「許さない…」
燃え盛る炎を前に、抱いたのは怒り。
ほんの一瞬。
それですべてが消え去った。
家も家族も、思い出も何もかも。
助かったことが幸運だなんてどうして思えるだろう。
誰も救えなかったのに。
強風が炎を煽り、熱風が全身に吹き付ける。
「何してんのよ! 早く逃げなさい!」
自分と同じくかろうじて逃げ出すことに成功した少女がそう叱咤するが、足が縫いとめられたようにそこから動くことができない。
涙に塗れた瞳が、炎を写し取ったように紅い。
どうして自分たちがこんな目に合わなければいけないのか。
平和に暮らしていただけなのに。
どちらの勢力にも加わらず、ただ静かにひっそりと生きてきた。
それなのに。
「うわああぁぁぁぁぁ!!!」
炎は尚も燃え盛る。
少年から全てを奪いつくしてなお――。
◇◆◇ ◇◆◇
夜会に現れた少女を前に、貴族達はざわめいていた。
誰もが魅せられた妙なる歌声と美しい容姿。
自らの素性を一切明かさず、けれど不思議な魅力で気難しい貴族達を虜にしていた彼の歌姫が、こうして公の場所に姿を見せるのは本当に久しぶりだった。
突如社交界に現れてその名を馳せたと思いきや、現れたと同じくふらりと姿を消した歌姫の素性を訝しんだ者がいないわけではない。
だが、それ以上に彼女の歌を渇望する者が多かった。
だからこそこうしてまた社交界に戻ってこられたのだろう。
一介の歌姫は、その立場は社交界では微妙なものだ。
貴族の令嬢でもなく、また多くの信奉者がいるとはいえどの貴族の庇護も受けていなかったため、見限られればそれで終わりだ。
多くの歌い手が貴族の庇護を受けながらも、その人気は長続きしない。
庇護を受けた貴族にすら飽きられ捨てられるのが常の世で、桃色の髪の歌姫が1年以上姿を見せなくても歓迎されるのはとても珍しい。
それだけの魅力があるのだと言ってしまえばそれまでだ。
久方ぶりに姿を見せた歌姫は、相変わらず美しかった。
淡い桃色の髪を結い上げることもせず風に靡かせた姿は、以前よりも大人びたのだろうかどこか扇情的に見える。
珍しく赤いドレスに身を包んでいるからだろうか。
歌姫はその朗らかな外見どおりに淡い色合いのドレスを好むことが多かったために、真紅のドレスは春風のような歌姫の印象をがらりと変えていた。
細身でありながらも女性らしい見事な肢体は、男性の視線のみならず女性からも羨望の眼差しが向けられるほどで。
だが浮かぶ笑顔はあくまでも清らかな笑み。
どこか様子の変わった歌姫の姿に疑問を抱かないのは、2年という歳月も関係しているだろう。
目覚ましく成長を遂げる10代の少女が女へと転身してもおかしくない。
「皆様、本日はお招きいただきましてありがとうございます」
優雅に一礼する姿は以前と同じ。
だが、何故だろう。
顔を上げた歌姫の笑みに違和感を感じるのは。
多くの貴族は気付かないのだろう、噂どおり美しいことだという賛辞があちこちから聞こえる。
それを耳にしながら、青年はかすかに眉を顰める。
何かが違うのだ。
青年は歌姫のことをよく知らない。
もともと秘密の多かった歌姫だ。
突然姿を消した理由も、またこうして再び姿を見せる理由も彼は知らない。
だが、以前に一度だけ話したことがあった。
招待には応じるが必要以上に貴族と接点を持たないようにしていた歌姫。
その歌姫と一度だけ話した会話が記憶に蘇る。
『赤は――好きではありませんの』
初めて見た歌姫の美しさに贈り物をしようと思い、つい訊ねたのだ。
情熱的な赤い色のドレスはいかがでしょうか――と。
少し驚いて、そして寂しそうに笑った顔が忘れられない。
『赤は、血の色に似ていますから』
事故で家族を亡くしたのだと、だから赤い色は嫌いなのだと。
そう寂しそうに告げた歌姫。
内緒ですよ、と言っていた。
だから多分知るのは自分だけのはずだ。
その彼女が、何故真紅のドレスを着ているのだろう。
柔らかい春の色ではなく、深い血の色のドレスを。
それに何故、彼女の傍らに若草色の髪のピアニストがいないのだろう。
歌姫は彼の奏でる音でなければ歌わないはずなのに。
「今宵は皆さんに素敵な趣向を用意しておりますの」
語る声は無邪気。だが、その声がひどく酷薄に聞こえるのは何故だろうか。
歌姫の手がす、と伸ばされる。
すると突如背後に現れた2人の少年の姿。
見たこともない、だがとても美しい少年だ。
ほう、と女性達から感嘆の声が漏れる。
くすり、と笑う声は歌姫から。
視線を戻せば歌姫は艶やかに笑っていた。
「それでは、始めましょうか」
声とともに少年の姿がかき消える。
ごとり、と音がして振り向けば、2人の男性の身体が倒れていた。
じわりと広がっていく赤い染みに、状況の把握もできないまま悲鳴が上がった。
くすくす、と無邪気な笑みが聞こえる。
柔らかい笑み、だがその眼差しは赤く煌めいていて。
「皆様に闇の祝福がありますように」
声と共に光が消える。
むせかえる血の匂いが会場を包んだ。
- 08.07.23