミゲルは命知らずではなかった。
「それで、その偽者さんのお話は本当なのですか?」
「生存者の話ではまちがいなくラクス様だと――」
「まあ、でもわたくしを存じ上げない方の方が多いでしょうに。どうしてわたくしだと?」
「以前夜会でラクス様とお会いしたことがあると。ラッセル卿と言いまして、年は20代半ばで背の高い黒髪の男性です」
「ラッセル卿でしたら、確かにお会いしていますわ。そう、会話もいたしましたわね。懐かしいですわ。お元気でしたのね」
以前話しかけてきた黒髪の紳士を思い出してラクスは可愛らしく手を叩く。
貴族の中でも高い位にいる男性ではあったが、非常に紳士でラクスにとって好感度は高かった。
ハンターの血族ではなかったこともあり、夜会では招待客と会話をしないと評判のラクスだったが、珍しく二言三言会話を交わしたのだ。
「それで、彼が確かにわたくしだと仰ったのですか?」
「はい。俺が直接本人に確認したので間違いありません」
「まあ」
ミゲルは一族の中でも風変わりな能力を持っている。
闇の一族の特徴を、彼は綺麗に消してしまえるのだ。
際立って美しい外見を持つ闇の一族。
その存在感は人間の中に入れば圧倒的な輝きを放って他者を惹き付ける。
誰もが一目で心を奪われてしまうのだ。
それはある種人間を狩る為に備わっている手段の1つに過ぎないのだが、それ故彼らは隠密行動には向いていない。
ラクス自身素性を偽って社交界に出入りしていた時には、可能な限り存在感を消していたにも関わらず、それでも一瞬で会場の空気を惹き付けてしまっていたのだ。
だが、ミゲルだけは違う。
ミゲルも人間離れした美貌を持っている。
黄金の髪、青い瞳。白い肌。
すらりとした肢体は完璧に計算された美しさがあり、黙って立っていれば高名な芸術家の作品に見えるほどに整った美を持つ彼だが、どうしてか人間の中に入っても違和感を感じさせないのだ。
当主が不在の間、情報収集の為に様々な場所へ出入りしていたからだろうか。
親しみやすい笑みを浮かべるミゲルは、確かに闇の一族であるはずなのにそれを感じさせないほど人間たちの中に溶け込んでしまう。
能力に比例して見目が麗しい一族の中で、それ相応の能力を持つはずなのに綺麗に存在感を消せるミゲルは、その特性を活かして人間たち――ハンターの動向を探るのが役目だった。
そんなミゲルだから今回の事件の被害者にもすんなりと近づけたのだろう。
「ラッセル卿はお元気でしたか?」
「あ…いや、あの襲撃でも奇跡的に助かったようなので悪運だけは強そうですね。腕に怪我を負ったようですが、生命に別状はありませんよ」
「そうですの。それは何よりです」
にこにこと朗らかに笑う歌姫は、現状の把握ができているのかどうか。
ミゲルは軽く脱力感に襲われながら、尚も言葉を続ける。
「ところで、どうしますか?」
「どう、とは?」
訊ねたつもりが問い返されてミゲルは言葉に詰まる。
ミゲルが忠誠を誓う主君の双翼と呼ばれるラクスとアスラン。
5年前に起きた事件のせいでラクスとは行動を別にしていたからすっかり忘れていたが、そういえばこの少女は昔からつかみ所がなかった。
「…ラクス様の御名を騙る不届き者の処断のことです」
「お任せしますわ」
「は?」
「ですから、お任せしますと言っているのです。生憎わたくしは忙しいのです。そのような瑣末事はアスランにでもさせてくださいな」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。ラクス様!」
言うなり椅子から立ち上がったラクスをすんでのところで呼び止めた。
いやいや確かに実質的な命令権を持っているのはアスランで、ラクスは見守っていることがほとんどだが、だからと言って自分の偽者が社交界で殺戮を繰り返しているという話を聞いた直後の反応としては、随分と淡白すぎやしないだろうか。
「忙しいって…」
「だって、わたくし今キラとお菓子作りをしていましたのよ。いつまでもキラを待たせておくわけにも参りませんでしょう。今日はヴィクトリア・ケーキを作りますのに」
そう言ってキラとお揃いだというエプロンをひらひらと振る。
当主であるキラが戻ってきてから、ティータイムのお菓子を一緒に作るというのがラクスの日課となっている。
それは自分たちにも振舞われるものなので、菓子作り自体はミゲルとしても大歓迎だ。
純白のフリルエプロンを身に纏った桃色の髪の少女。
その様子は見る者の目を和ませるほど愛らしいが、だが堂々と仕事放棄を宣言されてしまっては、報告したミゲルとしてもどうしたらいいかわからない。
アスランにさせろと言うが、アスランとてラクスにさせろと言うに決まっているのだ。
あの宵闇の髪の上司は最愛の恋人を取り戻してからというもの、すっかり下界の様子など無関心になってしまったのだから。
上司としてそれはどうなのかと思わなくもないが、アスランは今まで当主であるキラを探すために全力を注いできた。
ハンターを襲っていたのも、5年前に一族のほとんどを滅ぼされた報復ではあるが、真意は自分とキラを引き離す原因となったハンターを憎んでの復讐だった。
そんなアスランだから、ラクスの偽者騒ぎを率先して調査するとは思えない。
「いやいや! 困りますってば!」
「大丈夫ですわよ。アスランはキラの伴侶。一族を脅かす者を放っておくはずがありませんわ。そういうことでよろしくお願いしますね」
天使のような笑みでそう告げると、ラクスはぱたぱたと厨房へと走っていってしまった。
そういう意味なら五大老の1人でありキラの片翼であるラクスはどうなんだと言いたかったが、いくら何でもさすがに生命は惜しい。
これ以上引き止めたらどのような制裁を加えられるかわからないので、もはやミゲルには見送ることしかできない。
一族の要であるキラ。
ようやく再会できた最愛の少女との団欒を邪魔したくないというラクスの気持ちもわかる。
だが、優先順位を間違えていると思うのは気のせいだろうか。
そう言いたいのは山々なのだが、あの女性がキラと再会するのをどれほど望んでいたか知っている立場として、そこまで強く出ることができないのも本音なのだが。
だが、それでも…。
「はあ〜、キラ様に告げ口しちゃおうかな、俺…」
そう愚痴ってしまうのも無理はないだろう。
- 08.08.01