舞い散る花吹雪の中、アスランの碧色の瞳が大きく見開かれた。
桜色の唇から発せられた名前――それはアスランの名前に間違いはなく。
勘違いでなければ彼女は自分のことを知っている。
初対面のはずの彼女がどうして自分の名前を知っているのだろうか――。
「君、は…?」
「あ…」
少女はしまったとでも言うように口元を押さえた。
咎められたと思っているのかもしれない。
どこか萎縮した様子の少女に、アスランは再び問うた。――今度はゆっくりと。
「失礼。驚かせるつもりはなかった。確かに俺の名はアスランだ。それは間違いない。だが、君はどこで俺の名を?」
ここがザフトでない以上、彼女がアスランのことを知っていることは訝しがるべき事態なのだ。
国内では広く知られているアスランの名前と顔だが、国外ではそれほどではない。
それは知名度という以前に、王族の肖像はあまり知られるものではないし、しかも王太子という身分では王よりも遥かに知名度は低い。
目の前の少女がザフト国民でないことは外見を見ても明白で、個人的な感情を抜きにしてもそれは訊ねるべき事項でもあった。
「えと…あの…」
「どうした? 何か不都合でも?」
まさか目の前の少女が刺客というわけもないがそう訊ねてみれば、返ってきたのは困惑に彩られた顔で。
「多分、言っても信じてもらえないと思うんだけど…」
申し訳なさそうに小首を傾げながら答える姿は、どことなくあどけなかった。
「鏡?」
勧められるままに薄紅色の褥に腰を下ろしたアスランは、少女が告げた「事実」に唖然とした。
「あのね、本当に偶然で、別に悪気はないというか、僕にもどうしようもないというか…えと…とにかくその…何と言うか……あの、ごめんなさいっ」
おろおろと狼狽えたように落ち着きのない少女はアスランの沈黙をどう捕らえたのか、弁明しようとしてそれもできず涙目になっている。
そんな少女を前にアスランはフォローすることも忘れ呆然としていた。
簡単ではあるが目の前の少女が説明してくれたことを要約すると、彼女がアスランの名前を知ったのは自宅にある『真実を映す』水鏡に偶然映ったためだという。
そのようなこと本当にあるのかと思うのだが、目の前の少女が嘘をついているようには思えず、またこの国の特性を考えればそれもありうるのかもしれないと納得する。
神の国オーブ。
数多の伝説と神話に彩られた国である。
アスランの常識では測れないことがあったところで不思議はない。
それに、とアスランは思う。
目の前の少女が自分のことを知っていたということが、何故か嬉しかった。
白磁の肌に薄桃色の頬。
寝ている姿も十分すぎるほど美しかった少女だが、起きている姿もとても愛らしい。
大きな瞳は最高級の宝石のような菫色で、小さな唇から紡がれる声は耳に心地いい。
くるくるとよく変わる表情はとても魅力的で、いつまでも見ていたいと思うほどだ。
唯一予想を裏切ったと言えば、随分とあどけない少女だったというところぐらいだ。
それはアスランにとって悪い印象ではなく、むしろ神々の眷属ではなく生身の人間であることがわかってほっとしていた。
「アスラン…?」
「あぁ、すまない。別に怒っているわけじゃないんだ。ただ――」
「ただ?」
「不思議な縁だなと思ってさ」
色々と感慨深いことだらけで、どうにか言葉を選んでそう言うのがやっと。
彼女――キラの言葉はアスランの常識とは対極に位置しているのに不思議とすんなり受け入れられるのは、これが自分の見ている夢の中だとわかっているからかもしれない。
そしてそれはどうもキラにとっても同様のようで、キラは普段家からほとんど出ない生活をしているらしく、このような丘に1人で来たことがないのだという。
オーブの南端に位置するこの丘は、首都カグヤを一望できる唯一の場所で聖域の一つでもあるらしい。
国花である桜が咲き乱れるこの地はとても神聖なもので、そう簡単に入ることはできない。
それが王族であっても。
お互いが夢の中で巡り会うというのはどこか運命的だ。
「ハウメア神の悪戯ってところかな」
「そうかもね」
ふわりと笑う姿は無垢にして優美。
今まで見たどの令嬢の笑顔よりも美しかった。
初めて会った少女。
身分も素性も一切わからず、ただ知りえたのは『キラ』という名前のみ。
だが、それでよかった。
今こうして目の前に彼女がいるのだから、それ以外知りたいとは不思議と思わなかった。
- 08.01.12